旧)第2話 リディアの日常、三日前のこと

 三日前——……


 マルダ村の湧水広場は今日も朝から大賑わいで、水汲みや洗濯、行水をする人などがそれぞれの水源に輪を作っている。


「おはようございます。いいお天気ですね!」


 女性たちが談笑する洗濯場にやってきたのは、薄桃色のおさげを揺らす少女、リディア。彼女の抱える洗濯カゴには家族四人分の汚れ物が詰まっている。


「おはようリディア」

「今日も元気ね」

「お母さんの具合はどう?」


 口々に挨拶をされ、列に入れてもらったリディアは満開の花のように微笑んだ。


「ええ、母も今日はとっても調子がいいんです。洗濯が終わったら、一緒に散歩に行こうと思ってます」

「そうなの。えらいわね」

「あら、冒険者の修行があるんじゃなかったの?」


 乳飲み子を背負った女性がそう言うと、リディアは照れて首をすくめた。


「私にはやっぱり無理だったみたい。ちっとも強くなれなくて」

「危ないところに行くなんて、やめたほうがいいわよ」


 別の女性が厳しい顔つきで言う。


「気を落とさないで、あんたはきっといいお嫁さんになるから」

「そうよそうよ」


 先輩女性たちからの励ましに礼を言いながら、リディアは複雑な気持ちで帰路に着いた。


「本当は、魔法ならピカイチなんだけどさ……」


 冒険者は、世界に蔓延るモンスターを倒したり、資源のためにダンジョンを攻略するという危険な仕事をしている。名声を得たい者や、己の限界に挑戦する者など大概が血気盛んだ。


 だが、リディアが冒険者になりたい理由は違っていた。


 水源の回し車で洗った服を、慣れた手付きで庭の物干しロープに下げていく。着古して汚れた灰色のワンピースの上からエプロンをした彼女は、実年齢の十八歳よりずっと大人びて見えた。


「やっと終わった。……ママとのお散歩、どこまで行こうかな」

と、そのときエプロンのポケットでベルが鳴った。途端にリディアは飛び上がって、慌ててポケットから小さなカードを取り出した。


 クリスタルでできたそれは『アドベンチュラ・インフォ・カード』、通称〝アイフォ〟と呼ばれている冒険者たちのための魔法具だ。


 冒険者登録をした人たちのステータスや戦歴、ギルドの情報などを自由に閲覧することができる。もっとも、登録されているのは〝冒険者ギルド本部〟に登録されたものだけで、裏ギルドや野良冒険者はその限りではない。


 リディアがこれを持っているのは、二年前に登録したまま、まだ退会手続きをしていないからだ。データ上は休養中となっている。


 とにかく、リディアはアイフォの新着通知音に歓喜していた。


「すごい。〝三毛猫会〟またランクアップしてる! バルザもレベルアップじゃん!」


 リディアは「きゃー」と声を上げながらアイフォを抱きしめて何度も跳ねた。


「あー、バルザの活躍を間近で見たかったな。悔しいな……」


 リディアはため息をつきながら、洗濯カゴを掴むと家の中へ駆け込んだ。


「お母さん、お散歩ちょっとだけ待ってね、ギルドランキングが更新されたの」


「あー、はいはい」と、キッチンで気のない返事をした母親は、娘がいったいなんの話をしているのかほとんど理解していない。彼女は一度も冒険者になったことがないのでアイフォがなんなのか知らないし、生まれてこのかたモンスターやダンジョンとも縁遠い生活をしているのだ。


 リディアは自室に飛び込んだ。


 机代わりの窓枠にアイフォと黒革の手帖を広げ、情報を書き写していく。それは数年前りんご農園に出稼ぎに行って必死に稼いで手に入れた魔法具で、貴重な紙を消費することなくいくらでも書きつけることができるものだ。


 見渡せば、部屋の壁には羊皮紙の〝冒険者ギルド報〟が所狭しと貼り付けられ、ベッドの真上には地図師たちが使う技術を応用した最近流行りの〝念写絵〟で描かれたバルザの似顔絵が飾られている。


「いつかバルザと同じギルドで活躍したかったな……ううん、無理よね。彼は昔から強かったんだもの。私なんか足元にも及ばない……」


 窓の向こう、小高い丘の上に一本のアカシアの木が見える。その足元にかすかに覗く小さな赤い屋根がバルザの家だった。


「遠いな……」


 そう呟いてから、リディアは首をぶんぶん振った。


「あー、辛気くさいのはだめ!」


 ニコッと笑顔を作り、病気の母のリハビリのために散歩へ出かけたが、それでも最近の彼女は口を開くと冒険者ギルド三毛猫会の話ばかりだ。


「月間ギルドランキングで二十位まできたんだよ。もちろん東地区でのことだから、全世界で見たらまだまだかもしれないけど、結成四年でここまで上り詰めるなんてすごいことなの」

「そーかい」


 ゆっくりとリディアの前を歩く母親は、生返事しながら上の空だった。


 母親もリディアの歳の頃には一座の旅芸人に恋をして、年に二度の公演で最前列をむしり取ったりして親に呆れられた経験があった。だから、年頃の少女がいっとき何かに熱をあげるのは仕方ないことと思って見守っているのだ。


「もうすぐ年間ポイントの高いギルドだけが参加できるトップランカー戦でね、一週間の獲得資源量とモンスター討伐数で競うんだ。しかもその期間だけ高難易度のダンジョンが開放されるから、もしかしたら伝説を残せるかも」

「まーすごい」

「三毛猫会にはすごく強い魔術師がいるし、ギルドマスターは一次職の弓使いだけど補助魔法に長けてて、最近加わった斧戦士もかなりの手練れなの」

「そりゃそりゃ……」

「それになにより、みんなを守る盾戦士がね、すごいんだよ」

「あんた……」


 母親は立ち止まり、疲れた顔をして我が子を振り返った。


「姉さんは嫁ぎ先でたいそう褒められて重宝されているよ。弟だって、父さんの畑を継ぐために必死だ。あんたは、冒険者になるって出ていったから、結婚も他の働き口も考えてなかったけど、もう十八じゃないか。なんとかしないと……」

「お母さんの看病のために戻ってきたの忘れないで。良くなったら修行に戻るから」

「あんたにいったい何ができるんだい」


 驚き呆れた様子の母親に、リディアも思わず声を荒げた。


「私、精霊師よ。攻撃も回復もできるし、補助だって」

「ああ、母さんにはわからないことだ。はいはい、悪かったよ」


 母親はとぼとぼと歩き出した。その背中を見るとリディアも、温め続けている幼い恋心なんて忘れてしまわなければと思うのだ。


「バルザは私のことなんか、覚えてない……。ただ勝手に好きだっただけだもん……」


 それでも家事を終えてベッドに倒れ込み、月明かりに照らされたバルザの肖像画を見上げていると、母親の方を忘れてしまう。


(いい夢見れますように……)




 翌朝、リディアは珍しくアイフォに起こされた。彼女がフォローしているのは三毛猫会だけ。通知音が鳴ったということは、彼らに最新情報があるということだ。


 飛び起きたリディアは、長くウェーブしている髪に寝癖をつけたままアイフォに指を滑らせた。


「え、バルザが、除名……?」



 

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