第2話 領主の館
ソラリウム王国は島国である。島といってもかなりの広さを誇り、中央部付近には山脈が走っている。
エゼルとシャーロットの領地とされたシリト村は、島の北西部、山脈のふもとにある辺鄙な場所だった。
山脈に抱かれるような場所にある村は、畑に適した平地があまりない。
また、奥深い森がすぐそばまで迫っているために、村は狭い耕作地でほそぼそと生計を立てていた。
北の地にあるため森は背の高い常緑樹が多く、昼なお暗い鬱蒼とした雰囲気になっていた。
「何よ、これ! 私にこんな所に住めって言うの!?」
『領主の館』に到着して、シャーロットは不満の叫びを上げた。エゼルも呆然としている。
そこはひどく古めいた建物だった。2階建てで、大きさだけならば貴族の邸宅と言えなくもない。
ただしひと目見て分かるほどに荒れ果てていた。
石造りの壁はところどころが崩れ、枯れた雑草が顔を覗かせている。放置しておけば今年も元気に芽を出すだろう。
古臭いテラコッタの瓦葺きの屋根は、遠目に見ても破れ目があった。
庭の手入れも一切されていない。まさに荒屋である。
わがままお嬢様のシャーロットでなくとも、逃げ出したくなる有様だった。
「シリト村にようこそ。王子ご夫妻様」
荒屋、もとい領主の館のまえに2人の人影が立っている。
年配の男性が一歩前に出て、あまり丁寧とは言えない礼をした。
「私はオーウェン。王都より派遣され、執事の役を務める者です。こちらはメイドのメリッサ。
私ども2人と村人たちの手を借りて、ご夫妻のお世話をいたします」
オーウェンに示されたメリッサが、やはりやや雑なお辞儀をした。黒髪にくすんだ青い目をした、愛想のない娘だった。
「執事にメイドがたった1人!? そんなので暮らしていけるわけないじゃない。衣装係は? 入浴の付き添いと美容係は? こんな幽霊屋敷でメイドが1人だなんて、どうするの!」
シャーロットは興奮して言い立てたが、オーウェンは涼しい顔で受け流した。
「さてはて。雨露がしのげる家があり、多少の人手もある。これ以上、いったい何を望むと言うのです」
「だから……!」
「シャル、もういい、やめろ。僕は長旅で疲れた。早く休みたい」
エゼルがうんざりとした口調で言った。
「では、こちらへ。ご夫妻の居室については、最低限の修繕を済ませておりますので」
馬車の御者から荷物を受け取り、オーウェンは歩き始めた。
館の内部も見た目と違わぬ荒れっぷりだった。ところどころの雨漏りが、床に水たまりを作っている。ぴちょん、ぴちょんと水音がひっきりなしに響いていた。
エゼルとシャーロットは濡れた床を踏み、湿った階段で足を滑らせそうになりながら、案内された部屋に入った。
オーウェンの言葉通り、その部屋は他の場所よりだいぶマシだった。少なくとも水たまりはないし、壁の破れ目から外が見えることもない。少しばかり薄汚れていて、壁の汚れが人の形のようで不気味なだけだ。
一応はベッドも整えられている。ただし少々、カビ臭い寝具だったが。
「着替える。旅装は肩が凝って好きじゃない」
エゼルは言って腕を伸ばした。王宮で暮らしていた頃は、こうすれば侍従たちが服を脱ぎ着させてくれたのだ。
ところがオーウェンとメリッサは知らん顔。
エゼルは戸惑った。
「着替えると言ったんだが」
「着替えならばそのトランクにございます。エゼル様のお好きなものをどうぞ」
「……え」
メリッサに冷たく言われて、エゼルは固まった。彼は生まれてこのかた、1人で着替えをしたことがない。トランクを自ら開けて服を選ぶなど想像の外だった。
「無礼者! 王太子たるエゼル様になんて口をきくの!」
気色ばむシャーロットにオーウェンが肩をすくめる。
「もう王太子ではございませんな。辛うじて王子ではありますが、ここは王宮ではない。この程度のことは、ご自分でされますよう」
そう言って執事とメイドは出て行ってしまった。
唖然とするシャーロットに、エゼルがおずおずと声をかける。
「シャル。着替えたいんだ。やってくれ」
シャルロットも普段、自分の手で着替えなどしない。ただ彼女は華やかなドレスが大好きで、手ずから胸に当てる程度のことはしていた。
だからトランクを開けて服を選ぶくらいのことはしてやった。
エゼルが王宮で着ていた、プライベート用の衣装だ。ゆったりした袖のシャツにズボン。
夫に頼まれて、シャルロットは憤怒の形相で服を着せてやり、エゼルも途中から自分の手を動かしてボタンを留めた。
けれども2人がかりでも、フリルのネクタイをきれいな形に整えたり、細かなカフスをいくつもつけるのは無理だった。
夫婦は疲れ果ててベッドに座り込んだ。
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