第8話 お嬢さまだったら泣くわよ?

「この館を建てたのはジョエル七世ですが、妻のコレット夫人とは身分違いでありながら、当時でも珍しい大恋愛の末の結婚でした。――正面、階段の踊り場にかかっている絵をご覧ください。湖を見下ろすように掛けてあるあの絵は、二人の婚礼を描いたエモーニェの作品です」


 まだほとんど観客のいない館内は、心地よい静けさに包まれている。

 まばらにいるお客様の何人かは、一般人のふりをしている騎士たちみたいだ(偶然ニーナの一番上のお兄様と目が合ってしまったけど、お仕事中だと分かってるのでしらんぷりです)。


 全体的に繊細で温かみある内装は、コレットの好みに合わて作らせたものだかららしい。毎年訪れるリピーターも多いのは、この落ち着いた空気感に惹かれてなのだろう。季節や時間によって色ガラスが照らす光のアートも素晴らしく、昔ここが「幽霊館」と呼ばれていたとは思えないさわやかさだ。

 もっとも「幽霊館」の話は地元民だけが知っていればいいということで、あえて話すことはないと言われているんだけどね。


 そんな城の一階には、ジョエル七世やその子孫が支援していた芸術家たちの作品を中心に展示してあり、二階はジョエル七世とコレットのロマンスや、当時の生活がうかがえる作りになっている。

 私は伯爵たちを伴って大階段を上がり、婚礼の絵画を鑑賞した後二階へと移動した。


 実は私の卒業研究はコレットをテーマにしていたの。

 ロマンスよりも彼女自身に興味があったことから、まわりからは女の子らしくないとか情緒がないとか散々言われたけど、偶然とはいえこうして喜ばれたり役に立っているからいいのです。

 とはいえ、お客様が求めてるのは一般的にはロマンス。ちゃんとそのあたりは考えてますよ。


(さあ、舞台の幕を開きましょうか)




「コレットは『おとぎ話を現実にした女性』とも言われていています。二人のロマンスが有名なおとぎ話、〈落窪おちくぼの灰かぶり少女サンドリーヌ〉通称サンドリヨンになぞらえられることも多いですね。サンドリヨンはご存じですか?」


 頷いていた伯爵とシビラ様には笑顔を向け、質問はフォルカー様に。

 サンドリヨンの舞台はオーディアと言われている。たぶん誰もが知っているだろうと思って聞いたことだけど、彼は軽く頷いて肯定した。


「ああ。たしか第二夫人の娘だったサンドリーヌが、母親の死をきっかけに父の本妻に預けられるが、継母たちとは折り合いが悪く冷遇される。しかし王子に見染められて結婚し、幸せになる――だったかな」

「そのとおりです、フォルカー様」


 穏やかな声だけど、ちょっと皮肉気なのは気付かなかったことにして、私はにっこりと笑った。


「――コレットは貴族ではなく大商人の娘でしたが、当時の一般的な貴族よりも裕福な家庭だったため、大変教養のある女性でした。

 ですが十三歳の時に、母親と生まれたばかりの妹が亡くなり、次いで仲の良かった兄が肺の病で亡くなりました。そのため残った兄弟の中で一番年上だったコレットが、残された弟妹の世話と家の切り盛りを一手に引き受けることになります。彼女は常に働きづめでした。

 十五歳の時に、父親が自身の幼馴染である未亡人イヴォンヌと再婚しましたが、コレットの生活は楽になるどころか更につらいものとなったそうです」


 継母や新しい姉たちの非情な扱いから弟妹を守っていたコレットは、度重なる苦労から実年齢よりも老けていたという。でも……


「――こちらのロケットに収められているのが、ジョエル七世が亡くなるまで身に着けていた、出会った当時のコレットの肖像になります」


 文机の上にあるガラスケースに飾られた小さな絵に、伯爵が「なるほど」と小さく頷き、夫人が「綺麗な方ねぇ」と楽しそうに呟いた。


 肖像画のコレットは、キラキラ光る湖を背にしはじけるような笑顔の可愛らしい女性だった。きっとジョエル七世の目には、彼女がこんな風に見えていたのだろう。


「一方ジョエル七世は大貴族の出ですが、元々優秀な兄が二人、姉が三人いる末っ子でした。大変自由で気さくな気質だった彼は、貴族の中にいるよりも町の中にいることの方が多かったそうです。

夏のある日、庶民の男友達と一緒にこの湖に遊びに来たジョエル七世は、ピクニックに来ていたコレットに出会いました。

コレットは家族のためにかいがいしく働いていたそうですが、そんな彼女を見た彼の日記には、朝露をまとう薔薇のように美しいコレットに一目で惹かれ、彼女と話しているうちに、たった一日でかけがいのない存在になったことが記されています。

何か月もかけてやっと彼女を口説き落としたときは、天にも昇る気持ちだったとも」


 この国が昔から薔薇の産地で有名なため、女性を薔薇になぞらえるのはお約束の誉め言葉だけど、ジョエル七世の表現は素直に綺麗だなと思う。


 でも熱心に開かれている日記のページを見つめる伯爵夫妻の後ろで、フォルカー様が小さく「ふん」と鼻を鳴らすのが聞こえた。たぶん彼のそばにいなければ気づかなかったくらい。それでもエスコートされてる女性が聞いたらギクッとするような冷たい響きで、ちょっと呆れてしまった。


(あなたねぇ。ここにいるのが私じゃなくて、本当にエスコートしているお嬢さまだったら泣くわよ? まったく)


 伯爵の依頼は正しかった。

 そんなことを考えつつチラリとフォルカー様を見ると、もしかしたらちょっと睨んでしまってたのかもしれない。彼はほんのちょっと目を見開くと、何事もなかったように優しい眼差しを見せたから。でも私はその前に一瞬、彼が自嘲するようにかすかに口の端をあげていたのをばっちり見てしまった。


 ちょっと悲しそうに見えて驚いてしまったけれど、いえいえ、まさか。そんなはずはないわよね。だってユーゴだもの。

 あの冷たい感じは、くだらないと思ってたとか、そんなところかしら。

 ご両親のことはあんなに優しい目で見ていたくせに。


 私は心の中で盛大にため息をついた。


 ええ、たしかに今の彼をそのへんのお嬢様の前に出すのは心配だわ。絶対泣かせる。間違いなく泣かせる!

 身分にあまり関係なく気楽に過ごせた学生の立場なら、いつもの塩対応も人気に拍車をかけるかもなんて思ったけど、社会でそれはダメよ。

 今後彼は、自国で結婚相手を探したりもするわけじゃない? 確か以前、婚約者はいないと言ってたはずだし。

 なまじ今の見た目だけは最高なだけにこんな態度を取られたら、深窓の令嬢なんかじゃ絶対傷つくわよ。最初は優しい眼差しに騙されてくれるかもしれないけれど、ユーゴがずっとそうするとはとても思えないもの。



 なんだかすっごく落ち着いた私は、(こうなったら、伯爵の期待に存分に応えましょう)と決意し、フォルカー様に笑顔を返した。

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