No.6眠る狼・仮面を被る
人との付き合い方とは星の数ほど存在し、そのうちの一つを選び出すのはとても困難なことである。
それだけでなく、仲良くなるまでのいろんな努力や場の空気、その日の運も関わってくる。
しかも、相手が初対面なのであれば尚更であり、宝石よりも慎重かつ丁寧に扱わなければいけない。
そして、少しずつ話せるようになって、やがてどこか一緒に遊びに行けるぐらいになれば、それはもう仲が良いと言える。
だが、その大事な工程を全部すっ飛ばしてしまったのが、今の私。
紗雪さんとは、全くと言って良いほど接点がないのに無理して話しかけ、勉強するから話しかけないでという空気の中、運悪く私は話しかけてしまった。
「ひ、姫ちゃん?大丈夫?」
「二度も紗雪さんに迷惑をかけてしまいました…罰として…隅っこで静かに黙ってます…」
私は音楽室の隅に体育座りしていた。
頭の中では『迷惑』という言葉が怪物となって暴れだし、大きな罪悪感を植え付けようとしてくる。
「はぁ…私の顔、そんな変だったの?」
「そんなことないよ。多分、さゆ…うわぁっ!?」
突然、悲鳴に近い世奈ちゃんの叫び声が聞こえてきた。
何事かと私はゆっくりと顔を上げ、声が聞こえてきた方に視線を向けた。
「ひぃっ…!?」
すると、そこには『狐』がいた。
いや、"狐のお面らしいものを付けた紗雪さん"がいたのだ。
それを見た瞬間、あまりの衝撃に私の口から勝手に悲鳴が溢れ出てまた隠れてしまった。
「何をそんなに驚いてんの?これなら大丈夫でしょ?無理に目を合わせる必要ないし、必要なのは声だけ。話すのが苦手そうなアンタには、これがちょうど良いと思ったんだけど」
そういう問題じゃない気がする。
でも、確かに紗雪さんが言うように狐のお面を付けてもらった方が目を合わせなくて済むけど、逆にその狐の目が怖くて見れない。
「あと、そこのチャラいギターリスト。さゆっちとは何だ?」
「私がギターリストですか〜。ちょっと照れるね」
「褒めたつもりはない」
「そう?私は嬉しかったけど。あと、さゆっちってあだ名ね?結構可愛いでしょ?」
「許可した覚えはない」
「そんな細かいことは良いからさ〜」
二人の凹凸のある会話のやり取りだけが聞こえてくる。
「あれ?アンタ、確か水澤世奈じゃなかった?」
「えっ!?私の名前知ってるんだ!」
「いつもうるさい陽キャのギャルって覚えてる」
「うーん…まぁでも、私のことを知ってるなら好都合!私のことは世奈って気軽に呼んでくれると嬉しいなぁ〜?」
「水澤」
「そ、そっちじゃないんだけどな〜」
「それと、そこの——お先真っ暗って感じの人」
お先真っ暗って感じの人は、私以外いない。
「は…はい」
そう思った私は、少し怯えながらもなんとか立ち上がり、ピアノの陰からちょこんと顔だけ出した。
「アンタ、数学の時間に話しかけてきたよね?私にドラムをやってるかって聞いてきた」
「そうです……あ、あの時は…迷惑をかけてしまい…誠に…申し訳…ございませんでした……」
私はフラフラしつつも、なんとか紗雪さんの目の前まで歩き、そっと静かに土下座した。
「出た、姫ちゃんの必殺『土下座』」
「別に謝れなんて言ってないけど。はぁ…そんなことより、アンタの名前は?」
「乙守姫乃です…えっと…女子高生です…一般市民です…人間です…」
ガタガタに震えた声で言いながら、私はゆっくり顔を上げる。
だが、見上げた先で私を見下ろす狐と目を合わせることはできなかった。
「せなちゃん…助けて……」
「そんな風にされると、まるで私がカツアゲしてるみたいになるんだけど?まぁいいや、乙守姫乃ね。乙守姫乃…乙守…?あー、アンタも聞いたことある」
「ほんと…ですか?」
「おっ!まさかの姫ちゃんの知名度が上がってる!」
「まさか…私のことを知っているだなんて…」
なんて、少し感動したのも束の間。紗雪さんから返ってきた言葉は、非常にシンプルだった。
「音漏れの人」
「うがっ…!?」
『音漏れの人』。
紗雪さんが放ったそのたった一言のせいで、私の思い出したくない醜態がじわじわと脳裏に浮かんでくる。
すると、私の頭の中に眠る羞恥心が形を作り、やがて悪魔のような格好をした私へと姿を変えて、私の前に現れた。
『恥ずかしいね〜。ちゃんと話したこともない人に、ましてや紗雪さんにそんなこと言われちゃうなんて。あーあ、これから先、普通の学校生活なんて送れないよ〜?生きていけないね〜?皆んなの笑い物だね〜?終わりだね〜?』
「ひぇ…!?」
悪魔の格好をしたもう一人の私は、私の心をズタボロに虐めた後、何処かへと消えていってしまった。
「かなりの騒音だったから覚えてる。私が玄関でスマホ見てたら、急にバカみたいに大きな音が聞こえてくるもんだから久しぶりに驚いたよ」
「でも、姫ちゃんはわざとそんなことしたわけじゃないよ。だからね、いじりたいのは分かるけど……すっごく分かるんだけど!言わないであげた方が……」
「それ、姫乃のことフォローしようとして言ってる?」
「うん、もちろん!姫ちゃんは大事なマイフレンドだからね!」
「ふーん。でも、見てみなよ。姫乃、死にかけてるよ」
「え、あっ!?ひ、姫ちゃんっ!?」
私は微かな息をしながら、まるで魂が抜けた真っ白な抜け殻のように気絶していた。
そして、数分後。
「……ちゃん……姫ちゃ……姫ちゃん……」
「うぅ…」
どこからか聞こえてきた微かな世奈ちゃんの声に、ようやく私の意識は取り戻そうとしていた。
「なんだろう、頭になんか……優しい感触が……」
私の頭になにか柔らかい枕のようなちょうど良い高さのほんのり温かい感触がした。
「なんだろ……良い寝心地……」
「姫ちゃんっ!」
「わぁっ!びっくりした…!うっ…!?ま、眩しい…」
さっきまで微かにしか聞こえなかった世奈ちゃんの声がはっきりと、しかも、顔の目の前から聞こえてきた。
その瞬間、私の目がパッと開き、眩しいオレンジ色の夕日の光とともに、視界全体に世奈ちゃんの顔と世奈ちゃんの大きく実った『アレ』が私の目の前に現れた。
「お、おぉ…」
「あっ!やっと起きた。おはよ、姫ちゃん」
「あれ…私…」
「急に動かなくなったと思ったら、何も言わずに気絶してるし、姫ちゃん軽いから本当に死んじゃったかと思ったよ」
「そ、そうだったんですか…でも、これぐらいじゃまだ死なないですよ…」
どうやら、私はあまりのショックで気を失っていたらしい。
それで心配した世奈ちゃんに膝枕をされていたようだ。
「(だから、謎の安心感と心地よさがあったのか…なら、あの感触も、納得かも……)」
ふと私は疑問に思った。
「(もしかして、私は…夢見てたのかな…)」
そんなことを思いながらゆっくりと起き上がる。
「(きっと私は疲れてて…世奈ちゃんとの演奏中に寝ちゃって…狐のお面を付けた紗雪さんに襲われる夢を見てたんだ……」
だから、きっともうあの怖い狐はもういないはず。
そう思いたかったが、私が見ていたのは夢じゃないとすぐに分からせられた。
「起きたんだ」
「ゆ、夢じゃないっ!?」
「は?」
私の目の前に、さっきの狐が私の顔を覗き込むようにしゃがんでいたのだ。
驚きのあまり、私は床にペタッと倒れてしまった。
「ふーん、まだそんなに私が怖いんだ」
「そんなこと…ないです…」
「いや、でも。あんな態度をとった私も私だし、あの時のきつい言い方も含めて謝るよ。ごめん」
すると、紗雪さんは少し恥ずかしそうに紺色の前髪をいじった後、腰を抜かした私にそっと手を差し伸べてくれた。
「おっ!これは仲直りの流れなのでは?」
狐のお面があるせいで紗雪さんがどんな表情をしているのか分からないけど、今は私のことを睨んではないような気がする。
私は恐る恐る紗雪さんの手を握り、重い体を持ち上げて立ち上がった。
「あ、ありがとうございます…」
「感謝するなら、せめて目を見て言って欲しい」
そんなこと言われても、怖いものは怖いから仕方ない。
「……」
「……」
仲直りの流れかと思ったのだが、気づいたら私と紗雪さんの間には、なんとも言えない微妙な空気が出来てしまっていた。
お互い、別に何か話すこともなく、ただ向かい合っているだけ。
私に関しては、下手な笑顔を見せるぐらいで何も喋っていない。
紗雪さんの方も、前髪を触りながらどこかを向いている。
この間、私たちの間に会話は何もなかった。
「ねねっ」
今にでも逃げ出したくなるような気まずい状況だったが、この状況を打破したのは世奈ちゃんだった。
私の横から世奈ちゃんがぴょこっと出てきて、沈黙だった私たちの間に入ってきてくれたのだ。
「めっちゃ話変わるんだけどさ、さゆっちさっきまでずっとロッカーの中にいたわけじゃん?あの中で何してたの?」
世奈ちゃんの言ったことに、ふと私も疑問に思った。
確かに、急に紗雪さんが現れたことにもビックリしたけど、ロッカーの中で何をしていたのかは分からない。
しかも、寝袋に入ってたってことは、あの中で寝ていた可能性がある。
なんて、まさかあの真面目な紗雪さんがそんなことするなんてありえないはずだ。
なんて、勝手に予想していた私だったが、紗雪さんの口からは予想外の答えが返ってきた。
「何って、"寝てた"だけ」
「え…?」
「ね、寝てた!?」
「そうだけど、何かおかしい?」
まさかの回答に、私と世奈ちゃんの口はポカーンと開いたまま目が点になっていた。
「言っておくけど、私は寝袋さえあれば、基本どんな場所でも寝れるの」
「そ、そうなんですか…」
自信満々な声で言う紗雪さんに、私は理解が追いつかなかった。
「確かにすごいけど、寝るんだったら授業中とかの方が良くない?掃除ロッカーの中なんて狭いし汚いしさ。今の社会の授業中とか、一番お昼寝に適してると思うよ?」
「はぁ?何言ってるの?学校には勉強しに来てるの。寝るために来てるわけじゃない」
「ぐはっ!せ、正論だ…!」
紗雪さんの冷たい言葉が、世奈ちゃんを弾力のある胸を貫いた。
思い返してみれば、授業中の紗雪さんは真面目にちゃんと授業を受けている。今日の様子からも、安易に寝るような人ではないことは確か。
「逆に聞くけど、アンタたちこそ放課後まで残って何してるの?」
すると、今度は紗雪さんから私たちへの質問がきた。
「なんか、結構騒がしかったんだけど?」
「えっと……」
密かに始めたバンドのことを話して良いのか悩んでいると、急に世奈ちゃんが持っていたギターを掲げて言った。
「ふふーん、私たちは見ての通り!バンドの合奏をしてるんだよっ!」
しかも、キラッキラのドヤ顔で。
「バンド…?」
「そう!私たち、バンドやるんだ!……って言っても、やるって決めたのは、ほんの最近のことなんだけどね」
「ふーん…」
お面越しだけど、紗雪さんはきっとつまらなさそうな顔で私たちを見ている気がする。
反応からも、なんとなく伝わってくる。
「バンドね…」
「(ほら、絶対そう)」
「水澤はギター持ってるからギター担当なんだろうけど、貴方は?」
「(あ、あれ?もしかして、意外と興味あった…?)」
紗雪さんが少し首を傾げた後、質問の矛先が世奈ちゃんから私へと変わっていた。
「わ、私ですか?」
「アンタ以外に誰がいるの?」
「そうですね……え、えっとぉ……」
「……」
紗雪さんの無言の圧が私の喉を締め付ける。
「姫ちゃんはボーカルだよ」
そのとき、私の危機的状況を救う言葉が聞こえた。
「アンタがボーカル……ふーん、ちゃんと役割は決めてるんだ。てっきり私、アンタのこと近くで見てるだけのマネージャーみたいな人なのかと思った」
「うぅ……(私のイメージって、そんなものなのかな…)」
「さゆっち、姫ちゃんのことあんまりバカにしない方がいいよ?」
すると、私と紗雪さんの間に世奈ちゃんが入ってきてくれた。
「何を隠そう、姫ちゃんはね、とんでもない"歌のプリンセス"なんだよ!」
「……急に何言ってんの?」
「ほんとだよ!?もちろん、その名の通りにね!」
きっと私のことを紗雪さんに教えようとしてくれたんだろうけど、言い方がちょっと恥ずかしい。
「せ、世奈ちゃん…それ、私も初耳なんだけど…?」
「だって、今考えたもん」
「そ、そうなんですね…」
でも、嬉しかった。
「ギターとボーカル、あと他には?」
「いないよ?私たち二人だけ。いえーい!」
「い、いえ〜い」
陽キャみたく笑顔でピースする世奈ちゃんに合わせて、私もピースしてみる。
「ふーん、なるほどね。数学のときに姫乃が私にドラムのこと聞いてきたのは、アンタたちがバンドをやるからってわけか」
「そ、そうです…」
「はぁ…なら、さっさとそう言ってくれればよかったのに…」
「ご、ごめんなさい…」
すると、急に黙り込んでしまった沙雪さんはそそくさと音楽室の楽器庫の方へと入って行ってしまった。
「あれ、さゆっち?」
楽器庫の中に姿をくらました紗雪さんを不思議に思っていると、突然、楽器庫の中から激しく力強いドラムの音が聞こえてきた。
「な、なに…!?」
「これって、ドラムの音!?」
聞こえてきたドラムの音は、まるで空気が揺れたかのように私の体を震わせた。
迫力あるバスドラムに力強いスネアドラム、それを支えるシンバルの音。
そして、私は思った。
「嘘じゃなかったんだ…」
かっこいい。ただ、それだけだった。
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