第14話 帰るなんて言わないで……
突然、馬車から飛び出した私に、振り返ったアルフレッドは少し驚いた顔をしている。
そうよね。私が並々ならぬ思いでここに来ていることを、あなたは誰よりも知っている筈だもの。今から、私が何を言おうとしているかくらい、分かるわよね。
「どうしました、リリー?」
「……まさか今から帰るなんて言わないわよね?」
スカートの裾が大きく揺れるのも関係なしに、大股でアルフレッドに歩み寄った私は、その綺麗な顔を覗き込むようにして見上げた。
一瞬、視線がそらされた。
やっぱり、そうだわ。アルフレッドは何の成果もなしに帰ろうとしていたのね。
「どういうこと? 遺跡の調査はこれからでしょ? まだ、何も分かっていないじゃない!」
「少なくとも、姿なき所有者にはまだ戦うだけの魔力があると分かりました」
「それは、私たちが塔から放り出されたことを言っているの?」
私の言葉に、周りの者達の顔色が悪くなった。馬車から出てきたメアリーなんて、今にも泡を吹いて倒れそうな顔をしているわ。
「リリー、私は貴女を守る義務があります」
「……義務?」
「もしものことがあれば、ウォード侯爵夫妻に顔向けできません。それに、お祖母様からも──」
引く様子のないアルフレッドが静かに告げた言葉は、私の心にいくつも突き刺さった。
結局、彼にとっても私はウォード家の令嬢でしかないということかしら。
結婚して、私は変われるんだって思っていた。つまらない生活も、大人しく言いなりになって微笑んでいるような貴族令嬢の生活も、全部変わるんだって。アルフレッドとなら変えていけると信じてきたけど、彼にとっての私は、侯爵家から嫁いだ令嬢にすぎないのね。
これからも、主従関係のような夫婦で歩んで、こんな
アルフレッドは、それで私が満足すると思っているのよ。
懇々と説教をするように続いていた彼の言葉を聞いていると、悲しいとか、悔しいとか、負の感情が胸の奥で渦巻いた。
だけど、仕方ないわ。──心の隅で蹲っていた大人しい私が呟く。結婚して早々に問題を起こしたら、悪名がつくに決まっているものね。それくらい、私だって分かるわよ。長年、淑女教育を受けてきたんですもの。
アルフレッドの長い説得が終わり、しばらくしてから私は口を開いた。
「……分かりました。帰りましょう」
「きちんと準備をしたら、また──」
「アルフレッド……あなたも、私を別世界には連れて行けないのね」
私の手を掴もうとしたアルフレッドの指を弾き、振り向きもせずに馬車へと向かった。
結局、私はお荷物のお嬢様なんだと思うと情けなくて、鼻の奥がツンッとしてくる。
学園では戦闘訓練こそなかったけど、私だって、魔法が使えるのよ。王太子妃殿下のような結界は張れないけど、私だって癒し手で、皆を守れるわ。私だって──
悔しさのあまり、戻った馬車でフードを深く被って肩を震わせ、涙を流した。
メアリーが凄く心配してくれて、側に寄り添いながら何度も「申し訳ありません」って言ってたけど、彼女には何の責任もないのに、おかしなな話よね。
程なくして、アルフレッドが戻ってきた。勿論、彼に涙なんて見せたくないから、それからはぐっと堪えて
二度と、アルフレッドと話してあげないんだから。謝っても許さないんだから。
動き出した馬車の中は、まるでお葬式のようで、しんっと静まり返った。
ややあって、馬車がガタンっと揺れて動きを止めた。
どうしたのかと思っていると、馬車のドアが叩かれた。
小窓にかかるカーテンを開けると、そこには困惑した顔の従者がいた。
「どうした?」
「アルフレッド様。妙なんですが……」
「馬車に異常でも起きたのか?」
「いいえ。馬車ではなく、いくら進んでも森の道を北に曲がると、塔の前に出てしまうんです」
「どういうことだ?」
「道を間違えたのかと思い、思い切って逆の道を行いいてみましたが、それでも、この通り──」
従者が身をずらすと、小窓の向こうには植物の蔦に覆われた塔が、高く
愕然としたアルフレッドはドアを開けると外に出た。それを追って私も出ると、まるで背中を押すように風が吹き抜けてスカートを大きく揺らした。
「必ずここに戻ってしまうんです。もう、どうしたらいいか分からず……」
「分かった。ひとまず調べよう。セバス、ベルダ、この車輪の後を辿って馬で走ってくれるか?」
騎士の二人に命じたアルフレッドは、彼らが馬で駆けるのを見送ると、厳しい表情で馬車の周辺を歩き始めた。
これはどういう事なの。
もしかして、塔の姿なき所有者が、私たちを足止めしているのかしら。だとしたら、何のために。
振り返った先で、蔦に覆われた塔は高く高く聳え立っていた。
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