第15話 知らなかったの?

 ギヨームの母親とは、それほど会ったことがない。

 でも悲しいくらい好かれてはいなかったわね。もしかすると、会う前からすでに嫌われてたのかもしれない。


 そりゃね、一人息子が望んだとはいえ、私は幼すぎたし地味過ぎたんでしょう。彼女が息子の妻に望んだのは、輝くばかりの金髪をもつ、顔立ちも華やかな女性だったんだもの。


 でも私からしたら、なんで金髪じゃないのかなんて言われても困るわけよ。こればかりは生まれつきで仕方がないじゃない。

 お兄様やセビーは、父親似の明るめの茶髪だからまだいいらしい。でも私の髪は赤みがかかっていて、それがとにかく気に入らないと言われた。

 だから赤みが目立たないよう、いつも髪をきつく編んでたのよね。


 それでも当時は父親が決めたことだし、私なりに頑張ろうって無駄に張り切ってたのだ。十歳年上の婚約者を、はじめは頼もしいと考えてたんだもの。幻想だったけど。


 彼は全然盾にはなってくれなかったし、年を追うごとに、母親をあしらうのも煩わしいという態度を隠さなくなった。

 私が成長して彼の好みから外れたらしいことで、色々めんどくさくなったのかもしれない。勝手よね。

 そこに彼の好みにドストライクだったピピさんが現れ、ころっと手のひらを返したわけだ。


(わぁ。難しい課題が解けた時みたいだわ)


 なんだか最後のもやが晴れたように感じる。

 でもスッキリした私とは反対に、ピピさんは困ったような笑みを浮かべて、またまた意外なことを言った。


「彼となら安全だと思って承諾したのよ。仕事の上でもメリットがあったし。まさか彼に婚約者がいたとは思わなかったけど……」

「えっ?」

(知らなかったの?)


「驚くでしょう? 一度会ったけど、真面目そうな綺麗な子だったのよ。ロキシーさんより、少し年下って感じかしらね」

「そうなのですね」


 若く見えたのはともかく、綺麗だなんて、お世辞でも聞き慣れない誉め言葉に頬が熱くなってしまう。相手は本人に言ってるなんて全く思ってないわけだし。


「あら、暑い? 窓を少し開けたほうがいいわね」


 気遣ってくれる彼女に遠慮しながら、なんでもないことのようにその時のことを聞いてみた。あくまで世間話風でね。だって、気になるじゃない。


「そうねぇ。その婚約者さんが、予想外に若かったのも少し驚いたのよ。元々話を持ってきた彼のお母様が言うには、彼女がどうしても結婚したいって駄々をこねて婚約したなんてことだったし」


(ないです、ないです! 最悪! 小さい頃だって駄々をこねたことなんてないわ!)


「そんな、わがままそうな子だったんですか?」


 思わずそう聞いてみると、彼女はあっさり首を振って否定した。


「全然。私も子供を育てたし、そのお友達だって見てきたけど、どちらかといえば、自分の言いたいことを飲み込んで相手を気遣ってしまう感じに見えたわ。むしろ駄々をこねたのは彼の方じゃないかしら? って」


(あたりです! 絶対結婚したいって、しつこいくらいに食い下がって来たのは彼の方です!)


 頷きまくりたいのにできないのがつらい……。


「――相手次第では、この話はなかったことにするつもりだったの。当然よね。おかしいもの。でもね、黙ってた」

「どうしてですか?」

「だって、このまま婚約者さんがこの人と結婚したら、彼女にとってはすごく損じゃないかしら? って思ったのよ」


(えっ? 損?)


 意味が分からず、私は無意識に首をかしげていたらしい。ピピさんは困ったような顔で小さく笑った。


「傍から見れば身勝手な言い分よね? 彼女からすれば泥棒も同然ですもの。でもね、本当にそう思ったのよ。意志の強そうな目が素敵なお嬢さんだったし、こんな子を彼に嫁がせるにはもったいないって、母親みたいな気分になっちゃって。おかしいわよね? でもね、そう思ったら天啓みたいに――ああ、この子はこの先いいご縁があるって確信したの。言い訳に聞こえるかもしれないけど、私、こういう勘がとても当たるのよ」


 いい縁に関しては分からないけれど、あの日、彼女が私に向けていた優しい笑みの意味が分かった気がした。あの時は悲しいだけだったけど、あの日の若く見えるメイクや服も彼の希望だったと聞いて、少しだけ同情してしまう。普通でも十分きれいなのに。


「――でね、彼の大袈裟な物言いがおかしかったのよ。心の中では、この男は少し情けないなと呆れてたんだけど。でもまあその分、私みたいなお姉さんが、手のひらで転がしておくくらいがちょうどいいって思って、黙ってたの」


 そう言ったピピさんは、おどけるように少しだけ目を丸くした後、優しく微笑んだ。


「考えてもみて? ロキシーさんだって、意地悪なおじさんに結婚を迫られても嫌でしょ?」

「っ! そ、そうです、ね。それは嫌ですね! うん、嫌だわ」


 下手くそな舞台俳優のようだったにギヨームの姿を再現するピピさんに、実はずっと腹筋が鍛えられて大変だったんだけど、今度こそ我慢できなくて小さく吹き出してしまった。


「すみません。ピピさんの婚約者様のことなのに」

「いいえ、問題ないわ。可愛いところもある人ですもの。何より大事なのは、この子の安全だしね」


(そうね。自分の子じゃない子を受け入れるという点では、ちょっと見直してしまうかな。彼女に少女みたいな格好を押し付ける趣味はどうかと思うけど、ピピさんも許容範囲だと笑ってるし)


 その後も面白い話は続いたのだけど、一番笑いをこらえるのが大変だったのは、――直接的な表現ではなかったとはいえ――、今度の結婚相手(つまりギヨームね)が酔って、結婚前に彼女と深い関係を持ったと思い込んだという話だった。


 茶目っ気たっぷりに、ここにいない誰かさんのあごをひと撫でする真似をする彼女の色っぽさを見ると、たしかにコロッと騙されそうな気もする。きっとこの調子でギヨームをコロコロ転がしてるのだろう。

 ピピさんは、調子に乗って話しすぎてしまったと苦笑したけれど、私としては大収穫だ。我ながら性格悪いとは思うんだけど――


(すっごく痛快)


「ロキシーさんも若いから言うんだけどね。女の子は安売りしちゃだめよ? 絶対あなたを大切にしてくれる人は現れるし、貞操は結婚するまで守って当たり前。女の子ばかりリスクを負う必要なんてないのよ」

「そうですよね。同感です」


 真面目に話す彼女の真剣な目に、私は深く頷いた。


   ◆


 予想もしなかった一日を思い返しながら、ぬるくなったお茶を一気に飲み干す。


 あのあとホルガーくんが目を覚ましたから、残り僅かな時間はおもちゃ屋へご案内した。この町でも人気のあるそこは、木のおもちゃと布絵本の専門店で、ホルガーくんが大喜びだったの。

 あくまで予備プランの一つだったんだけど、ホルガーくんがずっと、

「連れてきてくれてありがとう」

って言いながら、全身で嬉しそうに遊ぶ姿が本当に可愛かった。


 お子様連れにお勧めのプランではあったけれど、その様子もしっかり報告書に記載しちゃったわ。小さな子がいる時のプランは難しいから、気になることやいいところは、常にチェックしなきゃいけないらしいからね。



 私が座っている中央階段を、お酒を飲んできたのか、鼻歌交じりの男性や、楽しそうな男女が通り過ぎていった。服装からして観光客っぽい。


 さりげなくそれを見送って、私はカップをバスケットの中にしまった。お茶もおいしかったけど、自社開発だというこのカップもお洒落で人気なのよね。保温性が高くて割れにくいし、マイカップとして持っていけば少し料金も安くなる。

 私が利用したのは今回が初めてなんだけど、みんなが好んで通う理由が分かった気がするわ。


(開発と言えば、あれもびっくりだったな)



 あれは、もうすぐホテルに着くという頃。

 ピピさんが大ぶりのピアスを引っ張るように外すのを見て、思わず小さく悲鳴をあげそうになったこと思い出し、小さくぶるっと震える。

 だって、耳たぶが引きちぎれるって思うじゃない。


 でもそれに気づいたピピさんが見せてくれたのは、見たことのないタイプのピアスだった。


「これは、磁石でくっついてるんですか?」


 初めて見る形のピアスは、二つの部品に磁石が付き、耳を挟む形で使うものみたいだ。


「あたり。私はピアスをすると、すぐ膿んでしまって大変なのよ。治療してると穴もふさがっちゃうし。これは前の夫の発明品でね。これのおかげで悩みが解消したの。前の奥さんも同じ体質で、彼女のために考えていたんですって」


 既に故人だという何番目かの夫はかなり年上だったらしい。この発明は今はピピさん自身の事業で扱う商品の一つでもあるのだそうだ。


 成人式で耳にピアスホールを開けるのは、今まで守ってくれていた守護を返し、大人として新たな守りを得るって意味なんかがあるんだけど、ピアスを付け続けるのは体質で合わない人もいるのよね。これはすごいわ。


(あ、やっぱりあの時はピアスはなかったんだわ)


 私が一人で納得していると、ピピさんは磁石付きピアスを気に入ったと思ったらしい。バッグをごそごそと探ると、予備だったらしい未使用のピアスを、かなり強引に私にプレゼントしてくれた。

 頂くわけにはいかないと固辞したものの、「たしか、感謝を意味する小さなプレゼントは認められているはずよね?」と言われてしまえば、断れるわけもない。

 だって、ガイドとしては嬉しいことだもの。


 成人までつけることはできなし、そもそもロクサーヌとしてはつけられないと思うんだけど、それはそれよね。


 本当だったら、一番のびっくり案件だったはずのピピさんとの一日。でもそれを思い返すことで、ユーゴの正体を知って混乱した頭を整理するというのも変な話。でも実際すっきりしたし、明日も何も知らない顔で仕事ができるだろう。


「さて、そろそろ部屋に戻るとしましょうか」


 そう呟いてゆっくり立ち上がった時だった。


「あれ? ロキシーさん?」


 後ろから掛けられた声にドキッと心臓が大きく跳ねる。


(この声はユーゴ⁉)

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