旧)第4話 魔導士の洞窟へ

 リディアが目指したのは村の北にある暗く深い森だ。


 本当ならばモンスターが出てもいいような瘴気を放っているが、この森が静かで落ち着いているのは、最奥の洞窟にぬしが住んでいるからだ。


 辿り着くまでに二時間以上歩く。リディアは冒険者になろうと決めたときに揃えたブーツとズボン姿で、リュックには水や食料も用意していた。長旅の覚悟なのだ。


 目立つ髪の毛はフードに隠して、なるべく人に会わないように急ぎ足で。途中川辺で休憩しながら、彼女はほとんど予定どおり、陽のあるうちに主の洞窟にたどり着くことができた。


 洞窟の入り口には『警告、文なしお断り』と札が立っている。リディアは胸の前でぎゅっと手を握り、恐る恐る中を覗き込んだ。


「こ、こんにちは」

「へいらっしゃい」


 奥から飛んできた気軽な声に驚いて、洞窟に足を踏み入れた。ほんの少し左へ曲がった先は、光と色の洪水だった。火の精霊のランプで煌々と照らされ、棚や机に色とりどりの小瓶や絵や魔法具が所狭しと並べられている。


「へいらっしゃい」


 その声は、曲がり角に立てられた『魔道具よろず屋・万華鏡』の看板の上に止まったギョロ目のオウムのものだった。


「まあ、こんにちは」

「かねがないならかえんな」

「え?」

「鳥となんか真面目に話すもんじゃないよ、お嬢さん」


 しわがれた男の声がして、リディアは慌てて振り返った。奥の薄暗がりに置かれた大きな机の向こうに、濃紺のローブを着た人物が浮かび上がる。


 レベルなんてものがなくてもわかるほど、魔力が溢れ出ているのがわかった。

 リディアはフードを外して会釈した。


「あなたが森の主の、闇魔法使いさんですか?」

「お前、そりゃ悪口の域だぞ。俺はタイトス。腕のいい魔法使いだが、闇使いじゃない。なんでも望みを叶えてやるっていう、優しい男だよ」

「ごめんなさい。でも、違うんです闇って、違法って意味の方なんです」

「そんなことはわかってんだよ。ボケを潰すな」


 タイタスは遠慮のない物言いのリディアに呆れて頬杖をついた。


「で、望みは? 何がほしいんだ?」

「はい、男にしてください」


 元気な返事にタイタスはずっこけた。


「随分お気楽に言うじゃないか。はじめから全部話してみなさい。納得したら魔法をかけてやる」

「お金さえ払えばなんでもしてくれるんじゃないんですか?」

「俺は商売人じゃない。魔導士だ。大事なのは魂だよ」


 リディアにはよくわからなかったが、とにかく丁寧に話すことにした。


「子供の頃、村の祭りで初めてその人を見かけたとき、運命の人だと思ったんです。両手にまだちっちゃな弟と妹を抱えて、彼らが退屈しないようにあやしてて……」


 言いながらリディアは、その情景を昨日のことのように鮮やかに思い出していた。


「彼は優しくて、力強くて、教えられなくても精霊と話せるような心やさしい人で……あ、あと森で迷子になったとき助けてくれたんです」

「それとお前の願いとどう繋がるんだ」


 タイトスはハエを払うように手を振って先を促した。


「彼はいま、幼馴染と意地悪な女たちに追いやられてどん底なんです。酔い潰れてストリートファイトしたり、酒場で他の客に当たったりしてて」

「どえらいやつに恋してるなお前さん……」


 タイトスは呆れているようだ。


「彼、女性が苦手みたいで、だから男として、対等な友人として助けに行きたいんです。下心丸出しで近づいたら逃げられちゃうじゃないですか」

「いや下心隠せ」


 思わずツッコミながらタイトスは立ち上がった。背は低いが、フードの奥から見上げてくる眼光は鋭かった。


「バルザというのか……。ああ、あの問題児だな」

「どうしてわかるの」

「俺には何もかも見える。お前の内側も、過去のことも。あいつは村の嫌われ者だっただろ」

「ちょっと乱暴だったけど、誤解なんです。彼は家族思いで、仲間思いで」

「そうかそうか。お前にはそういうふうに見えていたんだな」


 タイトスの訳知り顔に、リディアはムッとした。自分が一番バルザを知っていると思っていたからだ。


「お嬢さん、なにか成し遂げたいなら回り道はしないことだ。せっかく冒険者として隣に並ぼうとしてたのに、なんで投げ出した」

「それは、母の看病のために……」

「言い訳だな。逃げ出したのだろ」


 図星をつかれてリディアは俯いた。


 二年前、十六歳になってすぐに勇んで冒険者登録をした。バルザに追いつくようにと厳しい修行の日々に耐えたが、いくら頑張っても自分を入れてくれるギルドはなかった。精霊師は需要がなかったのだ。


 ギルドでの経験値が稼げず、少数精鋭の三毛猫会の扉を叩くのはためらわれた。


(でも、私がためらっただけだ……断られたわけじゃない。それに、彼とは四年も会ってない。覚えられてもいない。きっと彼の中では〝村の少女D〟くらいの存在感……)


「そんなもんでよくここまで来たな。とりあえず会いに行ってこいよ」

「ちょっと、人の心を勝手に読まないで!」


 ため息しているタイトスに、リディアは赤面して抗議した。


「心が読めるなら、私がどれだけ真剣かわかるでしょう? お願いです、お金ならここに」


 リディアがリュックから金貨の入った袋を取り出そうとするのをタイトスが手の平で制した。


「長い時間、人の姿を変えるような強力な魔法は金では買えんよ」

「じゃあどうしたら」


 タイトスは指輪だらけの手をくゆらせた。リングにはめ込まれた魔法石たちから流れ出た怪しい煙が陣を描く。


「これは魔法ではなく、呪いだ。お前が対価を払わない限り解くことはできない」


 煙の魔法陣はリディアを囲んで回り始める。


「さあ、女に戻るために支払うものを決めなさい。それで呪いは完成する」


 突然のことにリディアは軽くパニックを起こした。急にそんなことを言われても、ちょうどいい温度感の対価が思い浮かばない。


 危なく「命」と言いかけた。


「そんな物騒なモンいらんよ。死んでどうする。なんか目標だよ。これができたらゴールみたいな」


 タイトスは眼の前で狼狽える少女に助け舟を出した。本人が言うように優しい男なのだ。


「あ、あのじゃあ、バルザをナンバーワン冒険者にします!」

「もうちょっと低く!」

「月間、ナンバーワン……?」


 タイトスはまだ渋い顔だったが、すぐに諦めて呪いをかけることにした。


 この無謀な少女が一生男のままなのはかわいそうではあるが、やれるもんならやってみろという気もしたのだ。


 リディアはあっという間に髪は短く、背はグッと高くなり、それでもどこか彼女の印象を残した細身の青年に姿を変えた。


「わあ、すごい! え、声低!」


 リディアはピョンピョン跳ねたり、ガラスを覗き込んで容姿を確認したり、手足を眺めて不思議がったりと忙しない。


「いーから早く行け!」


 タイトスに追い出され、リディアはついにバルザのいる街へ出発した。


 名前はもう考えていた。


 リドだ。


 

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