第31話 ユーゴ視点⑤

「これは、なんとも既視感があるな」


 素直にそう言うと、ロクサーヌは「そうでしょう」と笑う。


「ここはあの城とつながってるの。エズメが避難してくる前に作られた、避難道だったらしいわ」


 一見すれば自然の洞窟だ。いや、実際そうだったものを活用したのかもしれない。

 しかし木々や岩で隠された此処は、知っていなければそうそう見つからない。王侯貴族がよく使う非常口と同じだ。


「ここを知っていたから、オリエンテーションの時もあの洞窟を発見できたのか」

「あるかなとは思ったけど、見つけたのは偶然ね。私たち、運がよかったわよね」

「そうだな」


 私たち――と一括ひとくくりにされただけで、バクンと心臓が高鳴る。

 本気で俺の心臓やばいんじゃないだろうか。

 洞窟のうっすらとした明りの中を数歩進むと、つないでいた手を放した彼女が岩の一部をずらした。次いでそこを覗き込んだロクサーヌを見た瞬間、違う意味で心臓が跳ねた。


「ロクサーヌ!」

「えっ」


 咄嗟に後ろから彼女の腰に手をまわして抱き寄せる。以前洞窟で同じようなことを彼女がした時、危うく水の溜まっていた深い穴に落ちそうになったのだ。


「大丈夫よ、ユーゴ。こっちが正しい道なの」


 軽く息が弾んだ俺を落ち着かせるよう、ロクサーヌは落ち着いた声で腹部に回した俺の手を優しく叩いた。

 彼女の説明によると、ここは迷路のように複雑で、公開してあるルートを通らないと迷子になってしまうらしい。

 観光施設ではないとはいえ事前に事務所に行って報告をしていたのも、万が一を考えての暗黙のルールなのだそうだ。


「――ああ、そうか。前もこんなことがあったわね。あの時も助けてくれてありがとう」

「あ、ああ」


 早とちりだったかとホッとしたが、腕の中からこちらに微笑みかける彼女が大人に見えて、少し居心地が悪かった。


(ちょっとぐらい意識してくれたっていいのにな)


「あの時私のせいで余計に足を痛めたでしょう? もう大丈夫?」

「何年経ったと思ってるんだ? 君の処置が適切だったから、一ヶ月もしないうちに完治してるよ」

「ならいいんだけど」


 そんな昔のことをよく覚えていたなと思うと同時に、正直言えば少し嬉しい。無駄に世話を焼こうとして来ない女の子だから、とっくに忘れてるかと思ったのだ。


「ロクサーヌは、あのころすごく小さかったよな? 学年で一番小さかったんじゃないか?」


 ふと思い出したロクサーヌは、同じ学年とは思えないほど小柄で可愛らしかった。学園の制服よりむしろ、ふわふわのエプロンドレスが似合いそうだと噂されていたはずだ。背が伸びて顔を隠すようになる前は、くりっとした目元が可愛いと、女子たちが彼女を妹扱いしている雰囲気があったように思う。

 彼女に男前な一面があることを誰も知らないんだろうなと思うと、密かにおかしくなったものだ。


「私の母、生みの母がね、背の高い人だったらしいの。今日着ている服も母のものを継母が手直ししてくれたものなのよ」

「だから似合ってるんだな」


 素直に賛辞を述べれば、ロクサーヌは照れくさそうに笑った。


 彼女の母親は、ロクサーヌを生んで間もなく亡くなっているという。その後すぐ継母が出来たらしいが、関係は良好で、異母兄弟である弟とも仲がいいらしい。


「この髪も弟が切ってくれたの」

「うまいんだな。斬新な髪型だけど、すごく洒落てると思ったよ」

「でしょう? セビーは天才なのよ」


(弟が大好きなんだな)


「俺も弟が欲しかったな。君の弟はどんな子?」

「見たら驚くわよ。すっごく可愛いんだから」


 道が暗くなるということで、備え付けの手持ちのランプに明りを付けていたロクサーヌがずらっぽく笑った。


「いくつ?」

「十五歳。今度学園に入学するから後輩ね」

「十五の男に可愛いはないんじゃないか?」

「ふふ、会えばわかるわよ」

「じゃあ会わせてよ。今夜一緒に食事でもどう? 俺は明日の夜帰るから、明日の昼食でもいいし。男同士なら色々、学内の情報も教えられるしさ」


 よし! 自然に誘えた。

 よければ継母も一緒にと言うのも忘れない。

 二人きりの食事ではなくても、彼女の家族に紹介してもらえるなら十分ありだ。


 ロクサーヌは快く承諾してくれ、心の中でぐっとこぶしを握った。


 脳内のオリスが、『殿下、外堀から埋めるんですね。成長しましたね』と泣き真似するのが見えた気がするが、本当に言われたら、おまえの真似をしたんだよと言っておこう。

 婚約まで進んだという彼女との話を、辛抱強く聞いた甲斐があるというものだ。


(それに、ロクサーヌの出生について詳しく聞けるかもしれないし)


 たとえ私生児でも、彼女が俺を受け入れてくれるならすべてを捨ててもいいとさえ思うが、まだ時期尚早だ。まずは正確な情報を集めなければ。


(王族に人生を変えさせられ、不幸な死をとげたエズメのようにはさせない)


 隣で楽しそうに彼女の変身・・・・・の過程を話すロクサーヌを見て、俺はひそかに決意した。




「でね、ここが地元では影の人気スポットと呼ばれている場所よ」


 ロクサーヌが、壁に彫られた巨大なレリーフの前でそう言った。

 葉と蔓を意匠デザインとしたレリーフで、パッと見、中央に立つ門番が立ちふさがっているように見える。


「門番は持ってる槍の形を見るに、大地の女神に仕える扉の番人クーレか?」

「正解。さすがね」


 クーレの質問に真実を答えないとあの槍で刺されて霧になり、永遠をさまようと言われている。

 ランプの明りで照らされたクーレは、生き生きとしていて迫力があった。


「すごいな。本物を石化させて閉じ込めたと言われたら信じてしまいそうだ」

「でしょう。初めて父に見せられた時は、怖くて泣いてしまったもの」

「くくっ。可愛かっただろうな」

「馬鹿にしてる?」

「まさか。本当にそう思っただけだ。いくつの時?」

「六歳よ。――父が生きている間に、一度だけ二人で旅をした、最初で最後の場所なの」


 ロクサーヌの父親は商人で、主に貿易を中心としていた。今は兄がそれを継いでいるそうだ。彼女の兄はロクサーヌに無関心らしく、妻が何をしてもそれは同じだったらしい。ぽつりぽつりと打ち明けてくれた内容に、俺ははらわたが煮えくり返る思いがした。

 サロメのやり方は巧妙で、彼女の所業を継母や弟は知らず、彼女も知られたくないと独り耐えてたらしい。


「――つらかったんだな。教えてくれてありがとう」


 学園では忘れていられたのだろう。初めて打ち明けてくれたことに心からそう言うと、彼女はクーレを見て、その槍を撫でた。


「ここでは真実を言わないと消えてしまうからね」


 雰囲気を変えようとしたのか、普段通りのちょっと勝気な言い方が可愛くてからかいたくなる。


「ふーん。じゃあ、君に質問をしても嘘は言えないってわけだ」

「ふふっ。そういうことになるかな。それもここが人気の理由なんだけど」


 へえ。

 そうなると聞いてみたいことは色々あるな。


 そう考えてると、ロクサーヌが小さく笑った。


「だからって、変な質問しないでよ?」

「変な質問なんてしないさ」


 今はね。

 心の中でそう付けたし、無難な質問をしてみることにする。


「卒業後の予定は? このままガイドを続けるの?」


 すでにプロみたいだから十分ありだろう。俺にとっても時間稼ぎにもなりそうだが、いかんせん、ここでは出会いが多いのが気になる。エスコート依頼なんてホイホイ受けてたら、絶対勘違いする男は続出するからな。


「まだわからない。ガイド……もしくは、夏に予定されている、王女様の侍女の試験を受けるか……。でも私は成人式ができるかまだ分からないから、はっきり言って未定が正解かな」

「成人式ができないだって?」

「ええ。だって私、実家から逃げてるからね。今の保護者は兄だし、二十二になるまでピアスはつけられないかも」


 そう言ってロクサーヌはなんでもない顔で肩をすくめるが、本当は不安でたまらないはずだ。


「結婚は考えてないのか? 縁談が来てるんだろ? どんな男?」

「ああ、それも聞いてるんだ。ええと、実は詳しく知らないの。外国の人で、四十歳年上の貴族というくらいかな。後妻としてって話だけは聞いてるけど、会ったこともないし」


 ロクサーヌの実家は爵位自体はないから、外国籍とはいえ貴族ならありがたいだろうということらしい。


「もっとも、その物好きな男性も、実際私と会ったら気が変わるとは思うんだけどね。向こうから断られるのも、それはそれで傷つくじゃない?」

「気に入ってくれたなら喜んで結婚するわけ?」


(あ、我ながら冷たい言い方になった)


 そう気づいたが、多分表情もそうなってるだろう。

 だが、まるで自分が見るに堪えない醜い化け物だとでも思っているみたいな彼女の言い方に腹が立ったのだ。しかも俺の質問への答えが返事が是なら、心底傷つくのは俺なのに、愚かな質問をした。

 しかし彼女は淋し気に微笑んで首を振った。


「気に入られるなんてありえないわ。例えあったとしても、数年後には気が変わるでしょ? ――もういやなのよ。誰にとっても価値がないって突き付けられるのは、分かっていても……もうこりごりなの」


 私は……駄作なんだって……。


 そう呟く彼女の声が、小さくこだました。

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