第28話 別に嫌じゃないですよ?

「じゃあ、デートはここまでかな」


 お互い正体はバレてしまったわけだし。

 そう思って、しゃがみ込んだままのユーゴをそっとしておきつつ、バッグの中から手鏡を出す。


 あ、思ったほどメイクは崩れてなかったわ。あまりにも見苦しいようなら、事務所の洗面台を借りてお直しをしなきゃと思ったんだけど、軽く粉を叩く程度で大丈夫そうだ。


 とはいえ、このままでは中途半端よね。帰る前に、今行こうとしてたところだけは見せてあげよう――なんて思ったんだけど、ようやく立ち上がったユーゴの顔を見て、私はまたもやポカンとしてしまった。

 だって、何か言いたいのに言葉にならずに困ってるみたいな、そんな様子だったんだもの。


(え、珍しい)


 瞬きをして私が首をかしげると、彼はようやく口を開いた。


「君は、俺とデートするのは嫌か?」


 やっと絞り出したみたいなセリフが意外すぎて、今度は私のほうが一瞬言葉が出てこない。でも、

「これは詫びでもあるんだし」

 と、彼にしては珍しい自信なさげな様子で言われて得心した私は、安心させるよう微笑んでみせた。

 つまりこれは、練習を続行したいって意味だ。


(ユーゴ、本気なんだな)


 私相手ではかなり心もとないと思う。けど、最初から彼にロクサーヌだってバレてたなら、私が練習台でも別に問題ないのでしょう。


 なぜか胸の奥に小さくとげが刺さったような違和感があるけれど、最後まで付き合わなきゃいけないわよね。

 協力するって決めてるんだし。


「別に嫌じゃないですよ? お詫びも必要もないですし」


 だからあえてガイドのロキシーとして答えたんだけど、ユーゴには盛大に顔をしかめられ、私の心臓がまたしても大きく胸を叩いた。


(ねえ、ちょっと待って。ただ髪をかきあげて顔をしかめただけなのに、大人の男みたいな色気を出すのって反則じゃない?)


 びっくりして心臓がまだドキドキしてるわ。


「あのさ、ロクサーヌ。もう同級生だってわかったんだから、敬語はいらないだろ」

「でも素のロクサーヌだと、お互いやりにくくないですか?」


 敬語の方が、自分の立ち位置がはっきりわかりやすくて楽なんだけど。

 なのにユーゴは呆れたように首を振った。


「全然やりにくくない。俺は今朝から君だって気づいてて、その上で申し込んでるんだから」

「そ、そうなんだ。――というか、今朝、気付いたの?」


 私、ユーゴに気づかれるようなことしたっけ。


「騙してたわけじゃないぞ。言う機会がなかっただけで」


(まあ、私はあえて黙ってたけどね)


「だいたい君だって普段とぜんぜん違う姿じゃないか」


(ん、私も鏡の中の自分にやっと慣れてきたくらいよ)


「髪だってバッサリ切ってて、色もなんだかいつもより明るいし」


(長い時は茶色だと思ってたけど、切ってもらったら、実は意外と明るい色だったのよね。赤みがかってるけど)


「服装だって顔だって全然雰囲気が違う!(――綺麗すぎてわかんなかったんだよ)」


 最後に何か口の中でユーゴが呟くけど、早口だったのもあってよく聞き取れなかった。でもなぜか、耳まで真っ赤なんすけど。


(うんうん。私が着てるのお母様の服だものね。すぐ気づかないのも当然よ。でも恥ずかしかったのね。わかるわ)


 私も声の聞き分けが得意じゃなかったら、たぶんユーゴだって気づいた瞬間、恥ずかしくていたたまれなかったに違いない。

 むしろ、ここまでしれっと黙っていられたユーゴはすごいと思う。


「でも、どうして気づいたの? おとといは分からなかったでしょ?」


 きっとそうだと思って尋ねると、ユーゴは苦虫を噛み潰したようなしかめっ面になった。


「わからなかったよ。全然。ピアスがないけど、この国での成人年齢が一定ではないと知っていたから、俺よりは一つ二つは年上かなと思ってたくらいだ。いつからこの仕事をしてたの?」


 ユーゴとヒューを混ぜたような話し方がおかしい。思わずクスッと笑うと、ユーゴもそれに気づいたのか、照れたように小さく笑った。

 今はヒュー、つまり素顔の方が強い感じみたいね。


「休みに入ってからよ。ただの新人アルバイトです」

「嘘だろ? さすがだな」

 プロだと思ってた――という呟きが嬉しい。


「おとといのさ、美術館のガイドがとても楽しかったから、昨日会えなくて残念だって思ってたんだ。なのにあんな失態見せて、本当に悪かったと思ってるんだ」

「別に気にしてないわ。すこーし、重かっただけよ?」

「本当にすまなかった!」


 ちょっとからかうと、ユーゴはまたビシッと頭を下げてしまう。


「冗談よ。気にしないで」


 私の仕事を褒めてくれただけで、すっごく嬉しいもの。


「でも、また君に助けられた」

「また?」


 まっすぐ見つめられ、私は小さく「ああ」と頷いた。


「オリエンテーションのこと?」

「そう」


 至極真面目な顔で頷いたユーゴは、実はあの日のことをずっと気にしてたのだろうか?




 学園に入学してひと月もしたころ、新入生はオリエンテーションという名の、親睦を目的とした二泊三日の旅行をすることになっている。ベッドなど最低限の設備しかない山小屋に泊まり、自分達だけで食事の準備などをするだけというシンプルな内容だ。


 とはいえ、パンと野菜はあらかじめ少しだけ用意されているけれど、肉や魚は自分たちで捕らなければいけない(なくてもいいんだけど、用意されたものでは育ち盛りには到底足りない)。

 薪も準備して、火をおこしたり、水を汲む必要もある。

 お互い身分など伏せている状態で助け合いながら過ごす、意外と大変な行事。


(あれは普通のご令嬢ご令息には、なかなか厳しいものがあるのよねぇ)


 学年によっては威張り散らす人もいるそうだけど、私たちの学年は落ち着いた学生が多く、自然と役割分担が生まれていた。

 私は幸か不幸か実家で鍛えられていたから、火をおこすことも造作ない。


 そんななか、薪を少し足した方がいいと判断して森に入ったのだけれど、うっかり足を滑らせ、運悪く急な斜面を滑り落ちてしまった。

 枯葉が柔らかかったし、特に大きな石もなかったから、擦り傷くらいしかできなかったんだけど、急な斜面は自力で登るのは難しい。登れる場所を探してうろついているうちに日が沈み始め、視界が危うくなったころ、倒れているユーゴを見つけたのだ。


(あの時は、もっさりした髪が何かの動物に見えて、襲われてるのかと思って驚いたんだったわ)


 ユーゴは獲物を追っていて、私が見つける直前に足をくじいたところだった。

 いつも一緒だったオリスは、たしかひどい風邪をひいて欠席だったはず。


 その後応急処置をした後、彼に肩を貸して歩こうにも足場が悪く、あっという間に暗くなってしまった上に雨まで降ってきた。そのため、仕方なく見つけた浅い洞窟に避難した。

 すぐ見つけてもらえると期待していたのに、結局一晩そこで過ごすことになるとも思わずに。




「あれもただの事故だし、気にするほどの事ではなかったと思うんだけど。むしろ一人じゃなかったから心強かったわよ?」


 地味女ともっさり男の遭難なんて、変な噂にもならなかったくらいだ。もし、ヒューの姿だったらと思うとゾッとするけど。


「でも、感謝してるんだ」

「ユーゴ」

「とても落ち着いてたし、頼れるし、ずいぶんと男前な女の子だと感心してたんだ」

「あ……そうなんだ」


 たしかに、学園であまり女の子扱いされた覚えがないわ。

 それは彼に限ったことじゃないけど。――もしかして、ユーゴが私を「男前」だと思ってたことが原因の一つだったり……しないよね?


 胡乱な表情でユーゴを見ると、彼はからかうようにクスッと笑った。


「目の前で捕まえた鳥をさばいても悲鳴を上げないどころか、とっとと火を起こして調理を始める女の子なんて、そうそういないだろ?」


(確かにその通りです)

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