第16話 ウソでしょ?
後ろ姿なのに、なんで私に気づいたの?
とか、
まだメイクは落としてなかったわよね?
とか――
一瞬だけ脳内に嵐が吹き荒れたし、心臓バクバクしてるけど、振り向いた時の顔は通常運転だ。
何でもない風にユーゴ、もといフォルカー様の姿を認めた私は、ガイド・ロキシーの顔で穏やかにほほ笑んだ。
「あら、フォルカー様。こんばんは、お一人ですか?」
本音を言えば、昨日とは違い、少し髪を崩したフォルカー様の色気に当てられそうになったけど、もちろん顔には出さない。出せるわけがない。というか、ほんっとに、いつものもっさりユーゴが恋しくなる日が来るとは思わなかったわ。仕事外で美男子――しかも王子様ですって⁈――の対応なんて、現実味が薄すぎるでしょう。
でも相手は夢でも幻でもなくお客様。
いくら今が時間外でも、感じよく対応しなきゃいけないのです。
そんな私に彼は「こんばんは」と挨拶を返し、街灯の下で少し首をかしげるようにして微笑んだ。
「うん、一人。俺だけ先にホテルに戻ろうかと思って」
ご両親(本当は叔父様と叔母様ね)はまだ友人宅だと話すフォルカー様は、どこかふわふわしていて、私は内心首をかしげる。普段のユーゴと昨日のフォルカー様はずいぶん違ったけど、それとは別に違和感を覚えたのだ。
体調が悪いのかしら。
心配になって素早く彼を観察すると、街灯の下でも機嫌のよさそうなフォルカー様の顔がほんのり赤いのが分かる。それはお酒を飲んで機嫌よくなってる人を思わせ、私は思わず目をぱちくりとさせた。
「フォルカー様、酔ってます?」
「ああ、うん。ちょっとした手違いで、強いのを飲んじゃってね」
それで先に帰ることにしたんだと言う彼のそばまで、私は急いで駆けあがった。
ユーゴは十八だからオーディアでは成人扱いだし、どちら国の法律でも飲酒は問題ない。けれど、ピアスのない彼が酔っているのを誰かに見られるのは、ここでは少しまずいかもしれない。
彼が外国人だとは見た目では分からないじゃない。もしここで
それは、せっかくお忍びを楽しんでいる彼の本望ではないわよね。
「ではホテルまでお送りしますね」
ここはさっさとホテルに放り込むのが一番だと判断した私がそう提案すると、フォルカー様は少し面白そうに笑った。
「普通は逆じゃないかな」
「いいえ。お客様をお送りするのも仕事のうちですわ」
(時間外だけどね)
途中まで帰り道が一緒なのだと言えば、フォルカー様も「それなら」と頷いてくれる。
ホテルまでは、普段に歩けば私でも十分程度の距離だ。ふたりで自然にしていれば、呼び止められることもないでしょう?
当たり前のように差し出された彼の肘に素直に手をかけてから、自分の無意識の行動にハッとした。あまりにも彼の仕草が自然で、こうするのが普通みたいに感じてしまったのだと思う。
「行きましょうか」と微笑んだフォルカー様に笑顔を返しつつ、私の顔が赤くなってないことを祈るしかない。これは仕事と呪文のように唱える。
(それに今日、エスコートの練習に付き合えなかったお詫びみたいなものよね? 無意識にそう考えたに違いないわ。会長相手ではエスコートできないと言われたってさっき聞いたし)
ふいに、フォルカー様がお髭の会長をエスコートする姿が思い浮かんで吹きそうになったけど、怪訝そうな彼ににっこり笑ってごまかす。なぜか彼の頬の赤みが濃くなったような気もするけれど、気のせいだろう。
今日のことを聞いたり聞かれたりしながらのんびり歩いていると、どんどんフォルカー様の足取りが重くなってきた。
(まずいわ。酔いが回ってきたのかも)
ちらりと彼の顔を見て見れば、かなり眠そうなのを耐えているのが見て取れる。
それは昔、うちに遊びに来た時お兄様のお友達がお酒を飲みすぎたときに似ていて、早く彼を部屋に放り込まなきゃと焦った。
「フォルカー様、もうすぐですよ」
(そう、あと三分、ううん、あと一分でいいから頑張って!)
「ん……」
(あ、たぶんダメだわ)
私が借りた部屋とホテルの位置を入れ替えられたらいいのに。
ホテルの敷地に入ったせいか、タイミングの問題か、まわりに人気がなくなり、私はホテルまでの距離を目で測ってため息をついた。
(私の部屋なら目の前なのに……)
すーっと息を吐く音が聞こえ、ずっしりと体重がかかってくる。完全に立ったまま寝てしまったみたいだ。一応歩こうとはしてるから、一割程度は意識があるのかもしれないけれど。
はっきり言ってかなり重い。
でもここで放り出すわけにはいかない。だからと言って人を呼ぼうにも、ぎりぎりで支えてるのだ。大の男を担いでいくなんて無理。
(だいたい私が小柄な女の子だったらつぶされてるわよ?)
そう思って小さく息をつくと、私はフォルカー様を励ましながら方向を変えて自分の部屋に向った。
一見飾りのような壁の向こうが二階建ての寮で、私が今夜借りている部屋は一階の奥なのだ。
とりあえず私の部屋に放り込もう。
今はフォルカー様だけど、普段のユーゴなら床に転がしておいても文句は言わないでしょうから、それに賭ける。
そしたらホテルまで走って、誰か人を呼べばいい。従業員なら、酔っ払いを部屋まで送るなんてことはきっと珍しくないはず。
どうにか鍵を開けて彼を部屋に押し込み、床ではなく一番手近にあったソファに転がした私は優しいと思う。
「フォルカー様、人を呼んできますから少し待っててくださいね」
一声かけてから玄関に向おうとしたのに、突然伸びてきた彼の腕に捕まえられてしまった。勢い余ってユーゴのすぐそばに尻もちをついてしまう。
一瞬何が起こったのか分からなかったけど、ウエストに回ってる腕と、気持ちよさそうに寝息を立て始めているユーゴの顔を見てがっくりと肩を落とした。
「ウソでしょ?」
たぶん寝ぼけてるであろうユーゴの腕を引き離そうとするのに、がっちり巻き付いてとれやしない。彼は眠ってるし私も苦しくないから、そんなに力が入ってるわけじゃないと思うのになぜ? って感じ。
「勘弁して」
一晩二人きりで過ごしたからと言って、何も起こらないのは分かってる。でも今は、学生のロクサーヌとユーゴではない。フォルカー伯爵令息とガイドのロキシー。不慮の事故でユーゴと一晩過ごした時とは状況が違うのだ。
一生独身になりそうな私と違って、フォルカー様の醜聞は絶対にまずいはず。
このままにするわけにはいかない。いかないって分かってるんだけど――
「フォルカー様、はなして下さい」
彼の手をテチテチと叩いてみる。反応はない。
すやすやと眠る顔はなぜか幸せそうで、なんだかがっくりと力が抜ける。
顔にかかった前髪が邪魔そうで指先でさらっと払ってあげると、ユーゴが小さく何かつぶやいて、眠ったまま微笑んだ。
「っ!」
心臓の音がうるさいのは、さっきびっくりしたせいだ。
一瞬可愛いなんて思ってしまったのは、何かの間違い。
(今ロクサーヌって呼ばれた気がするけど、それも絶対空耳だし!)
バレてない。ぜったいバレてないはず。
身じろぎすると一瞬彼の腕がゆるむ。
私は転がるようにして彼から離れた。
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