ありったけの祝福を

 妹が結婚すると聞いた時、俺は心の底から祝福した。過去を思えば、それも当然だろう。悪い言い方をすれば、俺の青春は妹に害されていたのだから。


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 俺と妹は昔から仲が良かった。シスコンだと、ブラコンだとお互いに周囲から揶揄されるほどだ。実際、俺も一つ違いの妹の事は可愛がっていたし、甘やかしていたとも思う。妹が思春期になっても特に仲が悪くなることもなく、むしろ中学生になっても一緒にお風呂に入りたがるのを必死に拒んでいたくらいだ。

 変わったのは高校時代、俺に彼女が出来た時。いつも笑顔の耐えなかった妹から笑顔が消えた。常に不機嫌で、それを隠す様子もなかった。その理由は明白で、何故なら直接「今すぐ別れろ。お兄ちゃんは私のなんだから」と言われたからだった。俺が思っていた以上に、妹は極度のブラコンだったのだ。

 結局せっかく出来た彼女とは、何故だが三ヶ月と経たない内に別れることとなり、妹には笑顔が戻った。

 元々休日は家で一緒に過ごしたり、外に買い物や遊びに出かけたりする事が多かったために、変に寂しさを覚えることはなかった。むしろ、日常に戻ったような感覚に安心さえ抱いていたかもしれない。そう考えると、俺もそれなりにシスコンなのだろうか。


 その後、俺は大学へ進学した。地元の大学だったために実家から通った。翌年、妹は地方の大学に進学し、一人暮らしをすることになった。

 妹からは、毎日のようにメッセージが何通も送られくる。友達ができたこと、今日話したこと、何を食べたか、そんな取りとめのないことを。そして、彼氏は絶対に作らないと、何故なら俺以上はいないからと。

 数日に一度夜に掛かってくる電話も同じようなものだ。雑談の中でたびたび妹は俺に対して重い愛情を向ける。彼女が出来たら教えてね、とは言うが、もしもそうなったら以前の焼き直しだろう。不器用な俺には妹に隠しながら彼女を作ることなど出来そうには無かったし、何だかんだと可愛い妹に対して嘘をつくのもまた、心苦しかった。


 そうして、俺が四年生、妹が三年生になった。その頃には、妹も実家に帰ってきた時はべったりではあっても、以前ほどにはメッセージも通話も少なくなっていて、漸く兄離れが出来始めたのだと思った。そして、ある日「彼氏が出来た」というメッセージが送られてきた。

 最初こそ、訝しんだ。俺の反応を探っているのではないかと。けれど、それから定期的に妹のSNSを見ても誠実そうな青年との仲睦まじい写真が定期的にあげられており、本気で兄離れが、少なくとも昔のような重い愛情は薄れていったのだと俺は安堵した。これでようやく俺も、遅い青春を送ることが出来るのだから。

 ただ、色々と遅かったらしい、卒業論文に追われる中で彼女を作る暇などなく、あっという間に社会人になって、多忙な日々が続き、出会いも何もなかった。

 妹も社会人になったが、大学時代の彼氏と付き合い続けているらしい。実際に会ったことがあるが、今どき珍しく誠実で実直そうな好青年だった。妹の幸せそうな笑顔に微笑ましい気持ちになり、同時に僅かな羨望も生じていた。

 社会人になって数年、遂に俺にも彼女が出来た。妹に報告すると、妹も自分の事のように喜んでくれた。あの日の、重い愛を向ける妹はもういないのだ。そう、悟った。結局、それも半年程度しか続かなかったのだが。その後は仕事に忙殺されて恋人など作る時間的な余裕も精神的な余裕もなく、気付けば社会に出てもう五年が経っていた。


 ▼


「結婚おめでとう」


「まだ決まっただけで、結婚式の日程すら未定なんだから……」


 俺の心からの祝福に妹は満更でも無い様子で頬を染めた。俺の知らない妹の表情だ。黒さを持たない、純白の好意。俺には眩しくて目を細める。

 今日、妹は直接結婚する旨を伝えるために、一人暮らしをしている俺の家を訪れ、夕飯を作ってくれていた。当然、両親への挨拶は既に住んでいる。お相手は予定が合わず、それでも妹は一刻も早く俺に伝えたくて日付を変えなかったらしい。仲の良い兄妹、といった所だろうか。


 リビングから夕飯を作る妹の背中を見ていた俺は、準備しておいたお祝いを手に取って近づいていく。気配を感じた妹が視線を寄越さずに声だけを出す。


「あっ、もう少しで出来るから待って──」


 妹へ、祝福を。


「いたっ! なっ、おにい…──いたいっ! な、なん……やめ……」


 ありったけの祝福を。


「なに、これ……? ゆ、め……? なに? いたい、いたいよぉ……」


 背後から包丁で滅多刺しにされた妹は、その場にへたり込むように倒れ、血溜まりが広がっていく。涙を浮かべ焦点の合わない目が、中空を彷徨っている。


「大丈夫、二人でいけるよ」


 俺は冷蔵庫からスイカ大の物が入ったビニール袋を取り出して、妹の目の前に落とす。


「あっ……」


 妹はか細い声で婚約者の名を呼び、そしてその目からは生気が失われた。


 可愛い妹の門出には、ありったけの祝福を。


 祝福……?


「あ、れ……?」


 目の前には、血溜まりの中で息絶えた愛する妹の姿がある。その前には、俺自身が好感を抱き、任せられると判断した青年がいる。


「俺、は……?」


 何故。

 何故、こんなことをしたのか。

 分からなかった。

 気づいたらこうなっていた。

 変えられない現実が目の前にあった。


 俺の手には、血塗れになった包丁が握られている。困惑した頭のまま、己自身に命じられるように、両手で包丁の柄を逆手に掴んで頸動脈へと当てた。


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男ヤンデレです。難しい……。

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