第5話 土の魔法
雪解け水でぬかるんだ道を歩きながら、シャーロットは今後の身の振り方を考えていた。
王都に戻って水の聖女セレアナに復讐をするには、どうしたらいいのか。
無能と悪女のレッテルを貼られて追放されたのだから、それらの悪評と反対のことをすればいいのでは?
この考えはなかなか名案に思えた。
無能の反対は有能。悪女の反対は聖女だろうか?
「聖女は頭にくるから、やめましょう」
シャーロットは小さく呟いた。
このソラリウム王国において『聖女』とは、精霊と交信する能力を持った魔力の素質が高い女性を指す。
精霊交信能力は、魔力以上に生まれ持った素質がものを言う。ないものねだりをしても仕方ないと、こればかりはシャーロットも諦めていた。
では、悪の反対で善。慈悲深く心清らかな人といったところか。
なんだ、簡単じゃないの、とシャーロットは思った。
今のままでも私は十分に善人。
それならば、有能の方に力を入れよう。
有能を示すにはどうしたらいいか。派手に活躍して、誰もが認めざるを得ない功績を上げるのが一番だろうが……。
そこまで考えて、一つうなずいた。
この田舎の土地でたっぷり税を取り立てて、王都へ戻る資金にしよう。
まずは畑の様子を見に行こう。どのくらい税が取れるのか、確認しなければ。
少しばかりの距離を歩いて、シリト村の集落に着いた。
畑は日当たりが良い場所にある。建物の影や森の中ではまだあった残雪も、ここらではすっかり消えていた。
村人たちは畑に出て、土作りや耕作を始めている。
シャーロットは狭いあぜ道に入るのが嫌で、畑の手前で足を止めた。
「皆のもの、ごきげんよう。私はシャーロット・フェリクス・ソラリウム。この土地の領主、エゼルウルフ様の妻ですわ」
正直に言うと彼女はエゼルと結婚した実感はまだないし、彼のことを見限り始めている。
けれども他に言いようがなかったので、シャーロットは無難な名のりを上げた。
彼女の予想では、美しい貴族のレディの姿に感服した下賤の民たちは、涙を流しながら平伏するはずだった。
しかし農民たちはろくに作業の手を止めず、形ばかりの礼を返してくるのみである。
「メリッサ。あの無礼者たちは何なの? 私が王都にいた頃であれば、絶対に許さず鞭打ちをしたわ」
不満たっぷりにメイドに文句を言うと、メリッサは肩をすくめた。
「と、申されましても。彼らは農作業で手一杯なんです。面倒事を振りまくばかりの貴族、それも王都を追放されたといういわくつきの貴族にわざわざ敬意は示さないでしょう」
シャーロットは黙った。農民たちを慮ったのではなく、追放の二文字が胸に刺さったからだ。
「……もういいわ。村長はどこ?」
よく考えたら、シャーロットが畑を見たところで取れ高を予想できるはずもない。分かっている人間に聞いた方が早いだろう。
「村長! シャーロット様がご用だそうですよ」
メリッサが口元に両手を当てて叫んだ。
壮年の男性が顔を上げて、こちらを見る。
「メリッサさん、今でなくちゃ駄目ですかね? 作業の途中でキリが悪いんだが」
「駄目よ! 高貴な貴族である私が用事があると言っているの。今すぐ来なさい!」
シャーロットも負けじと叫ぶと、村長はやれやれといった表情でクワを置き、近づいてきた。
「それで、お貴族様。どんなご用件で?」
「この村の税収を知りたいわ。教えなさい」
「はぁ……。まあ、豊作でも不作でもない年ならば、小麦は200リブラ程度の収穫量で、税金は5割。100リブラほどですな」
「…………」
シャーロットは再び黙った。その小麦がどれだけの金額になるのか、見当がつかなかったのだ。
「100リブラは金貨80枚ほどですよ」
見かねたメリッサが助け舟を出してくれた。
「金貨80枚!? 少なすぎる……!」
シャーロットはショックのあまり唸るような声を出した。
ソラリウム王国の平均的な労働者の年収は金貨10枚足らず。平民たちにとっては十分な大金なのだが、お嬢様育ちのシャーロットは感覚が違った。
「そんなはした金、ドレスと宝石をいくつか新調したらなくなっちゃうじゃない……」
がっくりとうなだれるシャーロットを、村長とメリッサは複雑な目で見ていた。
シャーロットはがっかりしながら、村人たちの農作業風景を見るとはなしに眺める。
皆が泥にまみれた服を着て、まだ肌寒い春の季節だと言うのに汗をかきながらクワを振るっている。遠くの方では牛が一匹だけいて、農具を引いて畑を耕していた。
シャーロットは落ち込みから回復してくると、だんだんと腹が立ってきた。
そんなに広い畑でもないのに、手作業でのろのろとやっているのが悪いのだ。だから収穫高が低くて、ろくに税も取れない。
「お前たち、どきなさい」
シャーロットは畑に向かって踏み出した。柔らかい土に靴が汚れて顔をしかめる。
「奥様。農民たちの邪魔をしては……」
「邪魔じゃないわ! この私が、高貴なる令嬢の私が手本を見せてあげるのよ!」
言いながら、彼女は手のひらを地に押し付けた。しゃがみ込む際にスカートを押さえる動作が、この場所に不似合いなほど優雅だった。
『母なる大地の土くれよ。御身をうねる波として、地表に波紋を描きたまえ!』
特殊な言語で紡がれた呪文が終わると同時に、シャーロットが触れた地面が震えた。それから水面に波が起こるように、一直線に土がうねっては掘り返されていく。
土の波はそれなりの距離を進んで、やがて止まった。
農民たちが息を呑んでいる。
「こういう時こそ魔法を使いなさい。初級の土の魔法でも、十分に効果を発揮するわ」
手指についた泥を払い落としながら、シャーロットが言う。土の魔法は彼女が最も得意とする属性だった。
そして、驚きの目で彼女を見つける村人たちに気づいた。
「……何よ?」
「奥様。この者たちは魔法を使えません。平民で魔力の素質を持つ者はまれですから」
メリッサに言われて、シャーロットは目をぱちくりとさせた。
貴族はほとんどが魔力持ちである。魔法が使えない人間という存在に、彼女はピンと来なかった。
農民たちが口々に驚きの声を交わしている。
「おい、見たか。あれが魔法だってよ」
「すげえなぁ。あっちゅうまにこんなに耕せたぞ」
「魔法、かっこいい!」
「都会のお貴族様は魔法を使うと、噂で聞いていたけど。こんなにすごいだなんて」
驚きと羨望と、少しばかりの恐れが混じった視線を受けて、シャーロットは怯んだ。
「な、何よ。今のはありきたりな初級魔法じゃない。驚くなんてどうかしてるわ。私をからかっているの?」
「違いますよ、奥様。彼らは純粋に、初めて見る魔法に感動したんです」
「え、そ、そう……」
困惑したシャーロットは、わいわいと騒ぐ村人たちを見た。彼らは魔法の跡を触ってみたり、横を歩いたりしたりして楽しそうだ。
時折ちらちらと投げられる視線は、好意的な好奇心に満ちている。
「ねえねえ、貴族の奥様! 魔法、もう一回見せて!」
大人の手伝いをしていた少年と、その妹らしき少女が近づいてきて無邪気に言った。
村長が慌てて止めている。
「これ、フェイリム、ティララ! やめなさい」
「いいわよ。下々の者の願いを聞き入れるのも、貴族の務めですもの」
シャーロットは鷹揚を装って言った。
実のところは得意満面であった。
王都では平凡、むしろやや不出来とまで言われていた魔力と魔法がこんなにもてはやされて、いい気分だったのである。
「さあ、皆! 私の素晴らしい魔法をよーく見ておくのよ」
「おー!」
「待ってました!」
あちこちで起こる拍手に気を良くしながら、シャーロットは何度も魔法を披露した。
そして調子に乗りすぎて、魔力枯渇を起こして倒れた。
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