第5章「大切なきみへ」
第21話 祝杯ときみの優しさ
「乾杯!」
ウワバミ亭にペッパの声が響いた。
「勝利に!」と、ソット。
「全員の無事に」とリドが続け、双子は「おおー」と感嘆している。
「やめてよ恥ずかしい」
と、身を捩るリドを、バルザは不思議な気持ちで眺めていた。
バルザはこれまで、弟妹以外の他人に無頓着だった。髪型が変わったり、具合が悪そうだったりしても、ほとんど気にかけない。
だけど、それはただ見ないようにしてきただけだったのかもしれないと、今にしてそう思う。
なぜなら、リドの様子がこのミッションの最中から変わった、と気づいたからだ。
自分にも他者の変化を察する能力があったのかと感慨深く思うと共に、その変化の内容だ。
前にも増して柔らかく、温かい気がする……。
しかし、こんなときでもバルザの表情は乏しく、それこそ変化がない。
というのも、幼い頃に受けてきた仕打ちが、二十年生きてきた今でも彼の心と表情筋を固くしているからだ。傷は深い。
共に死線を乗り越えた仲間が歓喜している。自分もその中にいる。それでも、どんな顔をしてこの場に混ざっていればいいのかわからない。
気分はよかった。
なんなら最高だった。
大勝した後は、いつだって気分がいい。今朝は街に戻ると、すぐ資源を売り捌いて大金も手に入れた。
しかも、それだけではない。
とびきりの出来事もあった。
高難易度ダンジョンでは、倒したモンスター数に応じて冒険者ギルド本部から討伐報酬が出る。
そのために寄ったはずの本部で、バルザたちは思わぬ歓迎を受けたのだ。
「リドさん!」
本部へ入った途端、七三分けの中年男性が駆けつけてきた。
呼ばれた方は、反射的に「はい!」と返事しながらも驚いていて、それから思い出して男の顔を指した。
「あ、登録窓口の……」
「よく覚えていらっしゃる!」
男はさらに声を高くして、喜びの理由を話した。
「昨晩『若葉のつどい』から救援要請があったのに対応できなくて、どうなったかと心配してたんです。ところが明け方に連絡があって、あなた方が行ってくださったと!」
抱き付かんばかりの勢いで受付係が迫るので、リドは微笑みながらバルザの後ろに半歩隠れた。
「たまたま頼まれて……」
「『冒険者ギルド報・号外』を出しましょう!」
気がつけば、受付係だけではなく本部職員十人ほどに囲まれていた。
面食らったリドを押しのけて、ペッパとソットが前に出る。
「いいですね!」
「号外!
「鍵師のペッパ罠を次々看破!」
「ソットの魔弓で溢れる敵を木っ端微塵!」
歌い踊るように捲し立てる二人に、本部職員はさらに盛り上がった。
「いやー最近、若者の無謀な行動が目立っていて、彼らにビシッとお灸を据える絶好の機会ですよ」
それを聞いた途端、バルザの影からリドが歩み出た。
「あ、あの、救助された人の名前と所属ギルドを書かないことはできますか?」
一同の動きがぴたりと止まる。
注目を浴びて居心地悪そうにしながらも、リドは主張した。
「他の人は知りませんが、私たちの助けた冒険者たちは、十分反省して、次へ進んでいます。彼らをこれ以上、
その声は、誰かを咎めるような厳しいものではなかった。あくまで頼みであって、どうか聞いてほしいという想いに溢れていた。
「きっと、アイフォで探ればわかってしまうだろうけれど……お願いします」
立役者に深々と頭を下げられては飲むしかない。
納得していない様子の人もいたが、リドの願いは聞き入れられた。
そのときバルザには、リドの背中が光って見えたのだ。
自分がリドを遠ざけたあの夜、彼はバルザのことを「ずっと見ていた」と言っていた。「憧れの冒険者だった」という意味だろうと思った。
しかしバルザは、自分よりリドの方がよっぽど立派だと思ったのだ。
リドは、落ちぶれそうになる自分を助けに来てくれた。今も、駆け出しの冒険者たちの心を守ろうとしている。
ダンジョンの中でキレーナが言っていた、リドへの評価も耳に残っている。
ウワバミ亭での祝杯の間、バルザはリドのことばかり考えていた。
救助劇は緊急のことだった。そして自分たちはその直前、喧嘩別れしている。主に自分のせいで。
やり直したいとは思っている。
だが、どうやって?
厳しい子供時代を過ごしたバルザは、他の人たちが年頃に通過するはずの、〝対等な相手との喧嘩や仲直り〟も経験できなかった。
体ばかりが大きくなって、子供のままの心が混乱する。「ごめん」の一言が、重くのしかかる。
(許してもらえるのか? 謝って、許してもらえなかったら? そこで永遠に終わりなのか?)
そうするうちにバルザは、いつものように考えることから逃げて、酒を煽るだけの時間を過ごしてしまうのだ。
「みんな、ありがとう! 大変なミッションだったけど、とっても楽しかった! この号外は宝物です! そしてこのギルドは一旦解散します!」
途端に方々から「ええー」の声。
「寂しくなるなぁ」
ペッパは自分のアイフォを見つめ、次々とギルドを除名されていくのを確認してはため息をついた。
「泣くな兄弟」
と、その肩を抱いたソットが、リドに向き直った。
「俺たちはこの街を拠点にしてる。いつでも会いに来てくれ」
「しばらくは、あたしをウルフ狩りに案内してくれるんだろ?」
キレーナが双子を見やると、ペッパがケロリと笑った。
「ウルフの毛皮が冬に向けて高騰中だもんでね!」
楽しげな会話。
楽しげな連中。
それで、俺は?
バルザの背中に、再び孤独が這ってくる。
キレーナが席を立つと、リドも立ち上がって、二人は固い握手を交わした。
双子も頷いて席を立ち、一層深くリドを見つめると、それぞれ別れを惜しんで抱き合う。
「元気でな、リド」
「また会おう」
リドも涙ぐんでいるようだ。
「うん、またね。ありがとう」
なぜだろう。
今生の別れを告げているように見える。
自分も何か言わなければと思うのに、言葉はどこからも出てこない。立ち上がることさえできなかった。
キレーナが店に背を向ける。
双子も。
リドだけは自分の元へ戻ってきてくれるのではないかと思ったが、違った。
彼もまた、ドアへ向かって行ってしまう。
(あ……待て……)
ついに、その頼みさえ、声にならなかった。
一瞬、肩越しに振り返ったリドは、ただ微笑んで、去っていってしまった。
サレンゼンスの最奥の、老舗酒場の
こんな孤独が、今まであっただろうか。
冒険者の街サレンゼンスの夜は煌々と明るく、バルザの生まれ育ったマルダ村とは大違いだった。
この街に身を置いて四年。
ここでは誰もが自分のことに夢中で、バルザは自分が死体運びと墓穴掘りをする〝人間以下の存在〟だという現実を忘れることができた。
だが今は違う。
バルザは今までにないほど孤独で、自分が墓守よりも酷い生き物のように感じていた。
普段は開け放たれているウワバミ亭のドアも、冷たくなった夜風を防ぐためにピッタリと閉じられている。
その扉が、軽快にベルを鳴らした。
「あ、いたいた。バルザ!」
呼ばれて、息を呑んだ。
その声は紛れもなく、グレンのものだった。
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