No.4夢を見ること
世奈ちゃんのやる気に満ちた顔が、窓から差し込む陽の光に照らされていた。
「バンド…ですか?」
「そっ!久しぶりにまたやろっかなぁって考えてたんだ!」
「良いんじゃ…ないですか?世奈ちゃんのバンドなら、死ぬまで応援しますよ」
「応援してくれるのはめっちゃ嬉しいんだけど、実はさぁ…メンバーがまだちゃんと決まって無くてね〜」
「え、まだ決まってないんですか?」
「そうなんだよね…バンドやろって誘うのも大変だし、そもそも興味持つ人が少ないから」
世奈ちゃんの言うことはなんとなく分かる。
私も似たようなものだった。
バンドの話をしようと思っても誰も分かってくれなければ、誰もバンドをやろうなんて思う人なんかいない。
曲聴いてる方が良いって言う人の方が多い。
少なくとも、自分たちで演奏したいって思う人はいない。
私の知っている限り、世奈ちゃん以外は。
「そ・こ・で・ね?つい最近、良い人を見つけたんだ〜」
急にニヤッと笑う世奈ちゃん。
「えっと…」
「姫ちゃん!一緒にバンドやろうよ!」
今、とんでもないことを言われた気がする。
「えぇっ!?わ、私ですか!?」
「そうだよ!私の思い描くボーカリストに姫ちゃんっていう、たった一人だけの女子高生がピッタリだったの!」
「な、なんで私…?」
「そんなの簡単だよ!さっきのピアノもカラオケのときの歌も全部が凄かった。きっとボーカルに向いてるし、私がもし立ってたら、多分、腰抜かして姫ちゃんを見てるよ!」
そう言われた瞬間、私の目がじんわりと熱くなっていた。
それが何なのかは、すぐに分かった。
ポロポロと涙が頬を伝ってパーカーにポタポタと落ちる。
私は、生まれて初めて嬉し泣きというのものをしていた。
「あ、あれ…そんな泣くほど嫌だった?ご、ごめんね」
「いや…違います……なんか…なんか嬉しくて。私の小学生の頃からの夢は…もう見えなくなってたから、そんな見えなくなった夢を…もう一度、照らしてくれたような…そんな気がしたんです…」
「そんな感謝されると照れちゃうよ〜」
「だから…私やりたい!」
私は少し泣き声の混じった声で大きく返事をした。
「ほんとに!?嘘じゃない!?」
「世奈ちゃんに、嘘なんか言えるわけないじゃないですか」
「やったぁーっ!メンバーゲットだーっ!」
ぐっと握り締めた手でガッツポーズをし、とびっきりの笑顔ではしゃぐ世奈ちゃん。
ほんとに私で良いのかって聞きたくなるけど、今はそんなことは考えちゃいけない。
「とりあえず、ギターとボーカルは揃った。次は、ベースとドラムだけど…」
「え、私以外のメンバー、他に決まってないんですか?」
「うん!今のところ姫ちゃんと私だけ!やっぱりバンドへの道は長いねー!」
「ほ、本当ですか…で、でも、世奈ちゃんは人気者ですから人、集まりそうですけどね」
「いや〜、褒められてもジュースぐらいしか奢れないよ?」
メンバーのことは、きっと世奈ちゃんの顔の広さなら上手くいきそう。
それよりも私はずっとドキドキしていた。
まるで少し現実から少し離れた新しい世界にいるかのような、そんな不思議な気分。
「これか…青春なんですかね…」
「ううん、これはまだ全然青春じゃないよ?これからもっと楽しくなるからっ!だからさ、こんな会ってばっかりの私について来てくれる?」
「うんっ!」
私は大きく頷いた。
こうして私は世奈ちゃんの誘いに乗り、見事バンドメンバーに選ばれたのである。
そして片付けが終わり、荷物を持った時のこと。
「さ、"一緒に帰ろ"っ!」
「あ、うん!一緒に…ですね!」
世奈ちゃんに言われた言葉に、私の心臓のドキドキが治ることはなかった。
そして、私は世奈ちゃんと肩を並べながら、静かに音楽室の鍵をかけた。
◇◇◇
私の家の前。
私の気分は、いつも以上に高かった。世奈ちゃんという友達と、私の夢であるバンドをやることになったから。
詳しいことは何も考えていないけど、とりあえずウキウキしていた。
込み上げる笑みを堪えながら、私は家の玄関の扉を開ける。
すると、扉を開けた先にお母さんが立っていた。
「あ……ただいま…」
「あら、お帰りなさい。随分と楽しそうな顔をしていたけど、ちゃんと勉強してきたんでしょうね?」
「あ…うん…ちゃんとしてきたよ…」
「なら良いのよ。その調子で、"みんなの手本になるような良い子"になりなさいね。早く荷物置いて、下に降りて来なさい」
「はい…」
私がカラオケに行くようになった理由は、歌を上手くなるための他に、もう一つある。
それは、"お父さんがいなくなった後"のお母さんから離れることだった。
私のお母さんは頭も良くて家事もできるし、仕事もできるすごい人だった。
だけど、それ故に私の言葉も行動も、まるでお母さんと同じようにさせようとしてくるのだ。
前は、そんなことをしてくるような人じゃなかった。それなのに、お父さんがいなくなった途端、私の知っているお母さんじゃなくなってしまった。
私のお父さんは、私が小学校を卒業する数週間前に亡くなった。あのバンドを、私に夢を教えてくれた人は、もういない。
それから、お母さんはずっと私に対して「手本」という言葉をずっと言ってくるようになった。
"姫乃は、これから先、頭の悪い人の手本になるようになりなさいね"
そう言って、私に参考書を押し付けてはいろいろと教えてくる。
前に一度だけ、お小遣いでバンドについての雑誌を買ったことがある。
だけど、その雑誌を部屋で読んでいたら、急にお母さんが部屋に入ってきて、私の頬を思いっきり引っ叩いた。
「こんなのを見るぐらいなら勉強でもしていなさい!姫乃は頭の悪い人にはなりたくないでしょ?これからの人生で勉強っていうのは自分のための財産になるの。ね?姫乃もお母さんみたいになりたいのよね?姫乃はずっとお母さんについて来てくれるのよね?」
ここで私は頷かなければ、何をされるかは分からない。
だから、私はお母さんから少し距離を置いて過ごすようにしている。
私は階段をゆっくりと上がり、部屋のベッドに大の字で寝そべった。
「バレたら…私は…」
バンドはやりたい。
けど、お母さんっていう存在がその望みをかき消そうとしてくる。
だから私には、陽キャと呼べるような友達がいなかった。
「あ、早く…下行かなきゃ…」
急いで階段を駆け降りる。階段から下を覗くと、お母さんがテーブルの上に料理を並べていた。
「早く手を洗ってきなさい」
「はい…」
お母さんの言うことはちゃんと聞いている。
もし聞かなかったら、あの優しい目が鋭く私を刺すように睨んでくる。それが怖くていつも従っている。
「姫乃。今日は何時まで勉強するの?」
私が椅子に座ったのと同時に、お母さんが手を洗いながら聞いてきた。
「今日は…十一時ぐらいまでは…やろっかなって思ってる」
「うん。このまましっかり勉強して、良い大学に行けるように頑張りなさいね」
少し微笑む母の顔だったが、目はほとんど笑っていないように見える。まるで私を監視するかのように。
「い…いただきます…」
そう言って、何も話さず無言のまま私はご飯を少しずつ口の中に運んだ。
それから時間が経ち、お風呂にも入って歯も磨いた後の夜九時。
私は自分の部屋の机の上で黙々と勉強していた。今日は漢字の勉強。漢字ノートに載っている漢字を覚えるまで書き、意味も覚える。いつも通りの勉強法。
「これは…こういう意味が…ん?」
すると突然、私のスマホがピコンッと鳴った。きっと何かメールが届いたんだと思う。
私はこっそりスマホを取り、隠すようにしてスマホのパスワードを解いた。
「あ、世奈ちゃんからだ…でも、どうしよう。勉強中にスマホ使うと…お母さんから…」
悩んでいる間にもまた何件かメールが送られてくる。いいや、バレたら何とか言いくるめれば…。
『姫ちゃん!今日は私の演奏聞いてくれてありがと!あと、バンドの件なんだけど、ほんとにありがとね。私、すっごく嬉しいよ!』
「えっと…『こちらこそ…貴重なお誘い誠にありがとうございました』…と。ふふっ」
自然と笑みが溢れ出る。スタンプもついでに送ると、せななんからもスタンプで送られてくる。それに私も返す。その繰り返し。
見ていてとても楽しいスタンプだけの会話だった。
「やっぱり、世奈ちゃん面白い人だなぁ…」
「何をしてるの?」
だが、楽しい時間というのはすぐに過ぎ去ってしまった。
急に私の後ろから冷たい声が聞こえてきた。それは、冬の雪よりも冷たくて鋭くて恐ろしい。
「え、えっと…」
「なんで勉強中なのに、スマホを持っているのかしら?」
「こ、これは…その、あ、新しくできた友達にメールを送るためで…ほ、ほら…お母さん、友達は大事にしなさいって言ってたからさ…」
「ふーん」
まだ疑いの目を私に向けている。その鋭い眼差しに私の気は小さくなる。
「う…ごめんなさい…」
「謝るってことは、その人も悪い人なのね」
「いや…せ、世奈ちゃんは…とっても良い子だよ。頭も良くて、運動もできる子で」
「でも、姫乃の邪魔になるようなら、そんな人は無視しなさい。そして、今後関わるのもやめなさい」
そう吐き捨てて、お母さんは部屋を出て行ってしまった。
『ごめんね世奈ちゃん。もう私寝るからおやすみ』
『分かった!おやすみなさいませ〜』
そっとスマホの電源を落とした。
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