第17話 すっごい笑顔なんですけど?

 彼の腕から脱出した後、私は人を呼ぶため急いでホテルまで走った。顔が赤くなっていたとしても、それは走ったせいだ。


(もうっ。あり得ないあり得ない。寝ぼけて抱き着くなんて、私は枕じゃないし)


 もしや、ロクサーヌという名前の恋人がいるのかもと考えたけど、普段のユーゴからは想像がつかない。いや、休日には素に戻ってたのかも? 常に一緒に行動していたのはオリスだった気もするけど、オリスにはナディヤって可愛い彼女がいるものね。休日はWデートとかしてたかも?


(いや、ないわね)


 昨日の美術館での様子を思い出して、私はその考えを否定した。

 あの空気が凍りそうな雰囲気は、そばにいなきゃ分からないと思う。あれでいちゃつけるのは相当の猛者だと思うわ。見た目がよければ全てよしってお嬢様もいるかもしれないけど、なんとなくユーゴはそういう女の子を避ける気がするのだ。


(やっぱり空耳ね)


 残念ながらフロントに人がいなかったから、連絡箱にメモだけ残して部屋の前に戻り、ドアの前で誰か来てくれるのを待った。来てくれたのがホテルマンじゃなく、ニーナのお兄様とその友人だったことには驚いたけど。



「ロキシー、そんなところで膝を抱えて座ってると風邪をひくぞ」

「トーマ? どうしてここに?」

「ニーナに様子を見てきてと頼まれたんだが、来て正解だったみたいだな」


 ぶっきらぼうな口調にもかかわらず、心配してくれたことが分かる声と目に、私は心底ほっとした。

 ニーナの大きいお兄様こと一番上の兄であるトーマは私の九つ年上で、昨日行った美術館で警護をしていた騎士だ。

 彼らの父親に似たがっしりとした体躯の、どちらかと言えば武骨な印象の男性。話し方だけなら学園にいる時のユーゴみたいだけど、大きな違いは、面倒見がよくて頼りがいがあると言うところだろうか。会った回数で言えばそれほど多くないにもかかわらず、ありていに言ってしまえば、実の兄よりもお兄ちゃんな感じがする人だ。


 うちの兄は小さいころから私に無関心というか、距離を置かれているというか、少し壁を感じる人だったりする。そんな兄だから、サロメのことを相談したり訴えたりしたこともない。仲が悪いわけではないんだけど、言うだけ無駄だと思うから。兄というより、物静かで真面目な親戚みたいな感覚の方が近いかしら。

 年が離れてるから仕方ないのかもと思ったけど、ニーナのところみたいな仲睦まじい兄妹もいるから人によるのだろう。


 トーマと一緒にいる男性は彼の古い友人で、学園時代の同級生らしい。ニーナが言っていた、けっこう偉いというお客様かしら。

 影の方にいるせいで顔はよく見えないけれど、パッと見た感じ少し軽薄なチャラい感じはするものの、モテるんだろうなと感じる甘い雰囲気の偉丈夫。なのに今は困ったなというように眉を下げて、私の背にある扉の向こうを気にしているのが分かり、私は内心首を傾げた。

 でもトーマはそれに気づいていないのか、私が立つのに手を貸しながら「で?」と、扉へ向かって顎をしゃくる。


「その酔っぱらいは部屋ん中か? ちょうどフロントから人が来るところだったけど、女性だったからな。代わりにやっておとくと言って帰らせておいた」

「そうなの? ありがとう。助かります」


 これが他の人なら断るところだが、オーナーの甥であるトーマなら問題ないだろう。昨日美術館警護を担当していたのも、最初からユーゴの正体を知らされていたからのだと、今ならわかるし。

 素直に礼を言うと、トーマは小さく微笑んだ。


「絡まれたり、嫌なことをされたりはしなかったか?」


 多分大丈夫だろうが、でも心配。そんな雰囲気のトーマと、少しギクッとした感じのご友人に、私は「大丈夫」だと頷いた。

(寝ぼけて抱き着かれたのはノーカンにしておくわ)

 バレたら恥ずかしいし、多分彼の立場上よろしくないとも思うし。


「大丈夫。歩きながら寝ちゃっただけだから」


 肩をすくめ、暗に支えて歩くにもホテルまでは無理だったことを示す。するとトーマは目を優しく細めた。


「重かっただろう? がんばったな」


(優しい。やっぱりうちのお兄様と交換したいわ)


 ニーナが羨ましいなんて思っていると、トーマの友人が頭を下げ、小さく「申し訳ない」と言う。その声を聞いた瞬間に彼の正体が分かった。


(あ、伯爵!)

 二十七歳で十八歳のお父さん役を違和感なくこなしていた、本物のフォルカー様だ。全然雰囲気が違うからわからなかった!



 本物のフォルカー様(以下、ややこしいので伯爵にしよう)の話によると、ユーゴが強いお酒を飲んでしまったのは彼のせいらしい。トーマのフォローによると、みんなで調子に乗ってしまったところが大きいようだけど、飲み合わせが悪かったらしい。


 私の部屋のソファで眠っていたユーゴを伯爵がたたき起こしたけど、一瞬寝ぼけてるのか普段のユーゴ化してて吹き出しそうになってしまった。

 そうそう。寝起き、少しだけ悪いんだよね。


 結局トーマが担ぐようにして部屋まで送っていった。




「で、ロキシーさん」


 ホテルのフロント付近でトーマたちを見送った後、私はロビーの隅にあるソファ席まで伯爵に連れていかれた。

 彼がトーマにユーゴを託した時点で、何か話があるのだろうと思ったのだ。とはいえ、私は伯爵を何と呼んだらいいのだろう。だって、今の彼はトーマの友人フォルカー・ヴィブロン伯爵であって、昨日私が案内したウィッケ伯爵ではないんだもの。


 伯爵としても、別人として私に遭遇するのは想定外だっただろう。あくまで彼は、旧友であるトーマたちの家に遊びに行っていただけなのだから。

 伯爵のほうも呼び止めたはいいけれど、今の姿で私と面識があるのはおかしいと気づいたのだろう。うん、色々ややこしいわよね。


 私は少しだけ考え、小さく息をついた。ガイドとしては、お客様のお忍びの旅を楽しんでもらいたいもの。


「伯爵」

「ん?」

 紹介がまだなのに、私がそう呼んだことが不思議だったのだろう。怪訝そうな伯爵の顔を、私は真っすぐ見つめた。

「私はこのことを決して口外いたしませんので、ご安心ください」


 そう言って私は左手をお腹に、右のこぶしは胸の中央に当てて軽く一礼する。

 これはユーゴ達の母国、オーディアでは約束の印だ。仕草としては、この約束に心臓をかけるみたいなことになるけれど、実際にはそれほど大きな意味合いはない。この国における指切りを丁寧にしたみたいなもの。

 軽く眉毛をあげた伯爵に、私は人差し指を立て唇にあてて見せた。


   ◆


 伯爵には、私がユーゴと同じ学園生であることを打ち明けた。そして伯爵が昨日、彼の父親役をしていたことも気づいたことも。


 相手の身分には触れず、あくまで知り合いだってことに気づいてたが、私は【同級生のユーゴと、彼の親戚か友人がお忍び旅行をしてる】のだと思っている――と言う形におさめたのだ。


「私のことはユーゴには気づかれてないと思いますので、内緒にしていて下さい」


 そうお願いすると興味深そうな顔をされたけど、「学園にいる時とは全然違う姿なので恥ずかしいから」と言えば、「なるほど」と頷いてくれた。


 変装がお上手なので、何か思うところがあったのかもしれない。笑顔が甘いので元々女の子に親切なだけかもしれないけれど。

 確認の為だろう。伯爵から「君の本名を聞いても?」と聞かれ、そこは素直に答えた。


「ロクサーヌ・マリー・ジオラス・ガウラと申します」


 学園ではロクサーヌ・ガウラだけど、第二の名前セカンドネームと女性だけが受け継ぐ母方の姓も入れたフルネームを名乗ったのは、一方的に彼らの正体を知ってるのが申し訳なくなったからかもしれない。


 まあ、私がフルネームを名乗ったところで何もないわけだけど。

 ……ない、わよね? 身分違いだとか無礼だとかって、怒られないよね?

 トーマと伯爵だって国と身分を超えてお友達なんだし。


 ちょっとドキドキしていると、伯爵は「……マリー・ジオラス」と小さく呟いた。フルネームをしっかり覚える気満々らしい。

 そんなに覚えるほどのものでもないんですけど。


 少し心配になったけど、伯爵は咀嚼するかのように数泊置いてから、「わかった」としっかり頷いた。


 すっごい笑顔なんですけど、なんで?

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