No.10見えた素顔
"そんな姫ちゃんだからこそ、変えれると思うんだ〜"
理科室を出た後も、私の頭から里音ちゃんの言葉が離れなかった。
一体、里音ちゃんは私に何を期待して、私に何をして欲しいのか何も分からない。
「気になるけどなぁ……」
私は眉間にシワを寄せ、顎に手を当てながら廊下を一歩ずつゆっくり歩いていた。
私がカラオケに行ってたことを知ってるってことは、結構前から私の秘密を知っている。
でも、どうして、私のことなんか……。
「やっぱり、バンドが関係してるかな……」
私と世奈ちゃんが密かに始めようとしているバンド活動。
それに向けて、私と世奈ちゃんは紗雪さんをなんとかしてメンバーに入れたいと思っている。
で、今その肝心の紗雪さんに苦戦している状況。
そんな中に現れた里音ちゃん。
「きっと関係があると思うけど……うわっ!?」
夢中になって考え事をしていたせいか、私は気づくことができずに人にぶつかってしまった。
「す、すみませ……えっ!?さ、紗雪さん!?」
「ぶつかってきたのそっちなのに、なんでそんな驚いてんの?」
申し訳なさそうに謝りながら顔を上げると、そこにいたのは、まさかの紗雪さんだった。
「紗雪さん…!?ご、ごめんなさい…!」
「待って」
「は…はい…?」
「アンタさ、謝ったらすぐ逃げようとするじゃん。ほら、今も。体が後ろ向いてるし」
「え……あっ…ほんとですね…」
紗雪さんに言われ、改めて自分の体を見てみると、私の体は今すぐにでも逃げようと後ろを向いていた。
「私と目を合わせた途端に逃げようとしないでよ」
「すみません……」
私はゆっくり紗雪さんの方へと体を向きを変える。
「……悲しいよ」
すると、紗雪さんは斜め下を見ながら少し寂しそうな顔でボソッと呟いた。
「えっと、何か言いましたか?」
でも、私にはよく聞こえなかった。
「なんでもない」
「あ…そうですか……」
「それよりも、そんな怯えないでよ。そんなに私が怖い?」
「えっと…怖いというか…申し訳ないというか……」
「別に私、そこまで細かいこと気にするようなタイプじゃないし、怖いって言われたことはあるけど、滅多に怒んないよ」
「ですが……」
「姫乃って、ほら———優しいじゃん?」
「ふぇ?」
突然の褒め言葉に、私は驚いた。
紗雪さんの顔が少しだけ照れくさそうで、黄土色の瞳はどこか別のところを見つめていた。
「あと、私に話しかけてくれた人なんて、姫乃しかいなかったし……」
「わ、わぁ…」
照れてる紗雪さんに、私は見惚れていた。
「い、嫌なら、今言ったこと忘れて」
「いや!大事にとっておきます…!」
まさか紗雪さんに褒められるなんて思ってなかった私は、少し興奮気味に紗雪さんを見つめていた。
「とりあえず、こんな話はもう終わり。それよりも、私は姫乃に話したいことがあるの」
「わ、私に…?」
「そう。だから、さっきからずっと探してたのに見つからないし、見つけたと思ったら逃げるしぶつかってくるし、不思議だね、アンタって。まぁ、こうして見つけたから良いけどさ。あれ?いつも隣にいる水澤は?」
「世奈ちゃんは…多分…まだ補修しているかと……」
「そっか。なら、ちょうどいい。ちょっと私についてきてよ」
「えっ、わ、分かりました」
手招きをする紗雪さんに、私はふらっとついて行った。
最初は怒られるのかと覚悟してたけど、実際は想像してたのとは全然違った。
昨日よりも全然優しい喋り声に、私の心は少しだけ安心していた。
「紗雪さんも…その…優しい人だと思いますよ」
そう言って、私はそっと微笑んだ。
「なにそれ、私の真似?」
「ほんとのことですよ」
「あっそ。まぁ…ありがと」
こっちに顔を向けてくれないけど、喜んでくれてたら嬉しいな。
紗雪さんについて行くと、気づいたら音楽室の前に立っていた。
「お、音楽室…?」
「うん、鍵開いてるから入れるよ」
「え、開けたんですか?」
「いや、開いてた」
すると、紗雪さんは扉を開け、「入りなよ」と私を見つめてきた。
私は少し戸惑いながらも音楽室の中へと入る。
「良いんですかね…勝手に入って…」
「知らない。でも、怒られるときは一緒だよ」
「怒られる前提なんですね…」
音一つしない静かな音楽室の中に、窓から朝の日差しが差し込んでいる。
心地よい暖かさが音楽室の中に詰まっていた。
「話ってのはさ、これのこと」
紗雪さんはポンポンとあるものに触れていた。
「ピアノ…ですか?」
それは、私が放課後に世奈ちゃんと演奏するときに使っていたピアノだった。
「そっ。私まだ一回も姫乃の腕前を見てみたかったからさ、実力って実際に見ないとどのくらいすごいのか分かんないし。だから、軽く弾いてよ」
「い、今ですか…!?もし、先生が来たら…なんて言えばいいのか…」
「それは私がなんとかするよ。とりあえず、何か弾いて。あっ、歌アリでも良いよ?」
「う、歌…?」
「アンタ、歌のプリンセスなんでしょ?」
「そんなことないですよ…ただ、あれは世奈ちゃんが私を立てようとして言っただけですから…」
あれはきっと、紗雪さんに私のことを伝えるために大袈裟に言ってくれただけ。
私の歌は、他の人よりちょっと上手いぐらいだとしか思っていない。
「ふーん、じゃあ歌って」
「ど、どうしてそうなるんですか…!?」
「姫乃のピアノと歌が聞きたい。これで充分理由にならない?」
「わ、分かりました…」
私を真っ直ぐに見つめる紗雪さんの目を見て、断ることができなかった。
椅子を引き、ピアノの鍵盤の前に座る。
「(ピアノ弾いて歌ったら…紗雪さんは満足してくれるのかな…)」
なんてことを考えながら、私は鍵盤の上にそっと指を置いた。
そして、一つ一つ丁寧に鍵盤を叩いていく。
心安らぐ音色と優しいメロディが音楽室の中に響いていく。
「すぅ…ふぅ……」
大きく深呼吸をした後、私は優しく歌い始めた。
まるでピアノの音の溶けていくように、音楽室の中に私の声とピアノの音が混ざり合って響いていた。
今私が歌っている歌は、私の憧れであるあやなんが今の私と同じ高校生のときに作った歌だ。
自信がない時とか落ち込んだ時とか、暗い気持ちになった自分を励ませるように作ったという話をネットで見たことがある。
最初に寂しげな優しいピアノのイントロから、ドラム、ベース、ギターがそれぞれ一つになっていく。
みんなが一つになれば、どんなこともできる。
この歌は、きっとそれを表しているんだと思う。
「ほんとに上手だね」
爽やかな笑顔を見せる紗雪さんを横目に、私の歌はサビへと入っていた。
紗雪さんにどんなことがあったのか分からない。
けど、少しでもこの歌で元気になってくれたらいいなと、その思いでいっぱいだった。
そして、私は歌い切った。
「……どうでした?」
「上手」
「そ、そう言ってもらえて、嬉しいです」
紗雪さんの褒め言葉に、つい私の口角が緩んでしまった。
「世奈があれだけ褒める理由も、今ので分かった気がする」
「あっ、世奈って……」
「世奈には内緒ね」
「どうしてですか?」
「なんか、軽い気持ちで名前で呼ぶと、余計かまってきそうだから」
「ま、まぁ…分からなくもないです…」
すると、紗雪さんは私の隣に座ってきた。
「姫乃さ、本気でボーカルやりたいって思ってる?」
そう言うと、紗雪さんのさっきの笑顔は消え、真剣な眼差しを私に向けてきた。
「はい。私は、あやなんみたいなボーカリストになるのが夢なので」
私も真剣な表情で大きく頷いた。
小さい頃からずっと追い求めていたもの、それが、ボーカリストだから。
「良いね、それ」
「え?」
てっきり何か言われるかと思ったら、紗雪さんは軽く微笑むだけだった。
そして、斜め上の天井を見ながら、紗雪さんは話を続けた。
「……私も同じだった。姫乃みたく、みんなを魅了するドラマーになりたかった。だから、先輩がいるバンドに入って、ドラムを叩いてた」
思い出話のように語る紗雪さんの顔は、とても楽しそうだった。
「最初の頃、バンド初心者の私に対して、先輩はたくさんのことを教えてくれたよ。ドラムのこととかバンドのこととか。私にとっちゃ、そのときから先輩は『universe』の次に憧れの存在みたいになってた。そして、私がドラムを叩くことで、みんなの演奏を支えてるって感じるときが何よりも嬉しくて楽しかった。そんな毎日を過ごしているうちに、私はずっと、このメンバーでバンドができるんだと思ってた。でも…現実は違った……」
突然、紗雪さんは悲しそうな声へと変わった。
「やっぱり、何かあったんですね…」
「……みんな、バンドから離れた。ただ、それだけだよ」
悲しそうな顔してピアノの鍵盤を見つめる紗雪さんを、私はただ見つめることしかできなかった。
「離れていったって言っても、喧嘩があったとかじゃない。ただ、みんなそれぞれの道を歩かなきゃいけなくなっただけ……
「それが…先輩の名前ですか…?」
「そうだよ」
人は、誰だって同じ道を歩いているわけではない。
人によって、生きる道の幅も長さも違う。
私もそうだ。お母さんの言う手本になることが今までの人生だったように……。
きっと紗雪さんも、現実を目の当たりにしてしまったのだろう。
「私は最後までさ、バンドを続けたいって言ったよ。でも、夕凪先輩の目には、もうバンドなんて映ってないと思った。きっとこれ以上は無理なんだって、そのときになってようやく分かった。でも、気づいたときには、私一人だけしか残ってなかった……」
"今のさゆちゃん、きっと独りで寂しいと思うからさ"
少し苦しそうな紗雪さんの言葉を聞いた途端、私の頭に里音ちゃんの言葉が蘇った。
「寂しい…ですか?」
「え?」
「その…紗雪さんの話を聞いていて、思ったんです…紗雪さん、まるでずっと独りだった…みたいな喋り方をしていたので」
里音ちゃんが何を企んでいるのかは知らない。
けど、私は私なりに紗雪さんを説得するつもり。
「確かに、一人は寂しいです……でも、一人だから分かることも多かったと思うんです。私もそうでしたから。バンドとか、友達とか……まだまだ出せばいっぱいありますけど、それが私にとってどのくらい大切なのかなって気付くには、孤独があったからなんです」
世奈ちゃんと出会うまで、私は友達の良さ、バンドの楽しさを理解することができなかった。
でも、その分、今となればそれがいかに大切なことなのかが、ようやく理解できた。
「孤独……」
「さ、紗雪さん……その、今度は私と一緒に演奏しませんか?」
「今?」
「いや…別に今じゃなくてもいいんですけど……」
「……」
「紗雪さんのドラムが聞きたいです… これで、理由になりませんか…?」
「それ、私の真似?」
「そ、そうかもです…」
すると、紗雪さんは大きくため息を吐くと椅子から立ち上がって背伸びした。
「私が合図するから。合わせて」
そして、紗雪さんは昨日と同じように楽器庫の中へと向かっていた。
「ドラム、やってくれるんですか…!?」
紗雪さんの背中に問いかける。
「その理由を作ったのはだれ?」
「あ…はい」
もう一回、紗雪さんのドラムが聴ける。
そう思った途端、私の心は大きく跳ねるようにワクワクしていた。
「さっきのやつで良いよね?」
「はい!」
「じゃあいくよ。1、2……」
スティックを叩く音にタイミングを合わせ、私もまた鍵盤を叩いた。
鍵盤に触れる指は、さっきよりも軽く感じた。
紗雪さんと一緒に演奏できるって考えたからなのかな。
理由はなんであれ、私は楽しかった。
私がピアノの音を奏でて、紗雪さんはドラムで描かれた旋律を支えてくれる。
力強いドラムでも、どこか優しさのある紗雪さんの演奏を聴きながら、私はまた大きく息を吸い込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます