No.5よくある噂・信じてはいけない
日が過ぎ、数学の授業のこと。
私は今日も自分の席に座って勉強をしていた。
「へぇー、ここの計算ってこうだったんだ。姫ちゃんの説明って分かりやすいね!うちのクラスの担任よりも教えるの上手じゃん!」
でも、今回は一人じゃない。
「私の説明で分かってもらえたのなら、幸いです」
今日の数学の時間は、クラス混合でグループ学習をやることになっていた。
だが、先生は特にグループを決めてなかったようで
「自由にグループをつくってやれ」
と言われ、私はどうせ一人でやることになるんだろうな、と悲しくなりながら教室の隅っこで隠れるように座って勉強していたら、気づいた時には世奈ちゃんが目の前に座っていた。
それで、何となく数学を教える流れになったのが現状。
「つまりは、ここってこうすれば解けるの?」
「えっと、ここはちょっとだけ違くて…」
本人には絶対に言ってはいけないことだと思ってるけど、世奈ちゃんって基礎がちょっとだけ抜けてるところがあるみたい。
でも、可愛いから良い。
「ここでさっき教えた公式を使えば…」
「あー、これでさっきの公式を使えば良いんだ。なるほどって言いたいところだけど、やっぱり難しいよ、数学って。昔の人はよくこんなのを考えようと思ったよねー」
「ですよね、私もそう思います」
まさか世奈ちゃんも私と同じようなことを考えていたなんて、と思ったけど、よくよく考えてみれば、私は数学が嫌いというより、数学という名の嵐から逃げ回っているだけな気がする。
単純に、めんどくさい。
これが答えだ。
「頭の良い姫ちゃんですら言うぐらいだし、きっとみんなも同じこと思ってるはずだよねー。あーあ、勉強に比べて、ギターは簡単なんだけどなぁ〜」
椅子の背もたれに寄りかかり、大きく体を伸ばす世奈ちゃん。
「世奈ちゃんのギター、とっても上手ですからね」
私も同じようにふぅっと大きく息を吐く。
「そりゃあ、勉強に使うための脳を全部ギターに使い切っちゃったぐらいだからね!」
「そんな自信満々に言われましても、勉強ができないとテストのとき苦労しますよ…?」
「成績さえ良ければ、全て良いんだよ!」
こんな何気ないただの会話だったけど、一人で黙々と勉強するよりも何倍も楽しかった。
「あっ!そういえば、急に話変わるんだけどさ。バンドの新しいメンバーのことなんだけどね?結構面白い子見つけたんだよ!」
「ほ、ほんとですか?」
「ふっふっふ、私の情報収集能力を侮るでないぞ?」
「さすがですね」
「でしょ!でね、その面白い子ってのが、あそこにいるんだけど……」
そう言って、どこかを指を指す世奈ちゃん。
その指先を追うように視線を移すと、一人で黙々と教科書を眺めて勉強している女子生徒がいた。
白い髪のボブでツンとした目と前髪の一部が藍色ということが分かった。
なんとなく、一匹狼みたいなオーラがあった。
「えっと…名前は?」
「確か、
「なんで…紗雪さんなんですか?」
「えっとね、私が移動教室ときに友達と歩いてるときにね、たまたまある噂を聞こえてたんだよ。その噂ってのが、さゆっちは"ドラム経験者"だっていう話」
「ど、ドラムですか?」
世奈ちゃんが聞いた噂話によると、紗雪さんはどうやらドラム経験者らしく、しかも、相当の腕の持ち主らしい。
「他にも噂になってた子がいたんだけど、とりあえず今はさゆっちが一番のメンバー候補ってわけ」
「偶然にしてはすごいですね」
「ほんとにね、偶然ってすごいね!私たち、バンドの神様から祝福されてるのかな?」
「そうだと良いですね。その神様がどんな見た目をしてるかは、分かりませんけど…」
私の頭の中には神様らしき白髭のおじいさんがサングラスをかけてギターを弾いている様子が浮かんでいた。
そんな変な妄想をしていると、急に世奈ちゃんは私のじっと見つめてきた。
「ど、どうしました?」
「というわけで、早速さゆっちに話しかけてきて!」
「え…?えっ?わ、私!?私がですか!?」
「うん!さぁ、頑張って!」
「えぇっ!?な、なんで私なんですか!?」
初対面の人には話しかけられないし、話しかけても変なこと言っちゃって距離ができるだけなのに。
「(こ、こういうのって、やっぱり世奈ちゃんじゃないとできないと思うんだけど!?)」
なんて思っても、私がそんなことを言えるわけがない。
「せ、世奈ちゃんが紗雪さんに話しかけるってのは…ダメなんですか?」
「うーん、それはそれで良いんだけどさ、どうせなら、私たちの"バンドの顔"になるであろう姫ちゃんの方が良いと思う!」
「うぅ…そんなぁ…」
ボーカルはバンドの顔という存在であり、リーダーと言われることが多いらしい。
よって、私は今、リーダーらしきポジションにいるということ。
最初はウキウキしていたが、いざその責任を感じるとその重みが私を踏み潰そうとしてくる。
「でも、姫ちゃんがどうしても無理〜って言うなら私が行くけど、どうせなら姫ちゃんの方が良いと思うんだけどなぁ〜?」
「分かりました…い、行ってきます…!」
緊張で声が震える。
それでも、私はなんとか席を立ち上がり、紗雪さんが座っている席の方を見つめる。
そして、一歩進もうとするのだが、私の足は動こうとしなかった。
「頑張って!姫ちゃん!」
「世奈ちゃん…………よし!」
拳を掲げ、キラキラした目で私を見つめる世奈ちゃんの応援を受け、大きく息を吸ってゆっくり息を吐く。
でも、心臓のドキドキは鳴り止まない。
「大丈夫大丈夫……」
でも、このままずっと踏み出せないでいたら、前の私から変わらないままだ。
ここまで頑張ってきたんだから、少しぐらい前に踏み出さなきゃ何も変わんない。
そう強く心に決め、一歩踏み出した。
「え、え〜…えっと…さ、紗雪さん…ですよね?」
「ん?」
勇気を出して声をかけたのは良いけど、ここで問題発生。何から話を切り出せば良いか、私には全く分からなかった。
私が口をパクパクさせてどうすれば良いか困っていると、紗雪さんは私の顔をチラッと見た途端、急に教科書で自分の顔を隠してしまった。
「あの〜…な、何で顔を隠すんでしょうか?」
「そっちこそ、私と話したことないのに無理して話しかけてくるなんて、変わってるんだね」
「うぐっ…!」
なんて鋭い洞察力。
話しかけて10秒も経たないうちに、無理してるのがバレてしまった。
「別に無理してるわけでは……」
なんとか隠そうとするが、紗雪さんは大きくため息を吐いた。
そのため息にビクッとビビる私。
「で、アンタの要件は?」
「え…?」
「何を驚いてるの?私に用があったから来たんでしょ?」
「あっ、そうです…えっと…その…単純に紗雪さんと仲良くなりたいな〜って…」
私は、バカだ。
こんな会話が続くはずがないことは私が一番分かっているはずなのに。
「何を言ってんの?」
「(ほら、言わんこっちゃないよぉ…)」
「急に話したことも名前も知らない赤の他人と仲良くなろうなんて、難しいにも程があるよ」
「うぅ……」
「あと、アンタ、人と話すのに慣れてないでしょ?知らなくてもそう感じる。そんなんでよく私みたいな話しかけないでくださいって言ってるような人に話しかけようと思ったね。その勇気をもっと別のことに使えばいいと思うんだけど?」
「そうですよね…す、すみません…」
紗雪さんの冷たい言葉に、私は負け、体は凍ったように固まってしまった。
「別に説教してるわけじゃない。でも、話しかける相手を考えて。勉強に集中してるのに急に話しかけられるとさ、今まで続いてた集中力が消えるの」
「は、はい…」
ほんとに紗雪さんに説教する気があるのかないのか分からないけど、少し怖い人ということだけはなんとなく分かった。
「ご、ごめんなさい…」
「そんなことより、ほんとに私と仲良くなりたいって理由"だけ"で来たの?それだけ聞きたい、集中力途切れたし」
相変わらず教科書で顔を隠している紗雪さん。
そろそろ顔見て話したいけど、顔を見たところで変わらない気がする。
「えっと…紗雪さんがドラムをやってたっていう噂を聞きまして…」
「ドラム?」
すると、紗雪さんから予想外の言葉が返ってきた。
「私、ドラムからやったことない。なにその噂、誰から聞いたの?」
「へ…?」
私の口から間抜けな困惑が出てきた。
「や、やったことないんですか…!?」
「やってないって言った。それで間違いないから。何度も言わせないで」
「あ、あれ?聞いてた話と違う……」
私はくるっと振り返り、世奈ちゃんに助けを求めようとしたのだが、世奈ちゃんは机に突っ伏して寝たふりっぽいことをしていた。
「せ、せなちゃ〜ん…」
「ドラムなんて…もうどうでもいいことだし…」
「い、今、何か言いました?」
「……」
私の質問に、紗雪さんは無言を貫いた。
確かに何か言ったような気がするが、これ以上は話そうとすればまた恐ろしい返事が返ってくるかもしれない。
「す、すみませんでした〜……」
そう言って、その場からそっと離れると、世奈ちゃんがいる自分の席に急いで向かった。
「あの…世奈ちゃん?話が違ったんですけど…?」
そう話しかけると、世奈ちゃんは急に起き上がり、何度も首を傾げていた。
「あ、あれれ〜、お、おかしいなぁ〜」
まるで水中で揺れる昆布みたくクネクネして喋る世奈ちゃん。
「あ、あの…一つ聞きたいんですけど、ほんとにもしもの話なんですが…決して世奈ちゃんの人間性を疑う気はないんですが……その噂って、嘘じゃないですよね?」
世奈ちゃんがそんなことをするはずがないのは知っているけど、念の為、一応聞いてみる。
「そんなことないよ!私は間違いなく聞いたよ?その時の記憶も残ってるし、状況だって言える!聴力なら毎年Aだよ!」
どうやら、聞いたことには間違いないらしいけど、紗雪さん本人の口からドラムはやったことないって言ってた。
噂って、怖い。
「でも、私が聞いたのは噂だしね。噂ばっかり信じてたら周りが見えなくなるって言うし、残念だけど…」
明らかにしょんぼりした様子の世奈ちゃん。こんな時でも、私は励ましてあげれる言葉を悩んでいる。
「ま、まぁ…いずれ良い人が見つかりますよ」
「うわぁ…その言われると、なんか失恋した気分になる〜」
私の余計な一言に、世奈ちゃんはまたしょんぼりしてしまった。
「(ダメだ…もう私は喋らない方が良いのかもしれない)」
頭の中で必死に言葉を探していると、急に世奈ちゃんの顔に笑顔が戻った。
「まっ、男と付き合ったことなんてないけどね〜」
「あ、無かったんですね…」
「そっ。このまま独身でいるなら、いっそのこと姫ちゃんに養ってもらおうかなぁ〜、家事とかそういうのも全部やってもらって〜」
「な、何言ってるんですか…!?」
「冗談ってだよ?」
「もう、分かりまし…んわっ!?な、なにふるんでふかっ!?」
すると突然、急に世奈ちゃんは私の頬を優しく摘んで引っ張ってきた。
「いや〜、なんとなくこのもちもちのほっぺを摘みたくなっただけだよ。あはは!ほんとに餅みたい!」
「や、やめてぇ…」
でも、無理にやめさせたら、また世奈ちゃんが落ち込んじゃうかもしれない。
「(とりあえず…耐えよう…)」
キーンコーンカーンコーン……。
突然、授業の終わりを表すチャイムが鳴った。
「あ、終わっちゃった。それじゃ、今日もまた"いつもの場所"でね!」
「はい、また後で」
軽く手を振って世奈ちゃんを見送る。
そのあと、私はトイレに行き、鏡で世奈ちゃんに摘まれた頬を確認した。
「わ、わぉ……」
世奈ちゃんに引っ張られた頬は、まるで熟したりんごのように少し赤くなっていた。
◇◇◇
放課後の音楽室の中。
私と世奈ちゃんはいつも通り、音楽室のピアノと隠していたギターでいろんな曲を弾いて遊んでいた。
「(世奈ちゃん楽しそう…)」
音楽室の中は、騒がしいほど音で溢れていた。
簡単な曲なら聞いたり動画を見たりすれば、それなりにできるから世奈ちゃんも一緒に弾いてて楽しいと思う、多分。
「相変わらず姫ちゃんはすごいね!聞いただけで曲が弾けるなんて!」
「嫌というほど習わされてましたから…」
あんまり思い出したくはないけど。
「よし、じゃあもう一回……」
続けてもう一曲やろうと、世奈ちゃんがギターを持ち直したその時だった。
ガタンッ!
「わぁっ!?」
突然、世奈ちゃんの近くにあった掃除ロッカーがガタンと大きく左右に揺れたのだ。
相当ビックリしたのか、世奈ちゃんは私に飛びつくように抱きついてきた。
「ひ、姫ちゃん聞いた…?い、今ロッカーがガタンって!普通ロッカーって自分で動かないよね!?そんな機能ないよね!?」
「あ、あったとしても何に使うんですか…!?」
「だ、だよね〜…じゃあ、やっぱり…中に何かがいるってことかな…」
完全にビビってしまった世奈ちゃんは、私のことを盾にするかのように後ろへと隠れてしまった。
ガタンッ!
すると、またロッカーが音を立てながら微かに左右に揺れていた。
「な、なんか出てこようとしてるんじゃない!?私…もしかして、呪われてた…?」
「だ、大丈夫だと思います…猫とかそういう小動物が中で暴れてるだけじゃ……」
「でも、学校に猫が入ってくることなんてないよ?」
「確かに……ひぃっ!」
ロッカーがさっきよりも大きく揺れると、その反動でロッカーの扉がゆっくりと開いた。
私と世奈ちゃんがロッカーから目が離せないでいると、中から『何か』が倒れるように出てきた。
「なっ!?なにあれ!?」
出てきた『何か』をよく見てみると、キャンプとかで見るような寝袋みたいだった。
「ね、寝袋…ですかね?」
だけど、掃除ロッカーに寝袋が置いてある高校なんて私は見たことも聞いたこともない。
私は謎の寝袋に恐る恐る近づいてみることにした。
「姫ちゃん!?え、近づくの!?」
「か、確認です…!一応確認だけでも…」
私が一歩ずつ近づいても、謎の寝袋は全く動く気配がない。
震える手で寝袋のチャックを掴み、ゆっくりと開けてみる。
「あれ…なんか…見たことあるような…」
少しずつチャックを開けると見覚えある白色の髪の毛らしきものが見えた。
私は
「(もしかして……)」
と思い、一気にチャックを開けてみた。
「あ、あれ…紗雪さん…?」
「ほ、ほんとだ。さゆっちらしき人が…寝てる」
そこには、独特な目がデザインされたアイマスクを付けた紗雪さんが眠っているようだった。
「なんだ、さゆっちだったのか〜。とりあえず、お化けじゃなくて一安心」
「そうですね。私も、びっくりしました」
「でも、なんでさゆっちが?」
「そうですね。あっ、紗雪さんの顔、ちゃんと見たことないような……」
ふと思った私は、紗雪さんの付けているアイマスクにそっと触れ、起こさないように静かにめくってみることにした。
「可愛い顔…あ…」
「離せ変態」
アイマスクを外すと、綺麗な黄土色の瞳が私を睨んでいた。
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