第10話 ふたり初めてのダンジョン(2)
バルザは唇を噛んでいた。
(情けねえ、こんなところで苦戦するなんて……)
二日酔いだと言いたいが、そんなのただの言い訳だ。
いまはリドの作った炎の明かりを頼りに、慎重に歩みを進めるしかない。それもなんだか情けない。
自分が嫌で、イライラする。
次は絶対仕留める。
頭の中にはそれしかなかった。
「バルザ、待って」
と、後ろから声をかけられた。
さっきは前後も逆だった。
それもよくなかった。こんな細っこい、頼りにならない奴に先頭を歩かせるなんて、どうかしてた。
それなのに、気がつかなかったのだ。
自分のダメさに呆れる。
「どうした?」
面倒くさそうに返事してやった。こいつの話なんか、聞く価値あるのか?
「偵察に行ってた風の精霊が、奥の瘴気に驚いて帰ってきた」
それを聞いて、バルザは足を止めた。
風の精霊だと?
こいつの使う精霊が誰にも気づかれずにサッと前方を見てきたっていうのか。
精霊使いなんて重要視したことなかったが、それは結構便利だな。
「さっきのやつがいるんだな」
格闘した敵を思い出す。
リドに手のひらで、待つように制された。
普段なら嫌なゼスチャーに感じただろうが、リドの真剣な表情に、バルザは口をつぐんだ。
彼らの声は小さく難解なのだ。
バルザも幼い頃、精霊や妖精たちの姿を見ていたような思い出があるのだが……、遠い記憶すぎて夢だったようにも感じる。
リドは精霊の声を聞きながら伝えてきた。
「さっき足を突っ込んだときにも感じたんだけど、あの瘴気はかなり重い。形成されたモンスターも、ちょっと桁違いなのかも。えっと……角に、牙? それから、細長い尻尾があったって」
それを受けて、バルザもさっきの体験から語った。
「盾で受けた重みも半端なかった。上から叩きつけられたから、かなりデカいと思う」
どちらからともなく、二人は壁際に寄った。
行く手に意識を向けながら、小声で話し合う。
「腕、何本だった?」
「二本。複腕だったら今頃死んでる」
バルザの腕に重みが蘇る。
それを舌打ちで誤魔化した。
正直、敵の姿も正確に捉えられていない。
急激で、真っ暗だった。
自分が情けなくて、不甲斐なくて、どうしようもなくイライラする。
「じゃあ……ベヒモスかも」
当たりをつけるリドの声が、震えているのに気がついた。
やっぱりか。
バルザは、この口ばっかり達者な冒険者が、正真正銘の初心者だと看破した。怖いもの知らずなのか度胸だけはあるのか、直接ギルドの誘いにきたはいいけれど、実戦経験だってほとんど……いや、全然ないのだろう。
さっきのことでビビっているのだ。
しかしベヒモスと言われても、バルザはそれがどんなモンスターなのかパッと思い出せない。顔と名前を覚えるのが大の苦手なのだ。
「あ、あれか。あの、牛みたいな」
「呑気だな。そうだよ、二足歩行の牛」
「何度も倒したことあるぞ」
「そりゃ、三毛猫会の皆さんはお強くてらっしゃいますからね」
自信のなさの裏返しか、嫌味っぽく言われてバルザは笑ってしまった。
冷静に評価するなら、さっきの突風の威力からいって、このリドってやつは、経験は浅くても精霊師としての素質は高そうだ。それが、戦う前から情けない声を出して震えているなんて、バルザには意味がわからない。
「お前と俺じゃ力不足だってのか?」
凄んで見せると、リドは口を割った。
「し、正直、俺の攻撃力じゃ時間かかると思う。俺はあんたの、去年までの撃破数に惚れ込んで声をかけに来たんだぜ? 少しは手伝ってくれよ」
「純粋な前衛後衛にするってことか?」
バルザは大盾をドンと地面に立てた。
「その腰のは、ハリボテじゃないんだろ?」
リドが指さしたのは、ロングソード。
最近めっきり振るう機会がなくなっていた。「盾に徹してほしい」という、グレンの声が脳裏に蘇る。
あいつがそう言ってから、剣は鞘に収まったままだ。
「いいけどよ……俺は……」
前衛として戦っていると、敵を取りこぼすことがあった。目の前の敵に集中しすぎてしまうのだ。ひどいときには自分の回復も忘れてしまった。
メンバーが入れ替わるうち、それは三毛猫会の戦法に合わなくなっていった。
ほんの一匹でも後ろにいくと、総崩れになる危険が出てきたのだ。それでグレンが隊列を変え、バルザの強いが粗い攻撃力を捨てた。
代わりに高い体力を使って、敵を堰き止めることだけを考えるように言いつけられた。
元々は、自分が〝目の前の一つのことしかできない〟という、どうしようもない性分だから、ギルドメンバーに迷惑をかけて、戦法も変えざるを得なくなった。
そう思っているバルザにとって、この話はよく知らない相手にできるようなものではなかった。
格好悪すぎる。汚点だ。
言い淀むバルザに、リドは晴れかに提案してきた。
「いいから目一杯戦ってよ。あとは俺に任せて。回復も補助もするから」
バルザはリドを見た。
小さな炎がパチパチ舞って、暗い洞窟の中で、彼をキラキラ輝かせている。
さも当然のようにいってくるので、バルザは呆れてしまった。
さっきまでビビっていたのに、どういう神経なのか……。
「回復も補助もって、お前、そんなにできんのか?」
「心外だな。魔法はピカイチって言ったろ? さっきは火の精霊が行方不明だったけど、今はみんな揃ってるから大丈夫」
そう言って、さっき拾っていた小さなナイフを見せられて、バルザはショックを受けた。
さっきの失敗は全部、自分が彼を乱暴に扱ったことが原因だったと気づいたのだ。
謝らなければ。
心では思っているのに、言葉が口から出てこない。
それにリドはそんなこと、おくびにも出さない。
「そうだ! 精霊たちと一緒だから、こっちは六人だ」
と、満開の花のようなキラキラした笑顔で馬鹿なことを言う。
バルザは拍子抜けして、笑ってしまった。
最初に気を許してしまった時もそうだった。
なぜか、この笑顔には逆らえない。そんな気がしてしまうのだ。
「わかったわかった。それじゃあ俺は敵を倒すことだけ考える」
剣を抜いて、バルザはリドを振り返った。
「倒すだけじゃ駄目だな。絶対に食い止めるから、安心しろ」
「うん、信じてる」
今度こそ、絶対に失敗しない。
バルザは自分に言い聞かせるように、胸の内で唱えた。
リドの目も輝いて見える。
その場に大盾を残し、二人は坂を下り始めた。
炎に照らされ、足元を這う瘴気の揺らめきが見え始めたが、ベヒモスの影はない。
「見えねぇな……」
「呼吸は聞こえるよ」
リドの耳の良さに、バルザは驚いた。
さらに、作戦まで立ててくる。
「突っ込んでこられたらノックバックさせるから、踏み込もう」
「おう」
と、応じたが、それはバルザにグレンのことを思い起こさせた。作戦を立てるのはいつも彼で、自分は従うだけだった。最初のうちはそれでうまくいっていたが、徐々に息苦しさを感じてきたのも確かだった。
(リド《こいつ》は攻撃に集中しろって言ったんだ、気にすることはない……)
グレンの作戦や指示は、指摘や注意、そして矯正へ変わっていった。三毛猫会を辞めたら、どこにもいくあてがないと思っていた。だから何を言われても我慢しなければと、いつの間にか萎縮していた。
頭を振って、思考を追い出す。
『
目の前に、見えない防壁ができたように感じた。
バルザは大きく息を吐くと、曲がりくねった道を大胆に進んでいった。
大丈夫だ、という安心感が生まれる。
それが余裕になって。視野が明るく、広がる。
バルザはそうなって初めて、行く手が枝分かれしていると認知した。片方が大きく左へ湾曲している。
「先は広い空間だ」
と、後ろからリドも囁いてくる。
バルザは一気に角を曲がった。どうせ足音は相手にも届いている。
先行していた火の玉が弾けて広がり、空間を隈なく照らす。
二メートル先だ。対峙したのは、汚れた灰色の毛並みの巨大な牛だった。一八〇センチ以上あるバルザを優に超え、見下ろしてきている。
眩しそうに揺れるベヒモスに、バルザは大きく踏み込んだ。
敵の長い腕がバルザの頭をかすめようとした瞬間、それが体ごと二歩後ろへ吹き飛ばされた。ベヒモスは驚いて仰け反ったが、踏みとどまる。
角のついた頭を振って体制を立て直したが、その懐には、すでにバルザが飛び込んでいた。
腹のあたりを切りつけ、脇を抜けながら足にも斬りかかる。
久々の戦闘だが、バルザの目は冴えていた。相手の動きがはっきりと見える。滑らかに回避しながら、確実にダメージを与えられる。
攻撃が繋がり、続いていく。
しかし敵も強い。
切り掛かる剣を拳で払われて、バルザは体勢を崩した。
その瞬間、再び敵が仰け反った。
リドのアシストだ。
バルザの集中力は、それも予期していたかのように、流れの一部に組み込んで動けた。
バルザには敵しか見えていない。
その呼吸や、足さばき、尾の揺れひとつまで感じているのだ。
ついに膝を付いたベヒモスの脳天に剣を突き立てたとき、バルザの耳にやっと周囲の音が届いた。
それは子供のような歓声だった。
「すっごい! やったね!」
バルザは汗を拭って振り返った。
(なんか、すげぇやりやすかったな……)
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