第5話 フェリクス様に嫁がないという選択肢があったなんて考えもしなかった。

 震えそうになる指を膝の上で握りしめ、どう返事をすれば侯爵様を困らせないのか、正解なのだろうか考えるも、言葉は出てこない。

 俯くと、握りしめた拳の上に熱い雫がぽたぽたと落ちた。


「リリー、どうしますか。貴女が望むのであれば、同意をしても良いでしょう。でも、報復を与えることも出来るのですよ」

「……報復?」

「あの二人は、お父様のウォード家だけでなく、我がロスリーヴ家に泥を塗ったのも同然なのですよ。旦那様に口添えをしてもらおうなどと、何て浅はかなのでしょう! 何よりも、お互い愛し合っているからなどと、子どもの理由が許されるわけありません」

「スカーレット、落ち着きなさい。……まぁ、報復というのは些か厳しいが、あちらが婚約破棄をしたいというのであれば、それなりの責任を負ってもらうことになるな」

「あんな不誠実な輩のとこに、お嫁に行く必要はないわ、リリー」


 お嫁に行かない。そんな選択肢があるなんて思いもしなかった。

 私とフェリクス様の婚約は五年前に結ばれたもので、私が学園を卒業したらすぐに婚礼を行う約束になっていた。彼がダイアナと恋に落ちてしまったとしても、家と家の契約に、そんな理由でご両親が納得してくれるのかしら。

 それに、オーランド伯爵様はどう思われるか。

 不誠実な行為で婚約破棄をするなんて、お家としても悪い噂が立つに決まっているわ。


 でも、もしも両家が許さなくて、フェリクス様と結婚したら、私は彼と恋をすることが出来るのかしら。

 ダイアナが彼を見つめる顔が、まざまざと蘇り、胸の奥がくらくなっていく。

 

「……オーランド伯爵様は、ご承知なのでしょうか?」

「これから承諾を得に行くと言っていた。私を後ろ盾にして、説得するつもりだったのだろう」

「旦那様、甘く見られたものですわ!」

「そうだな。私も、少々腹を立てているよ。しかし、オーランド伯爵には同情するな。あれが跡継ぎとは」

「リリー、そんなところに嫁ぐ必要はありませんよ! そもそも、リリーにはもっと相応しい男性がいるではありませんか」

「……私に、相応しい?」

「スカーレット。そんなことを言い出したら、リリーが困るだろう」

「あら、旦那様も言ってらしたでしょ。あんな不誠実な男ではなく、アルフレッドに嫁がせるべきだって!」


 突然の言葉に、理解が追い付かず、私は瞬きを繰り返しながらお姉様を見た。

 息巻くお姉様は、すっかり飲み頃になった紅茶で喉を潤され、ふうっと息を吐くと、私と私の後ろに控えているアルフレッドを順に見て微笑んだ。


「あ、あの……お姉様?」

「何を驚いているのですか。幼い頃からあなたを見守ってくれたアルフレッドでしたら、何の心配もいらないでしょ?」

「い、いえ、あの……アルフレッドは、私の従者ですし、その、兄といいますか幼馴染といいますか……」


 そもそも、アルフレッドは子爵家の息子だから、お父様がそこに嫁ぐことを認めるとは思えないのだけど。だって、大きな騎士団を持っていられるオーランド伯爵様だから、有益性を考えられて私を嫁がせようとしくらいよ。バークレー子爵家は我が家と繋がりがあっても、そういった有益性はないと判断しそうだわ。

 唐突な話に驚いた私は、悲しみを吹き飛ばされ、涙が止まっていることに気づいた。

 

「リリー、あなたが選んでいいのですよ」

「……私が、選ぶ?」

「そうです。不誠実を働いたのはあちらなのですから、あなたには選ぶ権利があるわ。それに、私と旦那様は味方よ」


 フェリクス様とダイアナのことを知り、嫁いでからの私の人生はどうなるのかと悲観していたけれど、嫁がないという選択肢があるだなんて。それに、アルフレッドに嫁ぐなんて、考えもしたことないわ。


「失礼します、お嬢様」


 優しい声が振ってきた。見上げると白いハンカチを手にしたアルフレッドが、私の頬にそっと触れた。

 そうだ。アルフレッドはいつだって私を見守ってくれていて、いつも、優しくて──だって、泣き顔を周りに見られないように注意を払いながら、私を学園から連れ出してくれたわ。

 そう考えると、傷ついた心に彼の存在はとても優しくて、まるで紅茶に溶ける甘い生クリームのように思えてきた。


「涙が止まられて良かったです」

「アルフレッド……あ、あのね……」

「ですが、私との結婚は少々考えられた方がよろしいかと思います」

「……え?」


 浮上していた私の気持ちが、すとんと落ちていった。

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