第2話

「うぅ、まだ痛い……」

「だから、ごめんって言ってるでしょ。それに、もとはと言えばリックが悪いんでしょ」

「だからって、スパナで殴る事ないだろ」

「なによ。また殴られたいの?」

 エタニエルのブリッジで文句を言っていると、ミーアは笑顔でスパナをちらつかせる。

 逃げようにも小型輸送船であるエタニエルにはブリッジ以外に居る場所がなく、俺はそのまま口を噤むしかない。

「横暴だ……」

「ん? 何か言った?」

「いや、なにも」

 それっきり、ブリッジの中には気まずい沈黙が落ちる。

 その沈黙を破ったのは、唐突に発された電子音声だった。

『こちら、ゲートシステムです。識別コード、エタニエルで間違いありませんか?』

「ええ、間違いないわ」

『ようこそ、エタニエル。ゲート通過まで、艦の操舵システムをこちらに預けてください』

 その声に応じるように、ミーアは目の前の操作パネルに何かを入力する。

 そうすると、小さな電子音と共にパネルに『自動操舵』の文字が浮かび上がった。

『システムを認識しました。では、これより第5ゲートへ移動します』

「ちょっと待って。第5ゲートって目的地の裏側じゃない。第2ゲートの方が近いんだけど」

『申し訳ありません。現在、第1ゲートから第3ゲートまでは一般使用禁止となっております』

 悪いと思っているのかどうかも怪しい抑揚のない電子音声を聞いて、ミーアはその細い指を顎に当てて黙り込む。

「って事は、軍が動いてるのか。何かあったのかな?」

『その質問にはお答えできません』

 代わりに発した俺の呟きに、電子音声は律儀に返事を返してくる。

「あぁ、そう。なら仕方ないわね」

 もう少し駄々をこねるかと思いきや、ミーアは素直に電子音声に応じるとそのまま椅子に座り込む。

「今日はえらく素直だね」

「一般使用禁止なら仕方ないじゃない。他の商船が独占してるならともかく、これじゃ駄々をこねても労力の無駄よ」

「ああ、そう言う事ね」

 妙に納得してしまった俺は、そのまま近くにある椅子に腰かける。

 そうして居ると、グンッとした加速度を身体に感じる。

「ゲートが三つも封鎖されてるにしては、待ち時間が少ないね」

 いつもならこのまま数十分は待たされるのに、今日は数分で動き始める。

 そのまま、眼前には大きなゲートが姿を現した。

「軍が動いてるみたいだから、大きな会社は警戒してるんでしょ。こんな日に外に出るのなんて、せいぜい同業者くらいよ」

 後は、どうしても今日中に行かなきゃいけない場所のある人たちね。

 と、優雅に足を組んだミーアが答える。

 目を瞑ってリラックスしている様子は、外の事など全く心配して居ないようだった。

「俺たちも、こんな日に外に出て大丈夫かな?」

「どうって事ないわ。モーターも取り替えたばかりだし、エンジンだって違法ギリギリまで改造してあるから、そんじょそこらの船よりも早いもの。何かあっても、全速力で逃げれば無問題よ」

「そういう問題かなぁ?」

 とは言え、活動の全てをミーアが牛耳っているんだから、従業員の俺はそれに従うしかない。

 これ以上文句を言ったら、この場で外に放り出されそうだし。

『お待たせしました。まもなく、ゲートを通過します。良い旅を』

「ありがとう」

 その電子音声を最後に、通信は切れる。

 そして目の前のゲートがゆっくりと開くと、そこからは漆黒の宇宙空間が広がっていた。

 未だ自動操舵のエルニエルはゆっくりとゲートに向かって進むと、そのまま宇宙空間に放り出されてしまった。

 そして背後でゲートが閉まるのと、ミーアが自動操舵を解除するのはほとんど同じタイミングだった。

「さて、じゃあ目的の場所まで向かいましょう。ゲートが違ったから、予想よりも遅くなるし」

「なら、急がないとね」

 他人事のように言う俺を睨んだ後で、ミーアは操作パネルに視線を戻す。

 そのまま、船の操作に集中し始めたようだ。

 その間の俺と言えば、ただ椅子に座っているだけ。

 もちろんレーダーなどは確認しているんだけど、それでも基本的にエルニエルの操舵はミーアの担当だ。

 よって仕事のない俺は、レーダーから視線を離して眼前に広がる宇宙を眺める。

 そこに広がるのは、果てしない黒と、そこに散らばる小さな星々。

 その星たちの中にかつての俺の故郷があるかもしれないと思うと、俺はなんだか感慨深いものを感じた。

「あっちには、確か太陽系があるんだよね。人類の、始まりの地が」

「大昔の話ね。って、もしかしてあなたにとってはちょっと前の懐かしい記憶なのかしら?」

「いや、憶えてない。でも、そうかもしれない」

 自分の名前だって分からなかったんだから、そんな事を憶えているはずもない。

 だけどこんなに胸が苦しくなるんだから、もしかしたらそうなのかもしれない。

 その方が、なんだか希望が持てるような気がする。

「まぁ、思い出話はここまでにしましょう。ただでさえ、この周りはデブリが多いんだから」

「だったら、ここでジャンクを集めれば良いんじゃない?」

 そう言うと、ミーアは心底呆れたようにため息をついた。

「もしかして、数週間前の記憶もなくしちゃったの? この辺りのデブリは、もう漁り尽くされてるの。いまさらそんな所に行ったとしても、あるのは本物のゴミだけよ」

 そう言うと、ミーアはそのまま速度を上げてコロニーから離れていく。

 だんだんと遠くなっていく地球を名残惜しそうに眺めていると、ミーアは俺の頭をはたいた。

「ほら、感慨に浸ってる暇があったら準備運動でもしてなさい。目的地に着いたら、今度はあなたが仕事をする番なんだから」

「分かってるよ。ミーアこそ、操舵はもう良いの?」

「ええ、デブリ帯は抜けたから、あとはジャンクステーションに着くまで自動操舵よ。ショートジャンプも繰り返してるから、モーターの様子だけ見てなきゃならないけど」

 リラックスして椅子に座るミーアを眺めながら、俺は言われた通りにゆっくりと準備運動を始める事にした。

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