第10話 驚くことって続くのね?①
夜の帳が下りると、町は一気に表情を変える。明りの灯った窓や街灯を眺めるのは、ちょっと特別感があって好きだ。
情報過多でプスプス燻りそうな頭の中を整理するには、適度なざわめきの中に一人でいるが最適だったりするのよね。
(昨日ユーゴの姿に驚いたことなんて、驚いたうちに入らなかったわ)
そんな風に思ってしまうほど今日のことは衝撃的で、正直許容オーバー気味だ。世の中って摩訶不思議。こうして静かな時間を過ごすことが出来るのは、本当にありがたいとしみじみ思った。
「ニーナとすれ違わなくてよかったわ」
中央広場の階段を椅子代わりに座り込み、手に持ってた持ち帰り用のお茶を一口飲む。
もし義姉にでも見られたら行儀に関してたっぷり嫌味を言われそうだけど、今は一人だもの。ここに座るのは観光客の醍醐味だしね。私は観光客じゃないけど、それはおいておいて。
ちょうど階段中央あたりで通行の邪魔にならない端のほうに座ると、ちょうど劇場や市場が見える。その風景はいつ見てもワクワクするもので、ボンヤリ考え事をするにはちょうどいいと思ったのだ。次は名物のアイスも食べてみたいな。
ニーナが観光協会の事務所に駆け込んできたのは、私が日報を提出してちょうど帰宅しようと思っていたところだった。淡々と事務的に書いたけど時間がかかってしまい、少し遅い時間だったのだ。
「よかったロキシー、まだ帰ってなかった。今日は家に帰っちゃダメ!」
肩で大きく息をしながら話すニーナは、タチアナ母様とセビーから頼まれて急いできてくれたそうだ。
「今、おうちにサロメが来てるの」
「お
思わず眉が寄ってしまうのは、きっと縁談のことだと思ったからだ。舞踏会と卒業式典が終わったら、一度実家に帰らなきゃいけなかったし、そうするつもりではいたんだけど、まさかこっちに来るとは思わなかった。
「今はタチアナ様たちが相手してるし、みんなでかなりチヤホヤしてるから大丈夫なんだけど、ロキシーはおうちに帰らない方がいいらしいの。今仕事で遠方に出てるって言ったらニヤニヤしてたってセビーが言ってたし」
私が馬車馬のように働かされてると想像してるのだろう。ご満悦な顔で女王様のように過ごしているサロメの姿が目に浮かぶ。タチアナ母様たちに任せておけば、このまま機嫌よく帰ってくれるかもしれない。
そう考えれば少しホッとするものの、さて、いったい今夜はどこで寝たら? と近隣の宿について考え始めた私に、ニーナが申し訳なさそうな顔をした。
「うちに泊めてあげたかったんだけど、今夜急にお客様が来ることになってしまったの。大きいお兄様のお友達なんだけど、けっこう偉い人らしくて、今家じゅう準備でバタバタしてるのよ。ロキシーがお泊りしてくれるなら大歓迎だったんだけど」
せっかくのパジャマパーティーのチャンスがと悔しそうなニーナに、それはまた今度ねと微笑む。メイドが急いで準備してくれたという、一泊分の私の荷物も預かってきてくれたのだ。感謝しかない。
「ありがとう、ニーナ」
「ううん。でね、伯母さんに聞いたら広場西のホテルに予備の部屋があるから、今日はそこに泊まっていいって。なんなら何日かいてもいいって言ってたよ」
ニーナの伯母さんというのは会長の奥さんのことだ。観光協会提携のホテルを経営しているんだけど。
「ちょっと待って、高級ホテルじゃない。そんなところ泊るお金持ってないわ」
しかもユーゴ達が泊ってるホテル! 無理無理。無理です。
「心配しないで。臨時の従業員が仮で寝泊まりできるほうのお部屋だって言ってたから、客室ではないの。簡易的なお風呂とキッチンもついてるし、隠れるのはちょうどいいと思うのよ。それに今日伯父様に無理な仕事押し付けられたんでしょ? 明日も仕事なんだし、ゆっくり休まなきゃ」
あ、なるほど。それなら。
「そうね。甘えようかな」
今日入った急な仕事は色々な意味で驚いたけど、明日はまた予定通り伯爵一家のガイドだ。最終日だし、気を抜くことはできない。誰かに甘えることは苦手だけど、下手な遠慮はかえって失礼になるものね。
ちなみに今日の伯爵家の案内は会長自らが担当したんだけど、めったに現場に出ない会長の方こそ大変だったかもしれない……。
「ま、俺が行くのが無難だったからなぁ。明日はまた頼むよ。俺じゃエスコートできないって言われちまったわ」
お髭の似合うおじ様である会長を、あのフォルカー様がエスコートする図を想像してクスクス笑ったけど、実は会長の手元の書類が一瞬だけ見えて、頭が真っ白になっていたのは内緒だ。
誰もあの一瞬で、走り書きのオーディア語を読めるとは誰も思わないだろう。
でも私は読めてしまったし、色々な情報を瞬時につなぎ合わせて、会長自らが案内に出た理由にも納得してしまったのだ。
見えてしまったのは伯爵一家三人の名前、つまり本名だ。
フォルカー・ヴィブロン伯爵及びシルヴィア・ヴィブロン。
そしてライナー・ヒュー・オーディア。
頭の中で瞬時にオーディア関連の書籍のページが開き、王妹のシルヴィア王女とその夫である氷結の竜騎士団のヴィブロン団長、そして王女の甥であり現第三王子殿下のライナー殿下の情報が浮かんでしまった。
三人とも、それほど情報が流通している人物ではない。でも近隣諸国について常に学んでいたのだ。名前や新聞などに出てた肖像画はすぐ浮かぶし、思い返せば特徴は一致する。
ユーゴが実は身分が高い人らしいって予想はしてた。
それでもまさか三年間知っていたと思ってた人が、隣国の王子様だったなんて思うわけないじゃない。
第三王子のライナー殿下の名前を思い出してみれば、母親からもらう方の
それにライナー殿下は私と同い年だけど、シルヴィア様はまだ二十五歳よ?
とはいえ、ユーゴがあれだけ変身するのだ。まだ二十代のヴィブロン夫妻のあの姿にも妙な説得力がある。
(ユーゴが王子様だったことも衝撃だけど、ご両親だと思ってたふたりの若さにめまいがするわ)
軽く目を閉じると、昨日釣り上げた魚を満面の笑みで見せてくれたユーゴの姿が浮かぶ。それは子どもっぽくて楽しそうで、思わずドキッとしてしまうような無邪気な顔だったの。
家族の前だとあんな表情をするんだ、なんてびっくりしたんだけど、その後もずっと私の方へ笑顔を向けられてれば嫌でも認めざるを得ない。シビラ様も言っていたけれど、思い込みでも勘違いでもなく、フォルカー様は、「ガイドのロキシー」をとても気に入っている。もう、あからさまなくらい。
無表情のユーゴよ戻ってきて~と、心の中であの不愛想が懐かしくなったわよ。
エスコートは丁寧だし、これが普通のお嬢様なら絶対勘違いするくらいの甘い視線にいたたまれなくなったけど、伯爵様が小さく肩をすくめて教えてくれたことによると、彼は全く自覚していないらしい。
なんとなくそんな気がしてたのでホッとしてしまったわ。
フォルカー様、素だと天性のたらしでしたか。王子様って、恐ろしい。
ますます正体ばれたくないと本気で考えてしまったわ。お互い気まずくなりそうだもの。
(ま、おかげで今日のびっくり案件も全部吹き飛んだけどね)
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