No.4もう一度・夢を見ること
世奈ちゃんのやる気に満ちた瞳が窓から差し込むオレンジ色の陽の光に照らされ、より輝いて見えた。
「バンド…ですか?」
そんな綺麗な世奈ちゃんに私は問いかける。
「そっ!久しぶりにまたやろっかなぁって考えてたんだ!」
それを聞いたとき、私は一瞬だけ世奈ちゃんが羨ましかった。
私みたいな人間がそんなことを言っても、どうせ夢だと言われ、誰も応援なんかしてくれない。夜空に浮かぶ星を掴むように。
でも、世奈ちゃんは違う。
きっと私なんかよりも、夢に手を伸ばす距離が何倍も長い。
「良いと思いますよ。世奈ちゃんのバンドなら、私、死ぬまで応援しますので…」
嫉妬とは違う気がする。
「姫ちゃんが応援してくれるのはめっちゃ嬉しいんだけど、実はまだメンバーがちゃんと決まって無くてね」
「まだ決まってないんですか?」
「そうなんだよね。バンドやろって誘うのも大変だし、そもそも興味持つ人が少ないから」
世奈ちゃんの言うことはなんとなく分かる。
私も似たようなものだった。
バンドの話をしようと思っても誰も分かってくれないだろうし、バンドをやろうと思う人なんか誰もいなかった。
多分、曲聴いてる方が良いって言う人の方が断トツで多いと思う。
少なくとも、自分たちで演奏したいって言う人は私が知っている限り、世奈ちゃん以外いない。
「そ・こ・で・ね?つい最近、良い人を見つけたんだ〜」
急にニヤッと笑う世奈ちゃん。
すると、私の両手をぎゅっと握って続けて言った。
「えっと…」
「というわけで、姫ちゃん!一緒にバンドやろうよ!」
私が困惑するたった数秒の間に、世奈ちゃんの口からとんでもないことが聞こえた。
「わ、私と…バンドを?」
なにかの冗談かと思った。
聞き間違えじゃないかと思った。
夢見てるんじゃないかって思った。
いくらなんでも、世奈ちゃんみたいな陽キャが私みたいな平凡な人間を誘うはずがない。そう考えていたかった。
「嘘じゃないですよね…?」
「嘘じゃないよ!」
「そ、そんなこと…」
「私の思い描くバンドのボーカルにね、乙守姫乃、姫ちゃんっていう歌ってピアノ弾く可愛い可愛い女子高生がピッタリだったの!」
でも、私が大袈裟に考えていたことは一瞬で世奈ちゃんに砕かれてしまった。
「でも…なんで私…?」
「そんなの簡単だよ!さっきのピアノの演奏もカラオケのときの歌も全部が凄かったもん!きっと、姫ちゃんはボーカルに向いてるんだよ!もし私が観客だったら、多分腰抜かして姫ちゃんを見てるよ!」
世奈ちゃんの言葉は嘘が一つもなく正直だった。
その言葉を受けた瞬間、私の目元がじんわりと熱くなっていた。
「……っ!」
それが何なのかは、すぐに分かった。
ポロポロと目から溢れ出した喜びが、頬を伝ってパーカーにポタポタと落ちる。
「あ、あれ?そんなに泣くほど嫌だった?ご、ごめんね」
私は、生まれて初めて嬉し泣きをしていた。
「違うんです……なんか…なんか嬉しくて……」
急いでパーカーの袖で顔を拭う。
だが、溢れ出す思いは止まることを知らなかった。
「バンドなんて、私には無理なんだろうなって……ずっと諦めていたんです……学校でも、私の居場所をどれだけ探しても…ずっと真っ暗で見えなくて……でも、世奈ちゃんがそう言ってくれて…見えなくなっていた夢を……もう一度照らしてくれたような…そんな気がしたんです……」
私の言葉に少し驚いた様子の世奈ちゃんだったが、だんだんと優しい笑顔へと変わっていた。
「姫ちゃん」
そんな世奈ちゃんが、一瞬だけお父さんと重なって見えた。
「だったら、その夢、一緒に叶えようよ!」
そう言って、私の手をぎゅっと優しく握ってくれた。まるで暗い洞窟を彷徨い続ける私を、そっと光に満ちた出口へと導いてくれるように。
握られた手が私たちを一つにしたような気がした。
「私…やりたいです!」
私は少し泣き声の混じった声で、世奈ちゃんの手をぎゅっと握り返した。
「ほんとに!嘘じゃないよね!?」
「こんな優しい世奈ちゃんに…嘘なんか言えるわけないじゃないですか…」
「やったぁー!メンバーゲットだー!」
ぐっと握り締めた手とは反対の手でガッツポーズを決め、とびっきりの笑顔ではしゃぐ世奈ちゃん。
ほんとに私で良いの、って聞きたくなるけど、今はそんなことを考えちゃいけない。
世奈ちゃんは私を選んでくれた。
そう思う方が正解だと思う。
「とりあえず、ギターとボーカルは揃った。あとは、ベースとドラムだけだね!」
世奈ちゃんの言葉に、私の体はピタッと止まった。
「えっと…もしかして……今のメンバーって私だけですか?」
「うん、今のところ姫ちゃんと私だけだよ!いやー、やっぱりバンドへの道は長いねー!」
まるで誤魔化すように笑う世奈ちゃん。
「ま、マジですか……でも、世奈ちゃんは人気者ですから……簡単に人、集まりそうですけどね」
「人気者だなんて〜そんな〜。もう、褒められてもジュースぐらいしか奢れないよ?」
メンバーのことは、きっと世奈ちゃんの顔の広さなら上手くいきそう。私のクラスでもあれだけの人気があったぐらいだし。
「バンドかぁ……」
それよりも、私の心臓はずっとドキドキが止まらなかった。
まるで現実から少し離れた新しい世界にいるかのような不思議な気分。
「これが…青春なんですかね…?」
私の口からは不意に興奮が溢れ出てしまった。
すると、世奈ちゃんは首を横に張った。
「ううん、これはまだ全然青春なんかじゃないよ?これからもっと楽しくなるからねっ!」
「もっとですか…?」
「うん!だからさ、こんな会ってばっかりの私について来てくれる?」
「はいっ!」
私は大きく頷いた。
二人だけの音楽室の中で、二つの笑顔が咲く。
こうして、私は世奈ちゃんの誘いを受け、見事バンドメンバーに選ばれたのである。
そして片付けが終わり、荷物を持った時のこと。
「さ、"一緒に"帰ろっ!」
「あ……"一緒に"…ですね!」
世奈ちゃんに言われた言葉に、私は心から嬉しかった。そして、私は世奈ちゃんと肩を並べながら、音楽室に鍵をかけた。
◇◇◇
世奈ちゃんと途中まで一緒に帰った後、昨日と同じ交差点で別れ、私はルンルンで家へと向かった。
今の私は気分が良い。
世奈ちゃんという陽キャの友達と、
「私の夢であるバンドをやれるなんて……」
バンドの詳しいことはまだ何も考えていないけど、きっとこれから学んでいけば良い。いつも以上に歌の練習も頑張らなきゃいけない。
なんて、そんなことを考えるうちに家の前に着いてしまっていた。
「ふふ……」
込み上げる笑みを堪えながら、私は家の玄関の扉を開けた。
すると、扉を開けた先にお母さんが立っていた。
「あ……ただいま…」
お母さんの顔が見えた途端、私はサッと気持ちを切り替えた。
「あら、お帰りなさい。随分と楽しそうな顔をしていたけど、ちゃんと勉強してきたんでしょうね?」
お母さんの冷たい視線が私を見つめる。
「あ…うん…ちゃんとしてきたよ…」
その視線から逃げるように下を向き、靴を脱ぎながら答える。
「なら良いのよ。その調子で、"みんなの手本になる良い子"になりなさいね。もうご飯できてるから早く荷物置いて、下に降りて来なさい」
「はい…」
そう言うと、お母さんは台所へと歩いて行った。
私がカラオケに行くようになった理由は、歌を練習する他にもう一つだけある。
それは、"お父さんがいなくなった後のお母さんから離れる"ことだった。
私のお母さんは頭も良くて家事もできるし、仕事もできるすごい人。
だけど、それ故に私の言葉遣いも行動も、全部お母さんと同じようにしないと怒るようになってしまった。
前は、そんな人じゃなかった。
でも、お父さんがいなくなった途端、私の知っている優しいお母さんは変わってしまった。
私のお父さんは、私が小学校を卒業する数週間前に持病で亡くなった。あのバンドを、私に夢を教えてくれた人は、もうどこにもいない。
『姫乃は、これから先、頭の悪い人の手本になるようになりなさいね』
それから、お母さんはずっと私に対して"手本"という言葉をずっと言ってくるようになった。
前に一度だけ、お母さんには内緒でお小遣いでバンドについての雑誌を買ったことがある。
だけど、その雑誌を部屋で読んでいたら、急にお母さんが部屋に入ってきて、私の頬を思いっきり引っ叩いた。
『こんなのを見るぐらいなら勉強でもしていなさい!姫乃はこんな頭の悪い人にはなりたくないでしょ?これから人生で勉強っていうのは自分のための財産になるし武器にもなるの。姫乃もお母さんみたいになりたいわよね?姫乃はずっとお母さんについて来てくれるわよね?』
ここで私は頷かなければ、何をされるかは分からない。
だから、私はお母さんから少し距離を置いて過ごすようにしている。
私に陽キャと呼べるような友達がいなかったのも、これが原因の一つだと思う。
でも、お母さんの言いたいこともなんとなく分かる気がするのが、ちょっと辛い。お父さんのことを考えると、お母さんの方がきっと正しいんだと思う。
私は階段をゆっくりと上がり、自分の部屋のベッドに倒れ込むように寝っ転がる。
「バレたら…私は…どうなっちゃうのかな……」
バンドはやりたい。
けど、お母さんっていう存在が陰で私を見守ってくれてるから、結局どうして良いか分からない。
「あ、早く…下行かなきゃ…」
急いで階段を駆け降りる。
階段から下を覗くと、お母さんがテーブルの上に出来上がった晩御飯を並べていた。
「早く手を洗ってきなさい」
「はい」
お母さんの言うことはちゃんと聞いている。
何も間違ったことは、言っていないから。
「姫乃。今日は何時まで勉強するの?」
私が椅子に座ったのと同時に、お母さんが手を洗いながら聞いてきた。
「今日は十一時ぐらいまで…やろっかなって思ってる」
「うん、分かったわ。このまましっかり勉強して、良い大学に行けるように頑張りなさいね」
少し微笑むお母さんの顔だったが、目はほとんど笑っていないように見えた。
「いただきます…」
そう言って、何も話さず無言のまま私はご飯を少しずつ口の中に運んだ。
それから時間が経ち、お風呂にも入って歯も磨いた後の夜九時。
私は自分の部屋で黙々と勉強していた。
今日は数学の勉強。教科書に載っている問題をひたすら解き、公式を覚えるまでやり込む。それが、私がいつもやっている勉強のルーティーンだった。
「これは…こういう意味が…ん?」
すると突然、机に置かれたスマホがピコンッと鳴った。この音は、メールが届いたときの通知音だった。
私はサッとスマホを取り、自分の体で隠すようにしてスマホのパスワードを解いた。
「あ、世奈ちゃんからだ…」
メールの相手は、世奈ちゃんだった。
「どうしよう…勉強中にスマホ使うと…お母さんから怒られちゃう……」
悩んでいる間にもまた何件かメールが送られてくる。
「でも、メールぐらいならなら……」
メールのアプリを押すと、一番上に世奈ちゃんのアイコンがあった。
『姫ちゃん!今日は私の演奏聞いてくれてありがと!あと、バンドの件なんだけど、ほんとにありがとね!私、すっごく嬉しいよ!!姫ちゃん大好きっ!!』
「えっと…『こちらこそ、貴重なお誘い誠にありがとうございました!』…と。ふふ…」
自然と笑みが溢れ出る。
ついでにスタンプも送ると、せななんからもスタンプで送られてくる。それに私も返す。その繰り返し。
見ていてとても楽しいスタンプだけの会話が流れる。
「やっぱり、世奈ちゃん面白い人だなぁ…」
「何をしてるの?」
だが、楽しい時間はすぐに終わってしまった。
急に私の後ろから冷たい声が聞こえた。それは、冬の雪よりも冷たくて鋭くて恐ろしいお母さんの声。
「え、えっと…」
「なんで勉強中なのに、スマホを持っているのかしら?」
「こ、これは…その、あ、新しくできた友達にメールを送るためで……ほ、ほら…お母さん、友達は大事にしなさいって言ってたからさ…」
「ふーん」
まだ疑いの目を私に向けている。その鋭い眼差しに私の気は小さくなる。
「ごめんなさい…」
「謝るってことは、その人も悪い人なのね」
「いや…せ、世奈ちゃんは…とっても良い子だよ。明るくて、運動神経も良くて…」
「でも、姫乃の邪魔になるようなら、そんな人は無視しなさい。そして、今後関わるのもやめなさい」
そう吐き捨てて、お母さんは部屋を出て行ってしまった。
『ごめんね世奈ちゃん。もう私寝るからおやすみ』
『分かった!おやすみなさいませ〜』
そっとスマホの電源を落とした。
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