第3話 役立たずの使用人たち


 やがて夕暮れ時が過ぎて夜になった。

 薄暗い中で明かりの灯し方も分からず、シャーロットとエゼルがやきもきしていると、メリッサがやってきて部屋を明るくしてくれた。

 メリッサが持ってきたのは、魔道具のライトだった。王都で流通しているものよりずいぶん古い型である。


「お腹がすいたわ。晩餐はまだ?」


「まだです。今作っています」


 無礼な言い方だったが、もう文句を言う気力もなくしていたシャーロットは、黙ってうなずいた。

 それからさらにしばらくして、ようやく夕食の準備ができたとオーウェンが告げに来た。


「やっと食事……。こんなに腹を減らしたことはない」


 エゼルがぼそっと言う。

 今までは食事の時間はきちんと決まっていて、合間に菓子をつまむのもできた。空腹がこんなにままならないものだったとは、と彼は思う。

 そして、案内された食卓の質素さに愕然とした。


「本日の献立は、麦粥。レンズ豆のスープ。きゅうりとキャベツの酢漬けでございます」


「たったこれだけ? 家畜小屋の豚だって、もっとマシなものを食べてるわ」


 シャーロットが震える声で言った。


「これで全てです」


 と、オーウェン。

 しかも食事は素朴な木製の器に入っていた。スプーンやフォークも木製である。豪奢な陶器と銀の食器に慣れた2人は、気味が悪くてなかなか手が出ない。

 それでも空腹に負けて、まずエゼルがスプーンを取った。


「お味はいかがですかな?」


「…………」


 エゼルは無言で首を振った。空腹だから食べられるが、王宮の料理の味と比べ物になるはずがない。

 ぐぅ~、とシャーロットの腹の虫が鳴る。

 気位の高い彼女は赤面して、オーウェンとメリッサを睨んだ後に麦粥を口に運んだ。


「何なの、この味! 薄くて食べた気がしないわ。おいしくない!」


「では、もう下げますか?」


 メリッサがさっさと食器を片付けようとしたので、シャーロットは焦った。ぺこぺこのお腹は「もっと食べたい」と主張していたが、貴族令嬢のプライドが素直にそう言うのを邪魔したのだ。


「ええ、もう下げなさい。食べられたものじゃないわ。料理人を呼んで、罰を与えなければ」


「料理人はいません。作ったのはあたしです」


「……え」


 料理人がいない? 予想外の答えにあっけに取られているうちに、メリッサは食器を持って行ってしまった。

 シャーロットは空腹のまま、食事の時間を終える羽目になった。







 夜、眠る前になってシャーロットはトイレに行きたいと思った。

 旅の最中は、衝立と簡易便器のようなものを用意して野外で済ませていた。シャーロットにとっては初めての体験で、非常に不快だった。

 だからやっと我が家――と認めるのも嫌なくらいのボロ屋だが――に腰を落ち着けて、トイレくらいは普通に済ませられると思っていたのだが。


「お手洗いはこちらです」


 メリッサに案内された先は、臭い・暗い・汚い・怖いと四拍子揃った離れの小屋であった。

 短い渡り廊下の先にぽつんと建つ、みすぼらしい小屋である。

 シャーロットはショックを受けてよろけた。ストロベリーブロンドの髪がふるふると震えている。


「何よこれ……どうしてトイレがこんなに臭いの……」


「汲取式ですから。この家が長く放置されていたせいで、排泄物を溜める穴が半端に埋まってしまっていますね」


「水洗じゃないの!?」


「当たり前でしょう。この村は水道が通っていません」


「そ、そんな……」


 ソラリウム王国はインフラ建築に長けた国で、王都はもちろん地方都市でも上下水道が整備されていた。

 けれどドがつく田舎のシリト村はさすがに例外である。


「あたし、もう帰りますね」


 案内が終わったメリッサは、さっさと母屋に戻ろうとする。シャーロットは必死で引き止めた。


「嫌よ! こんな怖い所に置いて行かないで!」


「はぁ。じゃあ、待ってますからさっさと済ませて下さい」


「うぅぅ」


 トイレ小屋に入る。とても臭い。備え付けの魔道ランプは古臭くて、頼りない明かりを放っている。

 やっとのことでトイレを終わらせたシャーロットは、ほとんど半泣きになっていた。







 真夜中。エゼルと同じベッドに入ったシャーロットは、夫からなるべく身を離すように端に寝ていた。

 王都を追放される直前に無理やり結婚させられたけれど、夫婦はまだ初夜を済ませていない。

 王都を追い出されるまではそれどころではなかった。

 シリト村に向かう道中は時間だけはあったが、2人ともそんな気になれなかった。

 今もまた、先行きが見えない絶望感で互いに目をそらしてばかりいる。


(これからどうなるのかしら)


 シャーロットはみじめな空腹感に苛まれながら考えた。

 王都とその近郊や、整えられた別荘地しか知らなかった彼女にとって、この村と館の有様はカルチャーショックどころの騒ぎではなかった。


(この臭くて汚らわしい田舎で、毎日陰気に泣いて暮らす? この私が? かつて王都一の美姫と呼ばれ、将来の王妃を望まれていた、この侯爵令嬢の私が!)


 すっかり萎えていた彼女の心に、小さな炎が灯った。


(私とエゼル様を陥れた、あの女。水の聖女を名乗って皆を騙したのだわ。そうでなければ、この私が追放だなんてあり得ない。こんな田舎でこれからずっと暮らすなんて、絶対に嫌!)


 水の聖女セレアナへの憎しみで、シャーロットは炎を燃え上がらせる。


(私は諦めない。必ず王都に戻って、あの女に復讐してやる。そうよ、エゼル様と結婚したとはいえ、私はまだ処女。いくらでもやり直しは効くわ。セレアナを追い落として、第2王子の妃に収まってもいい。エゼル様は頼りにならないもの)


 彼女はそっと頭を巡らせて、ベッドの向こう側に横たわる「夫」を見た。

 眠っているのかどうか、ぴくりとも動かない。

 エゼルとは子供の頃からの付き合いだが、別に大した愛着があるわけでもない。彼が王太子だから傍らにいただけだ。


(負けない。あんな女の思い通りになってたまるものですか。今に見ているといいわ、次に追放されるのはお前よ……!)


 決意して、カビ臭い寝具を頭までかぶる。


「ふぇっくち! ……もう本当に嫌!!」


 カビ臭さにくしゃみが出て、シャーロットは手足をばたばたさせた。


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