第20話 リドの決意

 ついに最後の階段を登りきると、入り口からは朝日が差し込んでいた。


「終わった……」

 新人たちは眩しさに目を細めながらも、安心しきって陽光に吸い寄せられていく。


「まだダンジョンの中だ! 敷地を出るまで気を抜くな!」

 最後尾のソットが強い指笛で警告すると、新人だけでなく全員の背筋が伸びた。おかげで最後の一歩まで、一人として浮かれはしなかった。


「見ろよ」

 ペッパが指さす木の下で、昨夜の馬がそのまま、荷台をつけて悠然と草をはんでいた。


 本当の本当に、これで終わった……

 と、そう思ったときだった。


「お前たち!」


 鋭い声が、彼らを呼び止めた。

 見れば、遭難者たちが所属するギルド『若葉のつどい』のメンバーが、石塔の傍に集まっているではないか。


 マスターのガボットは、白髪頭を角刈りにして、真っ黒に日焼けした強面戦士だった。その後ろには、いずれも屈強なギルメンが四人立っている。


 ウォリーたちが身をすくめると、キレーナが彼らの前へ出た。

「ガボット。そんなに大きな声を出すな。こっちは徹夜だったんだ」


 どうやら二人は古馴染みらしい。


「無事でなによりだ。だが、どうして俺たちに助けを求めなかったんだ!」

「そうやってデカい声出すからだろ」


 キレーナが一歩踏み出したところで、ウォリーが走り出て叫んだ。


「す、すみません! ぼぼ、僕が! 間違えました!」


 ダンジョンから出てきたばかりで興奮状態のリドとバルザと双子の四人は、〝間違えた〟という言葉が的外れに思えて、腹を抱えて笑ってしまった。


「なにを、どう間違えたんだよ!」

「私と、ギルドマスターさんを?」

「道だろ! 道を間違えたんだ!」


 キレーナはちょっと呆れて、ガボットへ向き直って微笑んだ。

「そうさ、間違えたんだよ。ほんの少し。はじめはみんな間違える」


 だがガボットは依然として厳しい表情だ。

「その間違いが命取りになるところだった。それに、お前たちにも迷惑をかけた」

「迷惑? ギルドポイントも経験値もたんまり稼がせてもらったさ。若い連中を助けるのに、何が迷惑だってんだ」


 顔を上げることさえできない新人たち。

 キレーナは続けた。


「あんただって、新人のために全てを捧げてるじゃないか。あたしは、あんたを助けたかったんだ。抱えきれない子たちは他に回しな? 全員の声を聞いてやらなきゃ……」


 そのとき、バルザがぽんと言葉を放り込んだ。

「あんた、怒ってんじゃなくて、心配だったんだろ? こいつらが無事で、嬉しんだろ?」


 その言葉が彼の心の扉を叩いたらしい。

 ガボットは途端に駆け寄って、ウォリーをめいっぱい抱きしめた。


「ああ! どんなに心配したことか!」


 目には涙も浮かんでいる。


 テネトもジェニカも、遭難した『若葉のつどい』のメンバーは、みんな走って行ってガボットに飛びついた。


「ごめんなさい、もっと戦いたかったんです! 無理をしてでも、自分の限界を見てみたかったんです!」


 テネトが泣きながら訴えると、ガボットも頷いた。

「俺も悪かった。新人だからとみくびって、つまらないことばかりさせていたな」


 互いに謝り、許し合う彼らを見ていたら、リドももらい泣きしてしまっていた。


 そっと隣を見やれば、バルザの表情は寂しげだった。


(あれは、私じゃあげられない……私の全部を捧げても、今のあなたを幸せにはできないのかも……)


 ダンジョンの中で芽生えた寂寥感せきりょうかんが、リドの胸に、形になって現れた。


 反対隣にはキレーナがいる。我が子の成長を見守るかのように、嬉しそうに微笑んで、そっと溜まった涙を拭っている。

 彼女こそが、今のバルザに必要な人に思えた。


 本物の家族のようなギルドを作って、バルザと互角に肩を並べて戦い、成長させてくれる人。そこにはペッパやソットのような明るいお兄さんがいて、ウォリーのような弟たちがいて……


 誰かを見返すなんて、必要ない。

 今しあわせであれば、それで十分。


 月間ナンバーワンなんか、彼はいらない。


 呪いは、自分の恋心そのものだったのかもしれない。

 勝手に思いを募らせて、彼が本当に必要としているものを知ろうともせず、一方的にいらないものを押し付けようとしていた、この厄介で未熟な恋心。


「さ、帰るか? それとも……」と、ペッパがおどけて周囲を見回すと、ソットがすかさず「この辺で寝てくか?」と被せて笑う。


 リドもみんなと一緒に声を立てて笑った。


 すっかり決心がついていた。


「うん、帰ろう。居るべき場所に」


 朝日の中で、リドは微笑んだ。

 バルザが慈しみの視線を向けていることなど、知りもしない。




 リドは馬車の荷台からほとんど御者席に乗り上げて、前方の景色を眺めていた。隣ではソットが同じ格好でくつろいでいる。

 キレーナとバルザはさすがに疲れきって、荷台で眠っていた。リドとソットが前方に寄っているのは、二人の睡眠を邪魔しないためだ。


 彼ら紅炎鳳こうえんおおとり団は、『若葉のつどい』のメンバーと握手を交わして別れ、ひと足先に街へ出発したのだ。


 手綱を握るペッパは大あくびをしているが、賢い馬たちは道を外れることなく走っていく。


「ねえ、あの呪いを解く鍵は、魔法具なんだよね?」

と、リドはペッパに、ダンジョンの隠し扉を開けた鍵について尋ねた。


 彼は眠気覚ましにちょうどいいとばかりに、いつも以上に口を動かした。


「ああ、そうだよ。あれは高価な代物だよ。あの鍵は呪いを騙すのさ。わかる? 呪いっていうのは、絶対解けない。もしも解くには、かけた時に決めた対価が必要。だけどあの鍵を使えば……」

、解ける?」


 リドが最後の言葉を引き取ると、ペッパは「ご明答」と言うようにウィンクした。

「高度な技だよ」


「それって、人にも効果ある?」


 思いがけないリドの質問に、ペッパがソットを振り返る。双子は丸い目を見合わせた。


「対価を払わず呪いを解くのは危ないことだよ」

と、ソットが先に口を開いた。

「呪いってのは生き物さ。約束のものを渡さなければ怒り狂う」

「呪いが解けても、他の何かを持っていかれることもある」


 二人は息ぴったりに、交互に話した。


 リドは息をするように聞いた。


「命とか?」


 双子は揃って、無言で頷いた。


「そっか……」


 リドがだらりと座り直す。

 ペッパは前方に注意しながら、肩越しに視線を投げて寄越す。


「呪いをかけられてるのは、リドだろ?」


 驚いて、リドは身を起こした。

 言葉が出ないでいると、ペッパは「お見通しだよ」と言った。


「ペッパは鍵師だ。それはとても強い呪いだね。だから、どのみちこの鍵じゃ役に立たないよ」


 それからすっかり振り返って、小さな声で続けた。


「魔術師の里に行けば、誰かいるかも。その呪いを騙せる人が……」


 こうなったときのリドの行動力はすごい。


「場所を教えて。私、行ってみる」


 双子はまた顔を見合わせた。

 ソットはペッパに「余計なことを言いやがって」という渋い顔をしている。


「ペッパは、今のリドも好きだ。呪いなんてないみたいに思う。リドはとっても素敵な人だよ」


 褒められて、リドは素直に照れてはにかんだ。

 ソットも思いとどまるように説得してくる。


「俺もお前さんを見込んでいるよ。どんな呪いかは知らないが、痛そうにも苦しそうにも見えない。無理に解こうなんて……」

「それより、どうしたら解けるか一緒に探そう! ペッパはそういうのも得意さ!」


 大声を出したペッパに、ソットが「しー」っと注意して、またリドに向き直った。

「そうだよ、呪いはちゃんとした方法で解かないと……」


 ゴトゴトと揺れる馬車の中で、三人の密談は続いた。

 鬱蒼と生い茂る森が切れて、まるで秘密を暴くみたいに陽の光が差し込んでくる。


「……私、身勝手だったんだ。そのせいで呪いにかかったの」


 朝日を受け、風に吹かれるリドは、リディアの面影を覗かせていた。


「解くために必要なものはわかってるんだ……でも、そのためには私以外の人を犠牲にしなくちゃならないの。そんなの嫌。だから、自分だけで解決する方法を探したいの」


「……女の子なのか」


 ぽかんとしていたペッパが呟くと、リドは「しー」っと指を立てて、ウィンクしてみせた。


 ペッパもソットも深く頷いた。

 リドの決意を受け止めてくれたのだ。


「サランゼンスからまっすぐ北に行くと天馬山がある。そこから出る飛空挺に乗るのが確実だ。少し値は張るが、今俺たちは大金持ちだからな。魔術師の里は『隠れ森』の中だ。普通に行っても決して辿り着けない」


 それを言い終わると、ソットはシャツから首飾りを引き出した。円形の、美しい大樹を模した金のレリーフがついている。


「一族の証だ。これがあれば道が開ける。精霊たちもついているなら、きっと大丈夫だろう」


「ありがとう」

 リドは受け取ると、そのまま自分の首にかけてシャツの中にしまった。

「大切にする。それから、必ず返すよ」


 ソットとリドは固い握手を交わした。


 成り行きを眺めていたペッパは、手綱を放り出さん勢いで言った。

「でもでも、出発はすぐにじゃないだろ? 換金して、祝杯をあげてさ、大騒ぎしてからだっていいじゃないか。明日にしよう。な?」


 必死な提案に、リドは笑ってしまったが、「そうだね」と頷いた。


 そっと振り返り、愛するバルザの寝顔を見る。


 規則正しく静かな寝息を立てる、安らかな横顔。

 本当に純真で、不器用で、魅力的な人。


 自分の過ちが恥ずかしくて、今すぐにでも消えてしまいたくなる。


 街の囲壁は、もう目の前だった。


 

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