第27話 ずるいって、なに?
事務所を出ると、私はユーゴを伴って城の裏手にある森へ足を向けようとし、遠くに見つけた顔にハッと立ち止まった。
(お兄様?)
遠目に兄を見つけて息を飲む。背中を向けているけれど、兄の隣にいるサロメの姿が目に入り、すーっと凍り付いたように全身が冷えた。
タチアナ母様のところにはサロメしか来ていないという話だったけど、それは兄が後で合流するということだったのだろう。
ここ数年、義姉を見るといつもそうだったように、背中に冷たい汗が流れる。
家族の前では私を可愛がるふりをしながら、裏では私を一人の人とは見ず、絶えず侮蔑し、取るに足らない存在だと言い続けてきた人。父の死をきっかけに、もしも学園に行くことを諦めていたら、私は自我を保てず全てを諦めていたかもしれない。
彼女の姿が見えなければ強がれる。平気なふりもできるし、他の人には何でもないよって顔も見せられる。
嫌われてるのは私だけだから、私だけが我慢すればいい。私が沈黙すれば平和だったし、私はか弱くなんかない。
だから大丈夫。大丈夫なはず。大丈夫じゃなきゃいけない……!
なのに今は、束の間の平和が足元から崩れたような気がして、呼吸が浅くなる。
「ロキシー?」
いぶかし気なユーゴの声にハッとした。完全に彼の存在を忘れてたことに焦る。でも彼は私の見たほうをちらっと確認すると眉を寄せ、まるで私を隠すように身を寄せた。
「真っ青だ。大丈夫か?」
(ユーゴ)
まるで怒ってるみたいな仏頂面に低い声。でもやっぱり目には私を気遣うような温かい色がある。
(もし今、彼の髪を解いてぐしゃぐしゃにして顔を半分隠したら、三年間見慣れたユーゴになるわね)
それが不思議なほど私を落ち着かせた。
学園にいる時の私は自由だった。楽に呼吸ができた。
そして今、そばにユーゴがいてくれる。まるで学園にいる普通の日みたいに。そのことがどれだけ心強いか、私の心を支えたか、きっと彼は想像もできないでしょうね。
無意識に止めていた息をゆっくり吐き出し、頑張って笑顔を作ってユーゴを見上げる。
(夢から醒めた気分)
いつもと違う場所で、いつもとは違うユーゴに会い、お互い別人として振舞っている。その非現実な出来事は、私にとっては冒険の一つだったのかもしれない。
でも今は、おとぎ話から出てきた王子様みたいな(しかも本当に王子様だった!)彼が、今は間違いなく私の知っているユーゴに見える。
髪型を戻さなくても、話し方を変えなくても、私の目にはいつものもっさりとして不愛想な、ユーゴという特別枠の存在に戻った。そんな感じがしたのだ。
仏頂面でもぶっきらぼうでも、あなたは嘘を言わない。男子に人気の可愛い女の子たちにも私にも等しく同じ態度だったから、私は普通なんだって、ここにいてもおかしくないんだって、そう思っていられたんだわ。
(変なの。ライバルでしかなかったユーゴに感謝したくなっちゃった)
ユーゴが私を隠すようにしたまま兄たちの見えないところまで連れてくると、黙ってハンカチを差し出した。
慌てて顔をあげると彼が反対の手で私の目元を拭い、その時初めて自分が泣いていたことに気づいたのだ。
「す、すみません。あれ、なんで私泣いてるのかしら」
「謝らなくてもいいし、無理に止めなくてもいい。泣いていいんだ、ロクサーヌ」
「え……?」
「ごめん。わからないよな。俺だ」
混乱する私の前で、ユーゴが前髪をぐしゃっとさせて顔を半分隠す。
「ユ……ゴ?」
(なんで? いつから気づいてたの?)
疑問は次々浮かぶのに、ユーゴの眼差しがあまりにも優しくて、私は一度大きくしゃくりあげ、そのまま涙が止められなくなってしまった。
そっとユーゴに引き寄せられ、私の額が彼の肩の下あたりにコテンとあたる。
「君は、彼女が怖かったんだな」
まるで理解してるみたいな声がぐちゃぐちゃになった心にしみこみ、今はすべてのことがどうでもよくなってしまった。
(そっか。私、サロメが怖かったんだ)
兄嫁で、お姉さんが出来たと喜ぶべきところだったのに、私は彼女を好きではなかった。ずっと苦手だと思ってた。
でも本当は違う。
私の心の奥深くにいる幼いロクサーヌは、兄の妻になる人だと初めてサロメを紹介されたその日から、ずっとずっと彼女が怖かったんだ。
もう大人になるのに、ずっと小さな私が心の奥で震えている。
今の私は、成人式ができるかもわからない宙ぶらりんな状態で。
本当は結婚するはずだったのに、婚約を破棄されて。
なのに、成人してないと就職が色々難しくて。
そのくせ、このまま継母や会長に甘えるのも気が引けて。
動かなきゃと思うのに、本当は心の一部が凍り付いたままだった。
だから逃げた。
問題を先延ばしにした。
幸せな記憶がある土地だから。優しい家族や友人がいる土地だから。
私はここに逃げてきた。
それもこれもみんな、怖かったからなんだ。
「情けないわ……」
絞り出した声に、ユーゴが「そんなことない」と答える。そのまま彼の肩に額を当てたままの私の頭を撫でてくれるから、少しだけそれに甘えたあとハンカチで顔を拭いて顔をあげた。
「化粧、落ちちゃったわね」
お互いの正体が分かってしまったから、私はいつものロクサーヌに戻る。ユーゴもひょいと肩をすくめ、ぶっきらぼうに「いいんじゃないか?」と言った。
うん、ホッとするわ。――なんて思ったんだけど、続いた言葉がユーゴじゃなかった。
「ロクサーヌは素顔でも可愛いよ」
「ユーゴじゃない!」
反射的にそう言ってしまったのは仕方がないわよね。声も態度もユーゴなのに、今可愛いって言った? しかも私に?
「なんでだよ。俺だろ?」
「ちがう。ユーゴは、か、可愛いとか言わないもの!」
「いいだろ、別に。可愛いって思ってるんだから」
(ユーゴが変になった。いや、ヒューが混ざってるってこと? それともちょっとチャラい感じの本物のフォルカー様の影響?)
「おい。なんか失礼極まりないこと考えてないか? だいたいロクサーヌは、こういうタイプの方が好きなんだろ?」
「へっ? タイプ?」
一瞬考えこみ、この話し方はトーマを指してるのだと気づいた私は、小さく「ああ」と言った。
「トーマみたいってこと?」
「ああ」
「別に私、ぶっきらぼうな話し方が好きなわけじゃないけど」
「でもかっこいいじゃないか」
ん?
「あの、もしかしてなんだけど、ユーゴって、その話し方がかっこいいと思って、三年間そのキャラを通してきたの? モテないわよ?」
あ、もったいないと思ってたから、つい本音がこぼれてしまったわ。
なのにユーゴは盛大に顔をしかめた。
「いいよ、モテなくて。大勢の、不特定多数の女性に好かれるとか嫌なんだよ。俺の見た目で勝手に理想を押しつけてくるし、期待と違うことをすると大袈裟に嘆かれるし」
「あー、なるほど?」
めちゃくちゃ実感こもってるな。実は経験豊富なのね?
まあ、なんとなくそんな感じはしてたけど。
その後のユーゴの主張によれば、ぶっきらぼうで周りに野郎しかいない環境は理想的で、無駄にモテたり遊んだりするよりも、好きな女性一筋の男がかっこいいだろ! ――ということらしい。
「うーん、ほぼ同意はするけど、ユーゴはかっこよかったかなぁ? ずっと怖がられてたじゃない」
「トーマはかっこいいだろ?」
確認するように問われれば、自然と私の頬が緩む。
「うん、かっこいいわね」
「だろ?」
「でも話し方が問題じゃないのよ。トーマは気遣い上手だもの。そこが素敵なの」
ユーゴがぐっと詰まって「年か、年上なのか」とよく分からないことをぶつぶつ言うので、私はフォローするつもりでニコッと笑った。
「おとといのフォルカー様も、今日のヒューも素敵だったわよ?」
年齢が何か問題なら、これから嫌でも年取るんだし。そう思ったんだけど。
「ロクサーヌ、ずるい」
なぜか両手で顔を覆い、そのままズルズルしゃがみこんでしまったユーゴのつむじを、私はぽかんと見下ろした。
(ずるいって、なに?)
意味は全然分からないけど、バカみたいな会話のおかげですっかり立ち直ってしまった。やっぱりユーゴには、あとで感謝の気持ちを伝えるべきなんだろうな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます