第20話 ユーゴ視点①

「フォルカー様、お手をどうぞ?」


 牧場近くの停留所で先に下車したロキシーが、いたずらっぽい表情で俺に向って手を差し出した。昨夜に続き(普通逆だろ?)と思うが、これは冗談なのか、それとも今日もガイドのつもりでいるのか?


(ま、堂々と手を握れるチャンスだと考えれば悪くないか)


 心の中でそううそぶくと、何食わぬ顔で彼女の手を借りてバスを降りる。そのまま手をつないでいると彼女が慌てたような顔をしているが、それには気づかないふりをした。


「牧場は近いの?」

「あ、はい。この先を右に折れてすぐです。あの、フォルカー様、手……」


 彼女の視線の先に初めて気づいたふりをした俺は、つないだままの手を軽く上げた。


「デートだし、ね?」


 素の姿でにっこり微笑む。

 子どものころからこんな風に微笑めば、普通の令嬢たちは頬を染めて頷くところなのだが、残念なことに彼女はただ困ったように眉を下げた。


(うーん。やっぱりガイドに徹するつもりだったな? ここは是が非でもデートだと思ってもらおう)


 真面目な彼女が、休日だのデートだの言われても素直に応じるわけがない。しかもこれは相当強引にこぎつけたデートだ。

 それでもこれは、俺にとって降ってわいた幸運だ。こじつけだろうと何だろうと、このチャンスを逃すつもりは毛頭なかった。


「あとロキシーさん。俺のことはフォルカーではなくヒューと呼んで。ミドルネームのほうが短くて呼びやすいでしょ」


 俺の提案に、驚いたようにかすかに目を丸くしたロキシーが、「ヒュー、様?」と呟く。その瞬間、ずっと早鐘を打っていた俺の心臓が、ドクンと大きな音を立てた。


(やばい。これは思った以上に嬉しい)


「様はいらない。デートなのにおかしいでしょ。俺もあなたのことはロキシーって呼ぶから。いい?」

「えっと――はい、承知しました。ヒュー、ですね?」


 勢いで押し切った感はあるが、本名で呼んでもらうことに頷いてもらえた俺は、「敬語もなしで」と言ってにっこり笑った。もっともこっちは、

「それはお断りします」

 と、きっぱり断られてしまったが、まあいいだろう。彼女からしたら俺はまだ、数日前に知り合ったばかりの男なのだ。すぐに打ち解けてもらえるとは思っていない。


 それに偽名とはいえ、彼女の唇から叔父の名前で呼ばれるのは面白くなかったから、呼び方が変わっただけでも上々だ。


 俺の隣で、うつむき加減で落ち着かなげに髪を耳にかけるロキシーの手を引く。その何気ない指先や、白い頬に赤みがかった金色の髪がさらりとかかるのが色っぽいだなんて、絶対に気づいてないんだろうな。

 さりげなさを装いながら見つめていると、やがて気をとり直したように顔をあげて微笑んだ彼女の琥珀色の目に、自分は完全に落ちているなと改めて自覚した。

 視線を少し落とせば、紅を引いたふっくらとした下唇が目に入って、思わず喉が鳴る。


(ああ、くそっ。どこもかしこも可愛いな)


  ◆


 もともと叔父たちの「お忍び旅行」などと言う悪ふざけに乗ったのは、気分を変えたかったからだ。


 傷ついた友人――ロクサーヌのために何もできなかった。

 そのことが、自分の中で思った以上にくすぶっていた。

 まるで見世物か何かのように婚約破棄を突き付けられた友に、自分は何かできないか。そう考え、(彼女を国に連れ帰ればいい!)と思った時はいい案だと思ったのだ。


 オリスが守ってやりたくなったなんて言い出した時は、(彼女を?)と、不思議というかムカつくというか、なんとも表現しようのない気持ちになった。

 ロクサーヌは芯の強い娘だ。

 この程度のことは一人で乗り越え、もっといい道を選べる女性なのに、おまえは何を言ってるんだ? と、怒りに似た気持ちもあったからだ。


 それでも傷を癒す時間が必要なのは確かだろう。

 その為に環境を変えるのは彼女のためになると思ったし、俺としても、卒業後も彼女の顔を見られるのは絶対楽しい。

 そう考え、休暇中に準備できるようにと直接会いに行ったのだ。

 学園に入学してすぐの頃、彼女が実家について話していたことがあったから、家を探すのは存外簡単だった。


 しかし実家に彼女は不在だった。

 いや、いなくてよかったのかもしれない。あんな家にいて心穏やかでいられるわけがない。


(なんなんだよ、あの家)


 彼女の兄である主人は不在だったが、たまたま外出しようとしていたロクサーヌの兄の妻にあたる奥方が応対してくれた。しかし、ユーゴの姿で行ったのがまずかったらしい。

 上から下まで俺を無遠慮に眺めたサロメという女性は、小バカにしたように鼻で笑い、ロクサーヌは不在だと言った。


「せっかくいい縁談を持ってきたのにねえ。ほんと礼儀がなってないのよ」


 誰かに話したかったのか、すぐ帰ろうとした俺を引き留め、彼女はそんなことを言いだす。

 ロクサーヌに新しい縁談と聞いて、腹の底にモヤッとしたものを感じた。本当にいい話なのか疑わしいものだと思ったのだ。

 そのまま黙っていると、サロメは鬱憤を晴らすかのように勝手に色々話し始めた。


 ガウラ家はもともと高貴な血を引くこと。

 貧乏くさい赤髪のロクサーヌの母親は、前の主人の好意でここで出産をしただけの馬の骨で、ロクサーヌは兄と血がつながっていないこと。

 育ての父親が死んだというのに金のかかる学園に通い、サロメたちがほとほと手を焼いていること。

 そんな眉唾ものとしか思えないことを、立て続けに喋っていく。


「やっと卒業して出ていくかと思ったら、案の定婚約破棄されたでしょう。まったく。元々あんな娘を欲しがるもの好きなんているわけないのよ。ひょろひょろでかくて女らしくもないし、不細工だし。それでも若さだけは武器になるじゃない」


 だから、売れるうちに売ってしまった方がいいと、彼女が見つけてきた相手は四十も年上の異国の男なのだそうだ。


(黙って聞いていれば好き勝手なことを。彼女は間違っても不細工じゃないし、武器は若さだけなんかじゃない)

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