No.8単独調査

「最近、私のほっぺが柔らかくなった気がする……」


 朝のホームルームが始まる三十分前のこと。

 誰もいない女子トイレの鏡の前で、私は自分の頬を押さえながらじーっと見つめていた。


「うーん…やっぱり柔らかくなった気がする……」


 人差し指でツンツンしたり、優しくつまんでだりしていろいろ試してみる。

 すると、あら不思議。いくら触っても、まるでおもちみたいな感触がする。


「も、もしかして……これがモチ肌ってやつ…!?」


 別に洗顔クリームを変えたわけでも、肌が若返ったわけでもない。

 多分、何かしらの理由はあるはずなんだけど、誰が原因かって聞かれたら、すぐ分かる気がする。


「きっと…世奈ちゃんだ」


 世奈ちゃんはよく私の肌を、まるで粘土をこねるように触ってくる。

 どうやら、それがマッサージみたいな感じで私の肌に良い効果もたらしてくれたらしい。

 けど、あんまり実感はない。


「……って、トイレでこんなことしてるのを誰かに見られたら……また変な噂になっちゃうよね……」


 ご機嫌そうに顔を撫でる私を見て、私はハッと我に返って自分の顔から手を離した。

 これ以上、みんなの私に対する印象を壊すわけにはいかない。

 ただでさえ、今も音漏れの話がクラス中を回ってるっていうのに……。


「はぁ……とりあえず、紗雪さんのこと…どうしようかな…」


 昨日から私の頭の中は、ずっと紗雪さんの事でいっぱいになっていた。

 ご飯を食べているときも、お風呂に入ってゆったりしているときも、頭の片隅には必ずと言って良いほど狐のお面を付けた紗雪さんがいた。


「でも…私から話しかけるのは…絶対に無理……」


 昨日の紗雪さんの様子からして、安易に話しかけたら恐ろしい目に合う気がする。

 だからと言って、このまま話しかけられなければ、紗雪さんのことをメンバーに誘うことなんて夢のまた夢になってしまう。


「肝心の世奈ちゃんはいないし…どうしよ……」


 今日の朝、私は偶然廊下で世奈ちゃんと会った。

 そして、紗雪さんをどうするかの話をしたとき、「私がなんとかするよ!」と意気込んでいた世奈ちゃんだったが、次の瞬間、まさかの放送で先生からの呼び出し。

 そして、スマホのメールには『補修って言われたぁ…(泣)』と送られてきた。

 どうやら、前回のテストが悪かったのが原因らしい。


「ここは…私一人で頑張るしかない……よしっ、やるぞ…!はぁ……」


 なんて、自分を鼓舞しようとするが、一人で上手くやれる気はしなかった。


◇◇◇


 トイレを出て、私は紗雪さんのいる教室に真っ直ぐ向かった。


「紗雪さん…紗雪さんはいるかぁ……あっ、いた」


 教室の扉から少しだけ顔を出して教室の中をこっそり覗いてみると、窓側の席で本を読んでいる紗雪さんを発見した。


「可愛い顔……あっ…いやいや…今は紗雪さんの顔じゃなくて…」


 昨日あまり見れなかった紗雪さんの顔に、思わずじっと見惚れてしまった。

 でも、今重要なのはそこじゃない。


「なんの本を読んでるのかな…?」


 紗雪さんが昨日私たちにあんなことを言った理由は、きっと何かしらバンドが関係しているはず。

 その理由を改名するためにも、些細なことでも良いからとりあえず何かしらの情報が欲しいのが現状。

 でも、紗雪さんの読んでいる本を見ようにも、私の位置からじゃ角度的に見えない。


「んー…どうしよ…どうやったら見れるかな……」

「ねぇ、あれってさ」

「あー、かの有名な音漏れちゃんだよ」


 どうしようかと悩んでいると、後ろから何やらコソコソと喋る二人組の女子の声が聞こえてきた。


「だよね。あんな必死に教室覗いてるけど、何してるのかな?」

「さぁね。好きな人でもいるんじゃない?」

「えぇーっ!?あの音漏れちゃんって恋する乙女だったの!?なら、めっちゃ可愛いじゃん!萌えるわぁ」

「あんな扉にしがみついて見るぐらいだから、相当好きなんだろうね」

「な、なんか…すごい誤解されてるぅ……」


 それを聞いた途端、カァっと熱くなる顔と、プシュー…っと空気が抜けるように私の体には力が入らなくなってしまった。


「そうじゃん……よくよく考えたら私…他のクラスの教室を覗くただの変人じゃん……」


 紗雪さんのことばっかり考えていたせいで、自分のことを一切考えていなかった。

 そのせいで、今の私は廊下を歩く人たちの注目の的。

 あぁ…あの時のサラリーマンやカップルの人たちの顔が蘇ってくる……。

 私が扉の前でペタッと座り込んで顔を隠すように下を向いていると、急に目の前の扉がガラッと開いた。


「あ……」

「え?姫乃?アンタ、何してんの?」


 そこには、紗雪さんが立っていた。


「いや…!べ、別に覗いていたわけではなくてですね…その…なんて言えば…納得してくれますか…?」

「それ、本人に聞くことなの?」

「あっ…確かに…」


 バレてしまった焦りのあまり、私は何を言ってるのか分からなくなってしまった。

 そして、ふと気づいたときには、私は無我夢中で廊下を駆け出していた。


「ねぇ!ちょっと待っ……」


 紗雪さんの声が聞こえた気がするけど、それよりもこの場から一刻も早く離れる方が先だった。

 これ以上、紗雪さんの機嫌を悪くさせてはいけない。

 その一心で、私は逃げた。


「はぁ…はぁ……また紗雪さんに迷惑をかけるところだった……」


 紗雪さんからできるだけ離れた私は、階段の手すりに寄りかかりながらゆっくり息を整えていた。


「でも…どうしよう……このままじゃ紗雪さんに近づくどころか…話すことすらできない……」


 階段に座り、私はひたすら今の私ができることを考えることにした。

 だが、何も思いつかない。


「ダメだぁ…なにもできないよぉ……」


 いくら考えても、「これだ!」と思えるような良い考えが浮かんでこない。


「はぁ…どうすれば……」


 私が大きなため息を吐いて絶望したその時だった。


 ボンッ!


「な、なにっ!?」


 突然、下の階の奥の方から何か爆発したかのような音が聞こえてきたのだ。

 急な音に驚いた私だったが、少し興味が湧いてしまい、謎の爆発音が聞こえてきた方へと行ってみることにした。


「確か…こっちから聞こえた気が……」


 そして、進んだ先でたどり着いた場所は、理科室だった。


「理科室で爆発音って…悪い予感しかしないような……あれ?開いてる…誰かいるのかな?」


 朝なのに開いている扉を不思議に思いながら、私は恐る恐る近づいてみることにした。

 そして、なるべく音を立てないように息を殺し、理科室の扉のわずかな隙間から中を覗いてみた。


「あ、やっぱり…誰かいる」


 中を覗くと、見知らぬ女子が机に向かって何かしている後ろ姿が見えた。

 見た目は私より少し小さくて黒髪のウルフだが、よく見ると毛先が赤い。あと、服装は私と同じ学年の制服だった。

 でも、最初の頃の世奈ちゃんと紗雪さんと同じで、私が一度も話したことがない人ということは確か。


「あれ〜?どうして爆発したの〜?これじゃあ"絶叫スペシャルびっくり箱"作れないよ〜」

「(ぜ、絶対怪しい人だっ…!)」


 聞こえてきた声はゆったりとして可愛い声なのに、言ってることがどうも怪しすぎる。


「う〜ん、これが使えたら、全校生徒どころか校長先生までびっくりさせれるのに〜」

「(校長先生まで…!?あの人…一体何を企んでるんだろ…?)」


 机の上をよく見ると、ドクロマークが描かれた怪しいビンが何個も置かれていた。


「ひぃっ…!?」

「ん〜?誰かいる?」


 不意に出てしまった叫び声に、私は口を押さえながら素早く扉の裏に隠れた。

 あれは、間違いなく危険なもの。しかも、それを使ってるってことは、かなりやばい人であることは確か。


「は、早く逃げなきゃ…!」


 ここにいてはマズい。

 そう直感的に思った私は、地面を這いずりながらこっそり理科室から離れようとした。


「ゆっくり…ゆっくり……」


 だが、急に私の肩をポンポンと叩かれた。


「ふぇ…?」

「ねぇ?さっきの見ちゃったんだよね〜?」


 その声が聞こえた瞬間、私は思った。


「あ…オワった……」


 聞こえてきた声の方にゆっくりと顔を向けると、先ほどの女の子がニヤッと怪しげな笑みを浮かべながら、しゃがんで私の顔を覗き込んでいた。


「アタシのこと、見てたんだよね〜?」

「は、はい……」


 私の気の抜けた声が喉からスゥッと抜けていく。


「覗き見なんてダメだよ〜?それって、変態がやることだよね〜?」


 覗き見がダメ、そんなこと、今さっき思い知らされたばっかりだ。


「す、すみません…!あの、故意に覗こうと思ったわけでなくて…大きな爆発音みたいなのが聞こえたので……つい……」

「そっか〜。じゃあ、仕方ないね」

「え…?」

「アタシの秘密の研究を覗いた罰として…ちょっと来てもらうよ〜?」


 すると、謎の女の子は私の体を掴み、「よいしょ」と言いながら引っ張ってきた。


「ご、ごめんなさい!私が悪かったです!認めます!なんでもしますから!どうかゆるしてくださぁい…!」

「なんでも〜?えへへ…何しよっかな〜…」

「い、いや…なんでもって言っても……た、助けてーっ!世奈ちゃーんっ!」


 そして、私は何も抵抗できないまま、理科室の中へと連れ込まれてしまった。

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