第41話 ヒトの結末

 会場は興奮のるつぼである。


 激情。


 怒号。


 感動。


 悲鳴。


 歓喜。


 全てが渾然となっている。まさに坩堝である。


 それは実況席も同様で。


 おなじみの二人も興奮しながら、舞台の状況をつぶさに伝えている。


 倒れたサリー・プライド。

 その意識や怪我、試合続行の可否の確認をしている副審二人。


 サリーから離れ、それに背を向け、観客にファンサービスをしている女神セシリア。


 その横に控えている主審。


 サリーの確認を終えた副審二人が、主審に向かって同時に横に首を振る。

 それを見た主審がセシリアの右手を掴んでいいか確認してから、おずおずと極力触れないように神の右腕をつかみ、それを天に掲げる。


「いま! レフェリーが勝利を告げましたあ!」


 この瞬間。

 セシリアの勝利が確定した。


「高々と手を掲げられているのは!」


 誰あろう。


「セシリア・ローズ選手ですう!」


 女神セシリアである。


「第十八代! アイドルバトルの優勝者は!」


「新たなる女神! セシリアー! ローズう!」


 解説おじさんも。

 マイカ・エムシーも。

 涙目、涙声である。


「会場の人間全員が!」


 サリーファンであろうと。


「配信を見ている全員があ!」


 セシリアファンであろうと。


「この星の半数以上の人間が!」


 ながら見をしていた人間であろうと。


「奇跡を目の当たりにしていますう!」


 この試合には夢中になってかぶりついた。


「サリー・プライドを破っての優勝は番狂わせ以外のナニモノでもありません。下馬評では限りなくゼロに近い勝利予想でしたが、なんと女神に生まれかわって勝利! 前代未聞! 前人未到!」


 女神の加護を受けた絶対無敵のサリー・プライドを破るという奇跡。

 女神の誕生を目撃するという奇跡。

 女神のアイドルバトル優勝という奇跡。


 全員が。

 奇跡の目撃者となり、歴史の。奇跡の。語り部となった。


「セシリア選手陣営がいまセシリア選手の元へ駆け寄っております。ぜひ感動を分かち合って欲しいですう!」


 モリー・マッスルとジョージ・Pが場外から舞台上に上り駆け寄るのが見える。


「あそこにモリー・マッスル選手がいるのが感慨深いですね」


「遠くから見ても泣いているのがわかりますね。彼女はあの敗北から現役引退に至りましたからね。教え子の勝利で一つつかえていたものがとれたのが見て取れますう」


「セシリア選手、モリー・マッスルと事務所の社長である男性と抱き合って喜んでいます!」


———————————————————————————


「嬢ちゃん! よくやった! 一時はもう……! もうよう!」


 モリーは涙があふれて言葉にならない。


「モリーさん! 私やりましたよ! モリーさんと一緒に勝ちました!」


「やめておくれよ、ただでさえ涙があふれて止まらないってのにさ……うおおおん」


 実に見た目に似合った獅子の咆哮のような鳴き声であった。

 感極まった時のモリー独特の泣き方である。

 それだけ今日の試合は色々な感情が呼び起こされるものだった。表面上はもう負けは負けとして割り切った。今は成功している。あれでよかったんだ。なんて言ってはいるが、やはり悔しかった。何もできずに負けたあの日の夢で飛び起きる日もまだあった。


 それとも今日でおさらばだろう。


 セシリアは号泣するモリーを抱きしめる。背中に手を添えて、赤子をあやすようにポンポンと軽く叩く。

 広い背中を全部包んではあげられないけど、こうやって支える事はできる。


 そんなセシリアの肩に手がかかる。


 モリーの厚い胸板から顔を上げて振り返る。

 そこには事務所社長であり、セシリアの救世主がいた。


「ジョージ・P」


 ジョージは無言でうなずく。


「私、やりましたよ」


「はい」


 わずかに声が震えているのがわかる。


「あの日の目標達成しましたよ」


「俺はできると言ったでしょう?」


 それを隠すように少しおどける。


「ふふ。はじめは信じていなかったじゃないですか」


「信じてなかったのは自分の才能アイドル・ウェポンです。セシリアさんじゃありませんよ」


 おどけたように肩をすくめる。


「お互い半信半疑でしたからね」


 そんなジョージ・Pにあわせてふふっと笑う。


「今は信じられていますか?」


 フッと真剣なジョージ・Pの声。

 セシリアはその言葉に自分の胸元に目を落とし、小さくうなずいた。


「はい。今は全部が埋まってます」


 きっとステータスの自己肯定感のHALFは消えているだろう。


「よかったです。これでいったん終わりですね。今は勝利と問題の解決を喜びながら体を休ませましょう」


 ふう。とついた息。


「ジョージ・P」


 それを払うセシリアの声。


「はい?」


「まだ終わってませんよ?」


 終わっていない。の言葉にジョージは首をかしげる。


「何か問題が残ってました? 目標だったアイドルバトルの優勝を掴んで、セシリアさんの問題も解決して、めでたしめでたし。ではありませんか?」


「いいえ」


 首を横に振って。

 無言でジョージを指差す。


「俺?」


「はい。そして——」


 少し離れた場所で倒れたままとなっているサリー・プライドを指差す。

 すでに怪我などはセシリアのスキルで全て完治させてある。動かず空を見つめているのは本人の意志である。


「サリーさん? ですか?」


「はい。賭けの精算が済んでません」


「賭け?」


「ジョージ・Pとサリーさんでこの試合の勝敗で賭けていたでしょう?」


 その言葉にジョージは思い出す。

 正直そんな賭けは忘れていた。負けた時には代償を払う必要があるが、勝った時に何かを要求する気などなかったのである。どうせサリー・プライドの気まぐれなのだ。

 しかし。それを精算しにいけと目の前の女神は言っているのである。


 それは。


「——さすがにできませんよ。セシリアさん? まず良いですか? 敗戦間もない人間に対して賭けの精算を迫るのは世の中的には死体に鞭を打つと言って良くない行為なんですよ?」


「人の道理は女神には関係ありません。ダメです。今精算してください! 賭けの精算をしないと終わりません。私の賭けの要求はすでに先輩にはしてあるので、ジョージ・Pも要求もしくは回収をお願いします」


 いつの間に。とジョージ・Pは驚く。


「セシリアさんも賭けてたんですか? 感心しませんね」


 サリーといい、セシリアといい。

 賭けはよくないとジョージ・Pは表情で訴える。


「もう! そういうのいいから、早く行ってください! 行け!」


 シッシと追い払うように手を振る。

 セシリアの口調が珍しいほどに荒い。

 その剣幕にはさすがのジョージ・Pも逆らいきれず、不服そうではあるが、ゆっくりと、倒れているサリー・プライドに歩み寄るのであった。

 セシリアに追い払われたジョージ・Pは、舞台上でいまだに動かないサリー・プライドの元へと至る。


 足元に回ると、第一声に迷うかのように、軽い咳払いをするが、サリーは動かない。


 何かを待つように。


 ジョージは意を決して声をかける。


「あー、サリーさん。……そのなんだ、無事か?」


 傷ついた女性にかける第一声がこれとは。なんともダメな男である。


 もちろん呆れたようなため息が返ってくる。


「ジョージにはこれが無事に見えるのかしら?」


 仕方なしにサリーはジョージに応える。


「無事には見えないし、そんな風に横たわる君を見るのは初めて会ったあの日以来かもしれないね」


 彼女とはじめて出会った日もこんな風に仰向けになって空を見ていた事を思い出す。


「ジョージ。女性の過去に触れるのはよろしくないわ。サリー・プライドにそんな過去はないのよ」


 仕事もなく、金もなく、事務所での居場所もない。


 そんなアイドルだった過去はもう捨て去っている。


 あの日の空なんて忘れてた。


 今日、この日までは。


「そうだね。あんな過去はサリー・プライドのブランドを毀損してしまう。今や君はトップ女優だ」


 完璧なブランディングでここまで至ったサリー・プライド。


「毀損はいいわ。すでに今日の試合でサリー・プライドのブランドには傷がついたもの。今までのようにはいかない。またブランディングプランを考えなおさないと」


 あの日も同じように未来へのプランを考えていた。


「さすがだね。サリーはいつでも十全だ」


 なんでお前が嬉しそうなんだよとツッコミそうになる程の笑顔。

 他社の看板女優だぞ。


「そうでもないわ。今日のバトルで未だ不完全な自分を思い知ったわ」


「そうかな? そうやってる姿も絵になっているよ」


「世辞は不要よ。で? ジョージはサリー・プライドになんの用なの?」


 緩みそうになる頬を必死に隠そうとあえて冷たい言葉を投げる。


「ああ、すまないね。うちの女神様が俺と君の賭けの精算をしてこいって言って聞かないんだ」


「後輩はスピード解決を望むのね」


 一人納得するようなサリーの言葉にジョージは戸惑った。

 とは言っても賭けの精算をしない事には、初めてみる剣幕のセシリアはおさまらないだろう。


「ん? あ、ああ。良くわからないがそうみたいだ。俺としては特に要求したいものはないから、何か簡単な——」


 そんな考えで遠く離れたセシリアを見ながら発した適当な言葉は。


「待ちなさい」


 見事サリーに遮られた。


「お、おお。なんだい?」


「先にサリー・プライドが後輩との賭けの負け分を精算するわ」


「そうか。何度も言うが賭けは良くないぞ。セシリアさんにもよく言っておく」


「ジョージはうるさいわね。少し黙ってサリー・プライドの言葉を聞きなさい」


「……すまない」


 辛辣な言葉を放ちながら、相変わらず天を仰いだままのサリー・プライド。


「今から言うサリー・プライドの言葉を聞いてから、ジョージは要求を決めなさい。多分、あなたの要求は一つになるでしょう」


 自分に言い聞かせる。


 成功を。


「なんだか占い師みたいだね」


 わかっていないジョージ。


 でもいい。


 大きなため息。


 深呼吸と言い換えても差し支えがないほどの。


 サリー・プライドが緊張している。それを肌に感じたジョージはもうふざける事はできなかった。


 深く吸った吸気。


 浅く吐いた呼気。


 残った息が言葉になる。


 サリー本人も信じられない程にするりと言葉になる。


「好きよ」




 真っ直ぐに。




 ただ真っ直ぐに。




 その言葉はジョージ・Pの胸に突き刺さる。




 一瞬でジョージとサリーの周りから現実感が喪失した。




 お互いにどれだけこのシュチュエーションを夢想しただろう。数えきれない。星の数よりも多いかもしれない。まるでその時のように。夢の中のような。まるで想像の世界のような。


 感覚に包まれる。


 景色も音も消える。


「ずっと好きだったわ。いつからかなんてわからない。あの日にこうやって空を見上げる私に貴方が声をかけた時にはすでにそうだったかもしれないくらい」


「俺」


「何も言わないで。ジョージはただ私の言葉を聞けばいいの。全部を聞いた上でジョージはサリーに要求するのよ」


「うん」


「アイドルから女優になろうと思ったのも、そのために事務所を移籍しようと思ったのも。ジョージを愛してしまったから。愛を知ったサリー・プライドはアイドルじゃいられなかった」


「うん」


「アイドルをやめて女優になればすぐには無理でもジョージとの未来が掴めるかもしれないと思ったから」


「うん」


「でもジョージはついてきてはくれなかった。あの日私はジョージが私を愛していないと知った。だから私の手を払ったんだと、私の全てを見捨てたのだと。そう思った」


「それはちが——」


「黙るのよ、ジョージ」


「……うん」


「でも今日。それは違うと後輩が言ったわ。ジョージは私を愛していると。後輩が言ったわ。だからサリー・プライドから離れたんだと。そう言ったのよ」


「……」


「それを踏まえて、もう一度言うわ」


「うん」


「好きよ」


「うん」


「私はジョージが好き。愛しているわ。私の全てを貴方にあげる覚悟があるの。私の全てが貴方を求めているの」


「うん」


「好きよ、ジョージ」


「うん」


「わかればいいのよ」


「うん」


 二人の世界に音と景色が戻る。


 しかし今度は逆に二人が無言になる。言いたい言葉と言いたい言葉と言うべき言葉と言っていいのかわからない言葉が渋滞して二人の言葉には急ブレーキがかかった。


 お互いが逡巡する中。


 やはりと言うべきか。


 気まずい渋滞を抜け出すのはサリー・プライドである。


「さ。ここからが本題。貴方はサリー・プライドに何を要求するの? 答えなさいジョージ」


「俺は……」


「貴方は?」


「ずっと君が好きだった」


「それで?」


「今も君を愛している。ひたむきな努力家な所、クールが売りなのに本当はドジな所、決まったカップじゃないとコーヒーを飲みたくない所、一日の最後に自分の行動が正しかったかどうか思い悩む所。良い所も、変な所も、全部愛している。俺はサリーが欲しい。サリー・プライドもサリーもあの日の君も。あの日からの君も。全部全部が欲しいんだ。俺は君をもらう! これが俺の要求だ……いいかい?」


「ええ、いいわ」


「本当かい?」


「賭けで負けたのよ? 仕方ないでしょう?」


「こうなるんだから賭けはやっぱり良くないよ」


「何を言っているの? こうなるんだったらたまには賭けもいいでしょう?」


 ふふ。


 ジョージは笑う。まるで青年だったあの日のように。


 サリーも笑う。まるで少女だったあの日のように。


「そんな事よりいつまでサリー・プライドを寝転がしておくの? あの日みたいに手を差し伸べなさい。いい? あの日みたいに、よ」


 少女のような事を言うサリー。足元から覗き込んだサリーの顔は上気していた。


 そんなサリーに手を差し伸べる。


 あの日の放送局の屋上が、一瞬で辺りによみがえった。




 囲われたフェンス。


 固い。コンクリートの床。


 寝転がり、陽の光に目を細めながらも天を見つめる少女。


 吹き抜ける風。




 見つけた。




「君、こんな所で寝てないで、俺の事務所でアイドルやらない?」




 スカウトの言葉だった。




 この言葉が今につながっている。


 この言葉と共に手を差し伸べた。




 あの日と同じように強く掴まれる。




「いいわ。私が事務所を移籍して女優になるって言っても、私のこの手を離さないなら、ね」


 あの日とは違う。

 今のサリーの言葉。


「ああ、もちろん。俺は君を愛し続けるんだ。この先もずっと離すわけないだろう?」


 あの日とは違う。

 未来へのジョージの言葉。


「ならいいわ」


 満足そうに言うと。


 サリーは愛する人の手を頼りにパッと立ち上がった。


 そして。


 そのままジョージに抱きつく。


 少しの背伸び。


 熱い口づけ。


 戸惑うジョージ。


 しかししっかりとサリーを抱きしめる。


 目を閉じているサリー。


 その頬に一筋の線が流れる。




 この瞬間。




 止まっていた二人の五年が加速した。

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