第8話 森の守護者


 翌日、よく晴れた空を背に、シャーロットは森の縁まで来ていた。

 時刻はまだ午前。目の前には森の入口。木々が連なるずっと遠くには、山脈の堂々とした佇まいが見える。

 エプロンのポケットにはメリッサが書いた地図があった。特に難しい地形でもない。少しばかり進むと、すぐにカモミールの群生地を見つけた。


 カモミールは春から夏の前半にかけて咲く花である。

 初夏の今はまさに花盛りで、白い花びらと黄色い花の中央部のコントラストが目に楽しい。

 シャーロットは迷うことなく膝を折って、花を摘んだ。手折った花は片手に下げたバスケットに入れていく。エプロンの膝の部分が土で汚れたが、彼女は全く気にしなかった。


 夏風が森を渡って行く。

 その心地よい感触と、甘やかな花々の匂いにシャーロットはにっこりと笑った。


 ――と。


 誰かに呼ばれたような気がして、彼女は顔を上げた。

 きょろきょろと辺りを見回すものの、誰もいない。木々の間から夏の日差しが漏れているだけである。

 けれどもシャーロットは何かを感じた。少し迷った後に立ち上がって、「そちら」へと歩いていく。

 見えない糸に引かれるような心持ちで、彼女はまっすぐに森の奥へと分け入った。

 本来ならば足を取られるはずの下草も、害のある虫たちでさえシャーロットに道を譲ったのである。


 やがて深く茂った木々の向こうに、青く光る泉が見えた。

 まるで青い宝石を溶かしたような、この世のものとも思えない青さだった。


「ここは、いったい」


 泉のほとりで呟いた時。


『ようこそ、大地の乙女よ。清らかなるきみを歓迎するよ』


 頭の中に声が響いた。カモミールの花畑で聞いた声。

 目を上げれば、泉から湧きいでるように白い獣が佇んでいた。


 純白の毛皮に、白金のたてがみをした美しい馬。

 一番の特徴は、額に長い一本角が生えていること。


一角獣ユニコーン……!?」


 シャーロットは驚きのあまり、手にしたバスケットを胸に抱いた。







 ユニコーンは伝説上の聖獣とされてきた。森と大地を司る精霊の一種とも言われている。

 純潔の乙女にのみ心を許し、背に乗せることすらあるという。

 そう、『精霊』だ。この獣と意思の疎通をするということは、すなわち聖女である証。

 シャーロットは口をぱくぱくさせた後、しばらくしてやっと声を絞り出した。


「ほ、本物……? たまたま角をくっつけた、ただの白い馬じゃなくて?」


『失礼だな。僕は正真正銘の一角獣だとも。この角だってちゃあんと頭から生えている』


「だって、だって! 本当のユニコーンなら精霊なんでしょ!」


『まあ、そうだね。大地の魔力に深く関わるという意味では、僕は確かに精霊と言えるだろう』


「じゃあ、あなたと対話ができている私は聖女なの!?」


『人間の理屈で言えばそうなんじゃない?』


「なんてこと! 私が聖女だったなんて。こんなことなら王都を追放される理由、一つもなかったじゃない。

 今すぐに王都に戻って、あの生意気な女をとっちめてやるわ!!」


 シャーロットはバスケットを抱き潰さんばかりの勢いで息巻いた。

 ユニコーンが呆れた様子で言う。


『やめなよ。僕たちが会話できるのは、この森でだけだ。きみが王都とやらに行ってしまえば、僕は追いかけられない。お別れだよ』


「はぁ~? どうしてよ!」


『僕はこの森と山の精霊だから。この場所を離れられないんだ』


「……そうなの?」


『うん。そうなの』


 ちょっとの沈黙が流れた。

 シャーロットはひしゃげてしまったバスケットに気づいて、咳払いをした。


「ええと、こほん。それで、神聖なるユニコーン様が、私にどんなご用かしら」


『別に用というほどでも。きみはとてもきれいな魔力の色をしているから、友だちになりたかったんだ』


 ユニコーンはそう言って、シャーロットに歩み寄った。一歩ごとに泉のほとりの草が揺らめいて、静かな魔力を放っている。


『うん。とてもいい匂い』


 獣が鼻面を寄せてきたので、シャーロットはおっかなびっくり、たてがみを撫でてやった。

 ユニコーンは気持ちよさそうに目を細める。


『ああ、やっぱり乙女の魔力はいいなあ。この辺りの人間は、魔力を持っていない者ばかりだから』


 もっと撫でて、とユニコーンはすり寄ったが、シャーロットはぱっと手を離した。

 その瞳は先ほどと打って変わって、怒りの炎が灯っている。


「乙女で悪かったわね。そりゃあ私はまだエゼル様と結ばれていないわ。結婚からもう3ヶ月も経ったというのに!」


 シャーロットは密かにこの点を気にしていた。最初は乙女の身だからこそやり直しが容易だと軽く見ていたが、落ち込んだままでいるエゼルを見ていると、打ち捨てていいのか分からなくなったのである。


『いいじゃないか。人間の男なんか放っておいて、僕と仲良くなろう』


「夫を捨てろと? だいたいね、なんでそんなに乙女であることを重要視するのよ。人間が全員純潔だったら、子供が生まれずに滅亡しちゃうじゃない!」


『えー?』


「あなたみたいなタイプ、王都にもいたわ。自分は年寄りのくせに若い娘が大好きで、とりわけ乙女に変なこだわりを持ってるの!」


 少女だった頃、その手の男性にいやらしい目で見られて不快な思いをしたのを思い出した。ぶるっと身を震わせる。


『ちょっと、それは心外なんだけど。僕はそういう生き物なんだよ。汚れなき身体で、大地と親和性の高い魔力の人間こそが僕の寄る辺なんだ』


「汚れなきという言い方が気に食わない。じゃあ何? 子供を産んだ女はみんな汚れてるの? 私のお母様やフェイリムとティララの母親も汚いの?」


『そういうわけじゃ……』


「伝説のユニコーン様が王都の変態じじいみたいな奴でがっかりしたわ。私、もう帰る」


 シャーロットがそう言って踵を返したので、ユニコーンは慌てた。


『待って、待って! もうちょっと僕の話を聞いてよ』


 あんまり必死な様子だったので、シャーロットは仕方なく振り向いた。

 それから泉のほとりに腰掛けて、ユニコーンの話を聞いてみることにした。

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