第10話 ランチタイム
森を出たシャーロットはすぐには館に帰らず、村の畑に寄った。村人たちの挨拶に軽く返して、作物が育っている場所に行く。
「ここのアスパラガス、少しもらっていくわ」
「どうぞ、どうぞ。今日の夕メシですかい?」
「そんなところね」
アスパラガスを折って、何本かバスケットに入れる。
「奥様、人参もそろそろ食べられますよ」
「ちょっと見ない間に大きくなったわね。じゃあ、人参も持っていくわ」
シャーロットが人参を抜こうとしたら、近くにいたフェイリムがさっと抜いて差し出してくれた。
「どうぞ! これ、生のままでかじってもウマいよ」
「あら、そう? ちょうどいいわ。もらっていくわね」
泥を軽く落として、やはりバスケットに入れる。
他にもほうれん草やきゅうりを収穫して、シャーロットは館への道を歩いていった。
エゼルは今日も寝室でぼんやりとしていた。窓の外は明るい光で満ちている。太陽の位置は高く、強い陽光が既に正午を告げていた。
そうと知っても、エゼルは動こうとしない。彼はもう、何もかもが嫌になっていた。
エゼルは自分が無能だと知っている。優秀な弟と常に比べられ、劣っていると見せつけられながら育ってきた。
王都にいた頃から、未来の国王の責任を弟に押し付けて逃げ出したいと考えていた。
そんな願いは思ってもみない形で叶うことになる。
婚約者シャーロットの罪状だ。
エゼルはシャーロットの罪、水の聖女への傷害未遂は冤罪だろうと考えている。良くも悪くも世間知らずなお嬢様であるシャーロットが、そこまでするとも思えなかったからだ。
けれども、シャーロットと連座して受けた弾劾は、思いの外エゼルの心に堪えた。ここで彼は、自分が無能の上に弱い人間であると自覚せざるを得なかった。みじめだった。
追放された田舎の環境は、未だに馴染めない。薄汚れた館も、土と堆肥の匂いがする村も。
粗末で不味い食事と、何も手伝ってくれない使用人たちも。
ひ弱なお嬢様育ちだと思っていたシャーロットは、意外なまでの強さを発揮してすっかり溶け込んでいるというのに。
情けない。苦しい。何も見たくない。悲しい。何も聞きたくない、動きたくない、動けない……。
目と耳を塞ぎながら、今日もエゼルは心を殺している。
――はずだった。
「エゼル様、失礼いたしますわ!」
シャーロットの声がして、勢いよくドアが開かれる。
エゼルがのろのろと顔を上げると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
王都にいた頃よりも、ずっと生き生きした笑顔。泥で汚れたエプロンとスカートの装いも、彼女の美しさを損なわない。
まぶしさに目を細めたエゼルの腕を、シャーロットは取った。
エゼルはびくりとする。このシリト村にやって来て以来、彼女から触れてきたのは初めてだったので。
「エゼル様。昼食はもう取られましたか?」
エゼルは黙って首を横に振った。昼食はおろか朝も食べていない。それどころか、ここしばらくまともな食べ物を口に入れていなかった。
「では、私と一緒にどうぞ。今日は私が手ずから作りましたのよ」
「きみが?」
驚いて、エゼルは思わず妻の顔を見た。ほんの何ヶ月か前まで、蝶よ花よと育てられたシャーロットは家事や料理は何一つできないはずだったが。
「奥様がやったのは、野菜を水洗いする所だけですよ。後はあたしが作りました。ご安心を」
寝室の戸口でメリッサが言った。その後ろにはオーウェンの姿も見える。
「外はいい天気ですぞ。庭にテーブルを出しました。外の空気を吸いながら食事といたしましょう」
「いや……」
放っておいてくれと言いかけて、エゼルは続きを言えなかった。
シャーロットが強引に腕を引っ張って、彼を立たせたのだ。
「行きますわよ!」
エゼルは抵抗を諦めて、連れられるままに館の庭へ出た。
庭木や花々、それに雑草までもが元気に茂る庭に、ひとそろいのテーブルセットが置かれている。
初夏の日差しを遮るために四方に杭が立てられて、その上に布が渡してあった。
エゼルは大人しく席についた。
食卓の上には、さまざまな野菜と豆の料理が並んでいる。緑が中心の色合いの中、人参のオレンジやカブの白が目を引いた。
「…………」
それらの料理をエゼルは無感動に眺めた。食欲は全くない。早く寝室に戻って頭から布団をかぶりたかった。
「いただきます」
シャーロットは早速食べ始める。フォークに刺したのは、アスパラガスのオリーブオイル炒めだ。
「美味しいですわ! メリッサ、あなた、味付けが上手になったわね」
「恐縮です。でも、あたしの料理の腕よりも新鮮な野菜のおかげだと思いますよ」
「あはは、それもそうね。メリッサは掃除は得意なくせに、料理はいまひとつだものねぇ」
女子2人は楽しそうにおしゃべりをしている。
最初は険悪だったのに、いつの間に仲良くなったのだろう。エゼルは不思議な気持ちで彼女らを眺めた。
「ご領主。メリッサの料理の腕はともかく、今の時期の野菜は本当に美味しいですぞ。一口だけでも、どうぞ」
オーウェンが給仕してくれるが、エゼルは浮かない顔のままだ。
「食欲がない。後でいい」
「エゼル様……。無理にとは言いませんが、どれか1つだけでもいかがですか」
食事の手を止めて、シャーロットが彼を見た。
「この人参もアスパラガスも、カブも。ついさっき、村まで行って畑から採ってきたのです。新鮮さはこの私が保証しますわ」
「きみが採ってきた……」
エゼルは呟くように言って、カブのスープを見た。煮込まれたカブの白さが、スープの中で優しく光っている。
「……じゃあ、一匙だけ」
「はい!」
シャーロットが嬉しそうに、木製のスプーンを渡してくる。かつては不慣れで気味が悪いと思っていた、木の食器。
匙をカブに押し付けると、カブは柔らかく割れる。一口ぶんだけ匙に載せて、口に含んだ。
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