第9話 まさかね?

 そうして私は細心の注意を払いつつ、表向きは穏やかな笑顔で二階をご案内した後は一階をまわった。


 最初はどこか冷たさを隠しきれなかったフォルカー様だけど(ある意味通常運転だけどね)、だんだん面白そうに目を輝かせてきたし、一階を回り終わるころにはあきらかに上機嫌になっていた。彼が今後エスコートするであろう、女性らしいふるまいなんかも駆使した甲斐があるというものだわ。

 普段のロクサーヌならためらってしまったと思うけど、今の私は案内人ガイドのロキシーだもの。


 元々礼儀作法の成績はよかったし、学園にはお手本にできる令嬢がたくさんいたからね。私だって本気を出せばできるのよ。

 実技が苦手だったのは、男性の前だと無意識に遠慮する癖があっただけだったんだなと、なんだか遠い昔の事みたいに思ってしまう。

 あの頃の私、ほんとバカみたいだったわ。

 それに、もともとユーゴ相手なら小さく見せる必要もないし、仕事の上でもつまらない遠慮がいらないという点は大きかったよね。普通のご令嬢ならビクッとしちゃうような礼儀に欠く行動をされても、笑顔の奥でにらみを利かせるなんて芸当もできるし。


 もっとも、なぜかフォルカー様が笑いをこらえていた瞬間が何度かあった気もするけれど。—―――うん、あれは機嫌がよかっただけってことにしておきましょう。


 彼は元々所作がきれいなのよ。もっさりしてないだけで、それが本当に際立つの。

 だからこそ段々紳士らしくなっていくエスコートに、内心、血のつながらない姉とか近しい親戚みたいな気持ちになってきたんだけど……。


(バレたら色々な意味で怒られそうだから、お口は閉じておきましょ)




 午前はまずまずだとホッとしつつ、私は休憩のために湖に面したテラスにしつらえたテーブル席へと伯爵一家をご案内した。ここでお茶とリクエストのあった釣りを楽しんでいただいた後、釣った魚を使った昼食を摂って頂く予定なのだ。

 釣れなくてももちろん大丈夫。むしろ釣った魚を調理すると時間がかかるから、別に用意してというお客様も少なからずいる。


 でも伯爵とフォルカー様は、釣った魚を料理することをご希望らしい。

「大物を釣ってくるよ」

 そう言って伯爵はシビラ様に笑顔を向けた。それに柔らかい笑みを返すシビラ様の素敵なこと。


 一方フォルカー様も釣りの道具を確認すると、いたずらっぽい笑みを浮かべてこっちに視線を向けた。


「釣りは得意なんだ。期待してていいよ、ロキシーさん」

「はい。楽しみにしてますね」


 知ってるわなんて思いつつ、そつなく笑顔で返事をした私に、彼は「うん」と笑って湖に向った。

 あんなに可愛い顔もするのねぇなんて、ますますお姉ちゃんな気持ちになってくる。だって以前彼が釣りをした時は、低~い声で「いいから黙って座っとけ」の一言だったもの。ほかの女の子だったら泣いてたと思うわ。


 私は心の中で軽く肩をすくめながら、シビラ様に招かれて彼女の正面に座った。


 通常であれば、私はここでお茶をセッティングした後いったん下がって、裏で昼食兼休憩を摂ることになっていた。湖の周りにはエンゾーさんお勧めの屋台や軽食屋さんがあってね、安くておいしいランチが食べられるの。

 でも今回の依頼でそれはできないので、今はシビラ様の話し相手だ。


「ロキシーさん、本当に素敵な時間だったわ。まだ夢の中にいるみたいよ」


 少女のように目を輝かせるシビラ様は、釣りを楽しむ伯爵とフォルカー様に手を振ると私に向き直り、にっこりと笑った。


「この美術館のことは夫から聞いていて、一度訪れたいと思っていたの。美術品も景観も素晴らしいと聞いていたから。でもコレット夫人の話は興味深かったわ。――そうよね。現実にあったこと、なんだものね」


 最後だけ少し低い声になっていたのは、彼女自身にも何かしらの経験があったからなのだろうか。


 コレット夫人のことを知ってる人はたいてい、高貴な人に見染められて結婚した幸運な女性として見る。それこそおとぎ話の一つとして。

 でも実際には、そうなるまでに紆余曲折あったし、簡単に認められはしなかったのだ。そんなに結ばれたければジョエル七世は貴族の令嬢と結婚し、コレットを愛人にすれば万事解決だとされていたくらい。


 その昔、政略結婚が当たり前だったころは、結婚してから初めて恋愛ができるという文化があったのね。愛人という言葉は、当時としては恋人という意味合いだったくらいなのだ。だから当時としてはそれが当たり前の声で、頑として拒否したジョエル七世が異質に映ったことは想像に難くない。


 二階には、そんな彼が描いたコレットの肖像も残されている。

 手のひらに収まるような小さなそれは、色も塗られていないただの鉛筆画。でも、素朴なモスリンのワンピース姿のコレットの優しい笑顔に胸を震わせ、涙する女性のお客様は少なくない。

 シビラ様も目尻がうっすら赤く染まり目を潤ませ、結構長い時間見入っていたっけ。

 一階に降りてきたときには、他のお客様同様、夢からさめたような顔をされていた。


『芝居を夢中で見たような気持になる』『違う世界を旅して帰って来たみたいだ』

 それが、私がここを案内した後、お客様が口をそろえて言ってくださることだった。



「ねえロキシーさん」


 しばらく楽しそうに感想を語っていたシビラ様が紅茶でのどを潤した後、こてんと首をかしげて私を呼んだ。

 そうしていると、最初の印象よりずっと彼女が若く見えることに気づく。

 髪型やメイク、服装が落ち着いていることや、ユーゴと親子だという彼女の情報をいったん横に置いてしまうと、シビラ様は母親というよりも少し年の離れたユーゴのお姉さんくらいに見える。


(ユーゴにはお兄さんが二人いて、割と年上だって聞いたように思うんだけど)


 いったいシビラ様はいくつなのかしら?

 そんなことを考えながら返事をした私に、彼女は少しためらった後内緒話をするように身を寄せ、囁くように「ありがとう」と言って笑った。


「実はね、ここへはフォルカーを元気づけるために無理やり引っ張ってきたのよ。来てよかったわ」

「そうなのですね」


 不思議に思いつつ同じように囁き返すと、彼女はいたずらっ子のように笑った。


「これは女の子の内緒話よ。あの子、……失恋したのかも」


 とっさの感情が面に出ない質って、こういうとき助かる。


(失恋⁈ ユーゴが? 誰に? というか、あの朴念仁に好きな人がいたの?)


 あまりにもユーゴに馴染まない単語に驚いた私は、一度だけ瞬きをしたあと「はい」とだけ返事をした。これは同級生の話ではなく、お客様の話だから。

 聞いてもいいのかなぁと戸惑う私に、シビラ様はクスっと笑った。


「まあ実際、どうだったかはわからないのよ。私が勝手にそうだと感じただけだから」


(あ、なんだ。そうなのね)


「でもいつもと様子が違ってたのは確かなの。彼女に会いに行ったらって言ったら、否定もせず、すぐどこかに行ったんだもの。会えなかったみたいだけど」


(わあ、そんなことが。というか、ユーゴの姿で行ったのかしら? それともフォルカー様で? 会えなかったならどっちでも同じかな)


「だから今日、やっとあの子らしい姿を見られて、ロキシーさんにはとても感謝してるのよ。あんな顔久しぶり」

「恐れ入ります」


 そっかぁ。フォルカー様の方が素なのか。

 そう思うと不思議な気もするけれど、伯爵と一緒に釣りを楽しむ姿はとても気楽な感じで、なるほどという気もする。周りの女性からチラチラと視線を向けられているのも気づいてないみたいだ。むしろ慣れ切っている感じ。

 もしや学園でもっさりしていたのは、モテない為?


(まさかねぇ)


 そんな彼が誰かに懸想していたなんて想像もつかないけれど、同じ学園生なら離れ離れになって二度と会えない可能性が高くなるのだ。密かに応援してあげようかな。

 会いに行ったのであれば十中八九、舞踏会のパートナーの申し込みでしょう。

 わ、誰と踊るのかしら。

 今の姿なら、どのご令嬢が相手でも注目の的よね。


(はじめて舞踏会が楽しみだって思ったわ)

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