旧)第10話 ダンジョン再挑戦

 リドの作った炎の明かりを頼りに、慎重に歩みを進めながら、バルザは唇を噛んだ。


(情けねえ、こんなところで苦戦するなんて……)


 二日酔いだなんて言い訳にならないほど、身動きができなかった。リドのせいだけにはできない。次こそは仕留めてやろう、と頭の中はそれだけだった。


「バルザ、待って」

「どうした」

「偵察に行ってた風の精霊が、奥の瘴気に驚いて帰ってきた」

「さっきのやつがいるんだな」


 精霊に耳を傾けているリドに手のひらで制されたので、黙って待つことにした。彼らの声は小さく難解だ。バルザも幼い頃は精霊や妖精たちの姿を見ていたように思うが、遠い記憶で、もはや思い出せない。


 リドは精霊の声を聞きながら話し出した。


「さっき足を突っ込んだときにも感じたんだけど、あの瘴気はかなり重い。形成されたモンスターも、ちょっと桁違いなのかも。えっと……角に、牙? それから、細長い尻尾があったって」

「盾で受けた重みも半端なかった。上から叩きつけられたから、かなりデカいと思う」


 二人とも行く手に意識を向けながら、壁に寄って小声で続けた。


「腕、何本だった?」

「二本。複腕だったら今頃死んでる」


 腕に重みが蘇り、バルザは舌打ちした。自分が情けなくて、不甲斐なくて、どうしようもなくイライラする。


「じゃあ……ベヒモスかも」


 リドの声が震えたのがわかった。どう考えてもこの口ばっかりの冒険者は初心者で、実践経験も少ない。さっきのことでビビったのだろう。


 しかしベヒモスと言われても、それがどんなモンスターなのかパッと思い出せない。バルザは名前を覚えるのが苦手だった。


「あ、あれか。あの、牛みたいな」

「呑気だな。そうだよ、二足歩行の牛」

「何度も倒したことあるぞ」

「そりゃ、三毛猫会の皆さんはお強くてらっしゃいますからね」


 自信のなさの裏返しか、嫌味っぽく言われてバルザは笑ってしまった。


 さっきの突風の威力からすると、リドは精霊師としての素質はかなりあるはずだ。それなのに、戦う前から情けない声を出して震えているなんて意味がわからない。


「お前と俺じゃ力不足だってのか?」

「し、正直、俺の攻撃力じゃ時間かかると思う。俺はあんたの、去年までの撃破数に惚れ込んで声をかけに来たんだぜ? 少しは手伝ってくれよ」

「純粋な前衛後衛にするってことか?」


 バルザは大盾をドンと地面に立てた。


「その腰のは、ハリボテじゃないんだろ?」


 リドが指さしたのは、「盾に徹して欲しい」とグレンに言われてから使う機会の減っていたロングソードだ。


「いいけどよ……俺は、一つのことしかできねーから……」


 前衛として戦っていると、敵を取りこぼすことがあった。目の前の敵に集中しすぎてしまうのだ。ひどいときには自分の回復も忘れてしまった。


 だが三毛猫会の戦い方では、ほんの一匹でも後ろにいくと総崩れになる危険があった。それで敵を堰き止めることだけを考えるように言いつけられたのだ。


 そんな格好悪い話を、よく知りもしない相手にするつもりはない。バルザは言い淀んで黙ってしまった。


「いいから目一杯戦ってよ。あとは俺に任せて。回復も補助もするから」


 リドは首を傾げて、さも当然のことのように提案してきた。さっきまでビビっていたのに、どういう神経をしているのか呆れてしまう。


「お前、そんなにできんのか?」

「心外だな。魔法はピカイチって言ったろ? さっきは火の精霊が行方不明だったけど、今はみんな揃ってるから大丈夫」


 そう言って小さなナイフを見せられて、バルザは、さっきの失敗の原因は自分が彼を乱暴に扱ったせいだと気がついてショックを受けた。謝らなければと思うのに、リドはそれをおくびにも出さない。


「そうだ! 精霊たちと一緒だから、こっちは六人だ」


 あまつさえ、満開の花のようなキラキラした笑顔でそんな馬鹿なことを言うのだ。バルザは笑ってしまって頷いた。


 最初に気を許してしまった時と同じで、なんだかこの笑顔には逆らえない気がしてしまう。


「わかったわかった。それじゃあ俺は敵を倒すことだけ考える」


 そう言って剣を抜いたバルザは、ふとリドを振り返った。


「倒すだけじゃ駄目だな。絶対に食い止めるから、安心しろ」

「うん、信じてる」


 今度は失敗しない。バルザはそう思った。リドの目も輝いて見える。


 その場に大盾を残し、二人はさらに坂を下り始めた。炎に照らされ、足元を這う瘴気の揺らめきが見え始めたが、ベヒモスの影はない。


「まだ見えねぇな……」

「呼吸は聞こえるよ」


 バルザは驚いた。リドは耳が良いようだ。


「突っ込んでこられたらノックバックさせるから、踏み込もう」


「おう」と、答えたバルザは、グレンのことを思い出していた。作戦を立てるのはいつも彼で、自分は従うだけだった。確かにそれでうまくいっていたが、徐々に息苦しさを感じていったのだ。


(こいつは攻撃に集中しろって言ったんだ、気にすることはない……)


 また指摘され、注意され、正されるのではないかと萎縮しそうになる思考を、頭を振って追い払う。


親愛なる風よヴェントゥス、渦巻いて吹き溜まれ、押し戻せ』


 バルザは眼の前に見えない壁を感じ、大きく息を吐くと、曲がりくねった道を大胆に進んだ。


 そうなって初めて、行く手が枝分かれしていて片方が大きく左へ湾曲しているとわかった。


「先は広い空間だ」


 後ろからリドが囁くのを聞いて、バルザは一気に角を曲がった。どうせ足音は相手にも届いている。


 先行していた火の玉が弾けて広がり、空間を隈なく照らす。


 二メートル先、対峙したのは汚れた灰色の毛並みの巨大な牛だった。一八〇センチ以上あるバルザを優に見下ろす。


 眩しそうに揺れるベヒモスに、バルザは大きく踏み込んだ。


 リーチの長い敵の腕がバルザの頭をかすめようとした瞬間、それは体ごと二歩後ろへ吹き飛ばされた。驚いたように仰け反り、踏みとどまる。


 頭を振って体制を立て直した懐には、すでにバルザが飛び込んでいた。腹のあたりを切りつけ、脇を抜けながら足にも斬りかかる。


 久々の戦闘だが、バルザの目は冴えていた。相手の動きがはっきりと分かる。滑らかに回避しながら、確実にダメージを与え続ける事ができる。


 しかし敵もさる者、切り掛かる剣を拳で払われバルザは体勢を崩した。


 その瞬間、再び敵が仰け反った。


 リドのアシストだということはわかっていたが、バルザの集中力は、それさえも流れの一部であり予定調和であったかのように飲み込んでいく。


 バルザには敵しか見えていない。


 その呼吸や、足さばき、尾の揺れひとつまで感じているのだ。


 ついに膝を付いたベヒモスの脳天に剣を突き立てたとき、バルザの耳にやっと周囲の音が届いた。


「すっごい! やったね!」


 それは子供のような歓声だった。


(なんか、すげぇやりやすかったな……)


 肩で息をしながら、バルザは汗を拭った。


 

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