第3話 失恋したら髪を切る?③

 そんなふうに行動できたきっかけは、思えば隣のクラスのユーゴ・ヴァレルの一言だった。


 学園で腫れ物のように扱われる中、あきらかに「くだらない」という態度を隠さなかったユーゴに、

『あるはずだった将来が閉ざされたなら、違う扉を開けて全力で取り組めばいい』

 と、なんでもないことのように言われ、(それもそうね)と素直に思えたから。


 普段なら彼は首位を脅かしてくる手ごわいライバルだった。

 見た目は浅黒い肌に何か頭に生き物でも乗せてるかのようにもっさりした髪の、なんとも不思議な存在という感じのユーゴだけど、この時ばかりは割といい人のように思えたの。


 自分のすべてを否定されてる気持ちはまだ消えないけれど、明るい継母と可愛い弟のところなら、もっと前向きになれる。そんな気がしたのだ。


 それに私にとって継母であるタチアナは、実の母も同然の存在なのよ。

 実の母は私を生んで間もなく天に召されてしまい、まだ乳飲み子だった私の世話をするために父が再婚したのが彼女だと聞いている。

 うちより家柄のいい娘であったにもかかわらず彼女が結婚に同意したのは、父に一目ぼれをしたからだそうだ。

 二歳年下のセバスチャンが生まれた後も、彼女は三兄弟を平等に扱ってくれたし、愛情も注いでくれた。


 でも彼女が一番愛していた父の死。

 既婚者である兄が当主になれば、未亡人である母は当然出ていかなくてはいけない。

 裕福な実家に戻ることもできただろうけど、タチアナは唯一譲り受けた父の遺産であるこの小さな邸宅に移り住んだのだ。

 父が生きてた頃は毎年避暑に訪れていた街だからと、セバスチャンも一緒に。


 学園のある王都から離れているのに、弟があの婚約破棄を詳しく知っていたのは驚いたけど、私と入れ替わるように入学することになっているから、友人の誰かに聞いたのだろう。賑やかなのが好きなタチアナに似たのか、弟の人脈は謎に広いのだ。




「納得も何も、お兄様が決定したことよ」


 なんでもないことのように肩をすくめるけど、さすがにギヨームが最後に言ったことは聞いてないわよね? と、内心焦ってしまう。十五歳の子供に聞かせる話ではないもの。


 私にとって、結婚するまで清くあるのは至極しごく当然のことだったし、今もそう思ってる。


 でもよくよく思い返してみれば、彼が冗談交じりに私をベッドに誘ってきたことが何度もあった。あくまでいつもの「大人の冗談」というやつだと思っていたけれど。笑顔でお断りをするまでが一連の流れで、自分が大人になったような錯覚をしてたわけね。

 それも私の身長が一気に伸び始める前の話。


 とはいえセビーがこっそり舌打ちをして、「あのロリコン親父!」と不思議な悪態をついてるのが聞こえてしまったから、多分知ってるんだろうなとは思う。ロリコンが何なのかはさっぱり分からないけど、いつものセビー語――彼が小さなころから自作している不思議な言葉――の一つなのだろう。


 普段から、

「セバスチャンと呼ばないでくれと、いつも言ってるでしょう。執事にならなきゃいけない気分になる」

(おじいさまが付けてくれた名前のどこに執事要素が?)

とか、

「女の魅力ってのはアラサーからなんだよなぁ」

(アラサーってなに?)

 なんて不思議なことを言ってるし。


 セビーがニーナに恋してるって気づいてなかったら、姉様、あなたの恋愛面や婚期が心配になるところだったわよ。


 家族にしか言わないらしいから気にしてないけれど、よくあれこれ思いつくものだわ。



 そんなセビーが今、なぜ私の髪をいじっているかというと。昨日私がこの家についてすぐ、

『女の人って、失恋したなら髪を切るものなのでしょう? なら、わたしが切ってあげます』

 なんて、不思議なことを言い始めたからだ。


 失恋という言葉にちょっとカチンときたけれど、だからって髪を切るなんて話聞いたこともない。


 そもそも普通髪を切るときは理髪師を、パーティー用に複雑に髪を結い上げる時は髪結い師を呼ぶ。

 髪結い師は女性ばかりだし、メイド上がりの女性なんかが自立できる職業のひとつだけど、理髪師は刃物を使うため、国と神殿に認められたという資格が必要な職業だ。命を預けられるくらいの信用が必要だから。

 とはいえ、理髪師のほとんどが男性ばかりだし、お値段もそこそこ高いので独身の女性はめったに呼ばない。


 でも家族間で散髪するなら、資格がなくても特に問題はない。前髪なんかは姉妹で切り合うなんて話も普通だしね。

 セビーがこういうことに興味を持ってたということが、少しだけ意外だったけど。


(でもいいわ。どうせ私なんて名ばかりの駄作令嬢だもの。いっそグチャグチャにしてれたら、舞踏会を休むいい口実になるわね)


 そう思って快諾してしまった。

 お母様とニーナが見物するとは思わなかったけど、キラキラした二人の目が可愛くて気がまぎれるから、これでよかったと思う。


「さあお姉様、バッサリいくわよ。絶対可愛くするから信じてね」

 おちゃらけた口調。そのくせ真剣な目で言うセビーに、私は投げやりに手を振った。


「はいはい。任せるから好きにして」


 確かにそう言ったし、後悔もしていないけど。


(まさか、腰まであった髪を肩までバッサリとは思わなかったわぁ。頭が軽い!)

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