幕間 フォルカー(本物)視点①

「まさに行楽日和だな。来てよかっただろ、ユーゴ」


 甥にしか聞こえない声で話しかけると、釣り糸の先を見ていたユーゴは呆れたように苦笑した。


「誰かに聞こえたらどうするんですか。今は叔父……父上ではなく俺がフォルカーでしょう」


 偽名にふつう自分の名前を付けるかなぁ、などとぶつくさ言っているが、明らかに機嫌がいいのでニヤリとする。

 甥の偽名にわたしの名を使わせているのは、可愛いうっかりさんである妻シルヴィアのためだ。あまり慣れない名前だと間違えてしまうから。彼女の名前をシビラと、あまり本名とかけ離れないようにしているのも同じ理由だったりする。

 ま、馬車の中では何度も間違えてたがご愛敬。

 ユーゴもそれが分かってるから、この文句はただのポーズなのだ。


(もっとも、周りに人がいても、絶妙に会話が聞こえない配置にされてるから大丈夫なんだけどね)


 美術館警護の中にいた旧友に、心の中で親指を立てておく。

 相変わらず、しれっといい仕事をする男だ。


「はいはい、わが息子のフォルカーくん。楽しんでくれてるようで何よりだよ。あの美人のガイドさんのおかげかね?」


 茶化しつつ美術館テラスに視線を向ければ、妻に茶を付き合わされているショートカット美女の横顔を見ることが出来た。


「髪が短い女の子ってのもいいもんだねぇ。新鮮だし、美人で賢くてサイコー」


 めったにお目にかかれない斬新な髪型だと思ったものの、彼女にはよく似合ってるし間違いなく綺麗で可愛い。そんな女の子が一緒でラッキーだと思ったのは、わたしだけじゃないはずだ。


父上・・、鼻の下が伸びてるって叔……母上に言いつけますよ」


 睨まれてもふふんと笑い飛ばす。


「言えばいいさ。彼女も同じ気持ちだろうからね」


 あっさり言い返されたことにぐっと詰まるあたり、こいつもまだまだかわいいものだ。妻もわたしと同じくらい、可愛い女の子が好きなんだって忘れてるのかね?


「だいたいおまえだって、美人のガイドでよかったって思ってるんだろ? すっごく楽しそうだったもんなぁ?」


 若い女性ガイドにもかかわらず、ユーゴが当たり前に振舞っても普通に接してくれるうえ、案内がすこぶる面白いロキシーという女性は、大人っぽく見えるが年はユーゴとあまり変わらないだろう。

 女性に対して礼儀正しくふるまうユーゴだが、普通にしてるだけで相手がポーッとするのが常なので、彼女のあまりにも普通の態度はかなり新鮮だ。


「この国の女性はみんなこんな感じなのでは?」


 言外に、学園で唯一誰に対しても態度を変えなかった女学生ロクサーヌだけが例外じゃなかったんだと思ってるのが分かり、「そりゃ、ないな」と肩をすくめた。ロクサーヌという女の子のことは話でしか聞いたことがないが、そのお気に入りの女子と今日のガイドはかなり特別だと思うのだ。


「気づかれないよう周りを見てみろよ。お前を見てポーッとしてる女の子、一人や二人じゃないだろ」


 羨ましいねぇと言ってやりたいところだが、ユーゴがほんのわずか不快そうに眉をしかめたのが分かったので黙っておく。


「まあ、いつも通り気にしなきゃいいのさ。それよりうまい魚を釣るってロキシーさんに約束したんだろ? ――お、機嫌がなおったな。そうだな。今モテるならお魚さんの方がいいんだもんな?」


  ◆


 そんなこんなで、ノンビリ釣りを楽しむことにしたわたしウィッケ伯爵こと、本名フォルカー・ヴィブロンの特技は変装だ。


 実年齢は二十七歳だが、今日のように十八歳の青年ユーゴの父親役をしていても、よっぽど親しい相手以外なら違和感を抱かせないくらいの自信がある。

 学生時代もよく寮を抜け出しては町歩きを楽しんでいたが、今回久々に妻の甥であるユーゴの学園卒業前休暇を使い、かなり強引に旅行に出ることにしたのだ。


(表向きはわたしたちのお忍び旅行の同伴だって言っておいたけど、ま、半分嘘だってことはバレてるだろうな)


 今シビラと名乗っている妻は先王の末の姫で、現国王の妹シルヴィア王女だ。

 子どものころから可憐だったが、老けメイクを施しても可愛い自慢の妻である。少しとぼけているが、それも可愛い。

 まさかわたしが、この王女様と結婚する日が来るとは夢にも思わなかったが、驚くことに事実なのだ。

 だってさ、信じられるか?

 わたしは三男坊だから受け継ぐ爵位もない、ただの騎士だったんだぜ?


 そんな妻の兄の子、つまり王子であるユーゴは、本名をライナー・ヒュー・オーディアという。

 ユーゴというのは愛称で、今遊びに来ているフッルム国の読みでヒューのことだ。彼の母親である現王妃がフッルム出身の為、小さいころから愛称としてそう呼ばれていたんだ。


 第三王子として生を受けたユーゴは、上二人の王子と年が離れていることと見た目の愛らしさから、とても可愛がられた王子だと言えるだろう。


 幼少期から騎士に憧れていたというユーゴは、今思えば幼いなりに将来のことを考えていたのだろうな。早々に自分の進むべき道を決め、小さいころから鍛錬に参加していた姿は健気でもあったが、努力家で好ましい少年だった。

 顔も可愛いし、声も可愛いし、いつもニコニコしてるし、マジでかわいい坊やでね。王子として敬うべき立場ではあるが、普段わたしたち騎士団員からは可愛い弟分みたいに扱われていたんだ。


 そんなユーゴが親善を兼ねてフッルムに留学が決まったとき、なぜか昔から彼に懐かれていたわたしはある相談を受けた。


「は? 殿下、変装したいんですか?」

「うん。フォルカー得意でしょう? せっかく外国に行くんだから、違うものを色々見てみたいんだよね」


 なぜ特技がバレてるのかは置いておき—―――

 わたしは目の前にいる十五歳のユーゴを、上から下まで何度も見返した。


 このころのユーゴは男らしさが出てきたせいで、ご令嬢方からはすこぶる人気が高かった。王位継承権が遠いことからも、ユーゴは身近な王子様という感じだったのだろう。


 青年期前ということもあってまだ線は細いが、物腰は柔らかく、いつも笑顔。当然のように女性からの秋波はすさまじいものの、まるで気づいてないかのように振舞う様も、もし彼に見染められれば一途に想ってくれるのではと思わせるらしい。


 ま、それもあながち間違いではない。

 わが妻に言わせると、王族のものは総じて恋人に対して、ただひたすらに一途らしいのだ。

 政略結婚であってもそのあたりは十分配慮されるそうで、だからこそわたしもシルヴィアと結婚できたのだったりする。

 ただふと、相思相愛でなかったら大変なことになりそうだわな――という気もするが、皆夫婦仲が睦まじいので大丈夫なのだろう。たぶん。


 とはいえ、ユーゴが素の姿なら、どこへ出ても好ましく受け入れられることは間違いない。留学するのは私の出身校だが、ルール上、学生も教師も身分は公開されない学園なのだ。

 しかしなあ。

 身分を隠したところで、幼いころから厳しく躾けられて身についた所作も、天性の高貴なオーラも隠しようがないんですよ、王子。


 でも彼が望むものをゆっくり聞いていくと、望んでいるのはちやほやされることではないらしいので、思わず素で「は?」と声をあげそうになった。


 だって一度しかない青春時代だぞ?

 男ならモテたいよな? 可愛い女の子達にちやほやされたいよな?

 留学した時のわたしでさえ、女の子の黄色い声が絶えなくて天国だったのに!! どう考えても誰もが羨むであろう学生生活を、この王子はあえて捨てるっていうのか?


(――って、めちゃくちゃツッコミてえ)


 しかしその本音をぐっと飲みこみ、涙ものんで入念に準備を手伝った。

 結果。留学仕様の殿下は、もっさりとした見た目に超絶不愛想という、どこから見ても可愛さのかけらもないユーゴ・ヴァレルとなったのだ。自分でやっておいてなんだが、すげえな、おい。


 さすがにここまで変わるとは予想外だったが、我ながらいい仕事をしたと思えたのは、ユーゴがすこぶる満足そうだったからだ。もっさりしてても笑うと可愛いんだよ。

 理由は予想の斜め上だったけどな。


「見た目が変わるだけで、こんなにまわりの態度が変わるなんて!」


(あー。うん。それがそんなに新鮮かぁ。よかったな)

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