第4話 初めての朝


 翌朝、朝日のまぶしい光でシャーロットは目を覚ました。

 少し距離を置いたベッドの端では、エゼルが背中を丸めて眠っている。

 シャーロットは寝起きの喉の乾きを覚え、いつも通りベルを鳴らして使用人を呼ぼうとして――ベルもなければ来てくれるメイドもいないのだと思い出した。


 不満をぶつぶつと愚痴の形で吐き出して、彼女は起き上がった。

 着替えは、自分でやろうと決めた。どうせメリッサを呼んだところで、手を貸してくれないだろう。

 トランクを開ける。衣装はクローゼットに吊るしていないおかげで、畳みしわが出来てしまっている。

 シャーロットはイライラしながらドレスを取り出し。


「どうやって着ればいいのかしら……」


 完全に困ってしまった。華美で複雑な形のドレスは、いざ1人で着ようと思うとどこから袖を通していいかすら分からない。


「エゼル様、エゼル様! 起きて下さいまし。着替えたいのです。お手をお貸し下さい」


「起きたくない」


 すぐに返事があったところを見ると、眠っていたわけではないようだ。いつも覇気のない彼だが、今日は特に平坦な声だった。


「どうせ僕が手伝ったところで、役に立たない。寝かせておいてくれ。そうすれば、現実を見ずに済む……」


 シャーロットは呆れた。彼女とてこのとんでもない環境の中で生き抜いて、王都に返り咲く決意をしたというのに。


「そうですか。では勝手になさって。私は朝食をいただいてきます」


 そう言い放って、彼女はネクリジェにガウンを羽織った姿のままで部屋を出た。

 よく晴れた日のようで、屋根の破れ目から青空が見える。

 水たまりも昨日より減っていたせいで、スリッパ履きの足でも転ばずに食堂までたどり着けた。

 昨夜は食べそこねてしまったせいで、シャーロットのお腹は限界までぺこぺこになっていた。


「おはようございます、奥様。ちょうど朝食が出来上がったところです」


 食堂の隣の厨房から、メリッサが顔を出す。

 シャーロットは無言で席についた。今までは使用人が椅子を引いてくれたのに、誰もいないので、仕方なく自分でやった。


「オーウェンは?」


 メリッサが配膳をしに来たので、シャーロットはぶっきらぼうに聞いた。


「庭掃除をしています。今の季節は、雪の下に埋もれていた枯れ葉や埃が目立ちますから」


「そんなもの、庭師に――」


 言いかけて、シャーロットは顔をしかめた。庭師もいないのだった。だから執事のオーウェンが庭掃除までやるのだ。

 簡素な硬いパンと野菜のスープだけの朝食を済ませると、シャーロットの体に力が戻ってきた。


「メリッサ。着替えたいの。手伝いなさい」


 居丈高に言うと、メイドは軽く肩をすくめた。


「奥様はドレスを着るつもりですか?」


「当たり前よ。侯爵令嬢の私がドレスを着ないなんて、ありえないわ」


「もう令嬢ではないでしょう。エゼルウルフ様の妻なのですから」


「そ、それはそうだけど、とにかく私は高貴な貴族の女なの! 口答えしないでやりなさい」


「はぁ」


 メリッサは気のない返事だったが断らなかったので、シャーロットは彼女の腕を引いて部屋に戻った。







 寝室ではエゼルがまだベッドに入ったままだった。

 シャーロットは彼を無視して、先程着るのを諦めたドレスを広げた。


「どう、この美しいデザイン! 銀糸の刺繍も見事でしょう。こんな田舎じゃあ一生お目にかかれない、有名デザイナーの手による一級品よ!」


 ドレスは青紫を基調として、咲き誇る花を思わせる華麗なものだった。

 シャーロットのストロベリーブロンドの髪、空色の瞳によく似合う出来である。

 このドレスは彼女のお気に入りだった。だから色んなものを諦めて王都を出た時も、これだけはと思って持ち出したのだ。


「確かに素敵なお衣装です」


 メリッサがうなずいたので、シャーロットは得意な気持ちになる。


「でも、これを着てどこへ行くつもりですか? こんなに裾が長いと、家の中を歩くだけで汚れます。まして土の道は歩けません」


「わ、私は土の道など歩かないわ!」


「領主の妻なのに? 領民と顔を合わせ、言葉を交わさないのですか」


「私が行く必要はないわ! 呼びつければいいのよ」


 シャーロットは顔を真赤にしながら叫んだ。ほとんど唯一、手元に残ったお気に入りのドレスを着る機会すらないなんて、みじめすぎる。


「それでは領民たちは心を開きませんよ。ただでさえ、ご夫妻は評判が良くないのに」


「な……」


 歯に衣着せぬとはこのことだろう。メリッサの直球の言葉にシャーロットは絶句した。


「無礼者!! 出ていきなさい、今すぐに!」


「仰せのとおりに」


 シャーロットがドアを指差すと、メリッサはさっさと行ってしまった。


「ありえない……! 謝罪の一言もなし? ここに鞭があれば、何度でも打ってやるのに!」


 怒りがおさまらず、部屋の中をうろうろと歩く。

 エゼルはこの騒ぎにも耳を塞いで、布団をかぶっている。

 しばらくして気が落ち着いてくると、また不安が襲ってきた。


 シャーロット1人ではドレスを着ることすら出来ない。ネグリジェでは出かけるのも不可能だ。

 それではこの薄汚い部屋で、無気力に横たわっているエゼルと2人きりでずっと過ごさなくてはいけないのか?

 ……それは、ぞっとする考えだった。







 シャーロットは怒りとプライドを押し殺して、再度メリッサに手伝いを命じた。

 美しいドレスは諦めて、この屋敷と周辺を出歩ける程度の服を見繕ってもらう。

 メリッサは屋敷にあったという乗馬服の上下を持ってきた。

 シャーロットは乗馬の経験がない。それにレディがパンツスタイルで外に出るなどもってのほかだと主張した。

 するとメリッサは、やや古びたデザインのロングスカートを出してきた。揃いの生地のジャケットも一緒だった。


「……仕方ない。妥協するわ」


「それはよかった」


 乗馬服のブラウスにジャケットを着て、スカートを身につける。

 ドレスよりはよほど着付けが簡単で、動きやすい。でもそれだけだ。美しさにも豪華さにもセンスにも欠ける。気に入らない。

 シャーロットはとても不本意だったが、これも王都に返り咲くまでだと我慢した。


「午後から散歩に行くわ。ついてきて」


「はい。おひとりで行かせるのは心配ですから」


 相変わらず、余計な一言が多いメリッサだった。

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