第40話 肉体言語で恋を語らう

 しばし見つめ合う二人。


 フッとサリーが笑った。

 セシリアもそれを受けて微笑む。


 何かが通じ合っている。


 初めてあったあの日。

 サリーはここまで後輩とわかりあえると思っていなかった。

 何ならジョージにまとわりつく羽虫くらいにしか考えていなかった。


 その時には実際その位に存在の差が離れていただろう。


 サリー・プライドがサリー・プライドになってからの人生は順調すぎるほどに順調だった。何せ事象を創造できるのだ。敵なんているはずもない。それでもそこに甘える事なく自分の価値は極力自分で創造してきた。


 きっと能力に頼りきっていたらここには立っていなかっただろうなと思う。天狗になり敵を作りそれでもなんとか業界トップに登りきったあたりでそこから転げ落ちていたであろう。それほどまでに恐ろしい世界である。


「よかったわ」


 言葉が口からこぼれた。


 ちゃんとやってきてよかった、なのか。セシリアにあえてよかった、なのか。

 こんな言葉。らしくないと言えばらしくない。


 サリー・プライドはいつもクールで美の権化であろうとブランディングしてきた。

 こんな素直な言葉を吐き出すような商品ではない。


 でもそれもいいかとサリー・プライドは思った。


 今日だけはサリー・プライドの言葉ではなく、自分の言葉としてあふれてきた言葉を優先したいと思える。

 きっと心からこぼれた言葉なんだろう。


 セシリアは先輩の言葉に触れる事はない。

 なぜなら自分もそこに至る経緯は違えど、全く同じ感想が心の中に溢れていたからである。


 よかった。


 通じている。お互いがそう感じていた。

 多分人生の中でここまで分かり合えたと感じるのは双方初めてである。


 とは言っても。

 決着をつけねばならないのは勝負の定め。


 これはバトルなのである。


「先輩、もっと語り合いませんか?」


 そう言って拳を打ち合わせる。


 拳で語ろう。というわけである。


「いいわね、後輩」


 わかっているわね。という風情である。


「距離は少し狭くして、場外に出たら負けとかですかね?」


「そうね。それがいいわね。範囲はこれくらいかしら?」


 一瞬で舞台上に真円が敷かれた。


 直径で五メートル程度、攻撃をするには不自由ないが、神の直撃を受ければ即場外くらいの広さである。


「先輩、お見事です」


「ほめても手は抜かないわよ?」


 無表情でフフンと鼻を鳴らす。

 サリー・プライドらしい。


「もちろんですよ!」


「さ、いくわよ」


 そう言うと、ゆっくりとした左拳でセシリアの顎を狙う。

 セシリアはそれを右拳でゆっくりと外へ逸らすと、同時に左拳をサリーの鼻の下めがけてこちらもゆっくりと繰り出す。サリーもまたゆっくりとした動作で顔を逸らしてかわす。


 ゆったりとした演舞を繰り広げる。


 神と巫女の舞踏。


 ゆらりゆらりと。


 ひらりひらりと。


 動作は大きく、時には部位だけを細かく動かし、ある時は全身で躍動するように。


 アイソレーション、ストップモーション、スローモーションをふんだんに使用し、セシリアのアイドル性とサリーのカリスマ性とを散りばめて、神性溢れる神聖なステージにしようというサリーからの無言の提案であった。


 セシリアはそれを瞬時に理解し即座に呼応したのである。


 それほどまでにこのバトルの中で二人のつながりは強固なものになっていた。


 サリーが左を右で受ける。セシリアが右を左で受ける。

 サリーが拳を腕で捌く。セシリアが足を掌で捌く。

 サリーの肘をスウェーでかわし。セシリアの膝は体を開いてかわし。


 手を変え品を変え、繰り返す。


 そして一巡繰り返すごとにスピードが上がる。繰り返すたびに手数が増す。


 そうしているうちにいつしか舞踏は武闘へと変わっていた。


 攻撃を放つたび、攻撃を受けるたび。

 ぶつかりあった肉体から光がはじける。


 その光に観客は嘆息や感動や驚嘆で会場を盛り上げる。


 女神誕生のように会場が大盛り上がりに沸いているわけではない。しかし会場の一体感はその時よりも増しているし、熱量も増している。言うなれば夢中になって見惚れてしまうあまりに声を失っている状態だ。


 そしてこの光は女神セシリアと巫女サリーの交信の残滓でもある。


 拳を交わす毎に、セシリアとサリーは会話をしていた。


 はじめはなんとなく感情が伝わる位だったが、スピードが上がる毎に、回線は太くなり、通信速度も上がる。なんとなく意思が理解できるようになり、それの解像度が上がり、やがて武闘がトップスピードに至った段階で言語が脳に響くようになった。


 いま。


 女神と人が肉体言語を用いた語り合いが始まる。


 一合。

 その度に脳に響くノイズが段々と音になり。


 一合。

 その度に脳に響く音がついには声になった。


 サリーの脳に響いたのはセシリアの声。


「あー聞こえますかー先輩?」


「聞こえるわね。なんなのこれ?」


 非常にクリアに聞こえる後輩の声に若干引き気味のサリー。


「語り合おうって言ったじゃないですか、肉体言語ですよ」


「肉体をぶつけたら脳で言語化されるとかちょっと女神の力を無駄遣いしすぎではないかしら?」


「ふふ。内緒話がしたかったんで使っちゃいました」


 拳が白熱するほどの速度で繰り出しながら、てへっと舌を出す。


「内緒話のスケールが大きいのよね。まあ、いいわ。なんの話がしたいの?」


 うざいので流す事にしたサリー・プライド。


「それはもちろん恋バナですよ!」


「は? 後輩は知能と引き換えに女神の力を得てきたのかしら?」


 女神の力を使ってやることではない。


 カフェでやれ。


 とサリーは思う。思うだけで肉体言語を通してセシリアには伝わっているのだが。


「私はアイドルですし、先輩はトップ女優ですし、完全に安全な通信でする話と言えば恋バナ以外ありませんよ。カフェでなんてこんな話できません」


「頭が痛いわ」


「脳に直接情報流し込んでますしね」


 違う。


 本気で知性を神界に置いてきたのではなかろうかと心配になる。


「そういうんじゃないのだけれど。まあいいわ。具体的には何の話をするの? 誰の恋バナをするの?」


「ふふ。具体的に言うと、ジョージ・Pの話なんですけど?」


「がっ!?」


 サリーの脳にノイズが疾る。


 ノイズと共に脳に流し込まれたジョージ・Pの名前に、サリーの左手の動きが止まり、セシリアの右拳がサリーの眼前に迫る。それを何とか顔を背けてかわすが、完全にはかわしきれず耳をかすり、異常な熱でサリーの耳が赤く染まった。


「先輩! 大丈夫ですか?」


「ッ! 対戦相手の被弾を心配するのは違うわよ後輩。でもちょっと今のノイズでさっきの話は聞こえなかったわね。違う話題にしましょう?」


「え、聞こえませんでした? しょうがないですね。ジョージ・Pです。ご存じジョージ・Pの話ですよ。彼の恋バナが主題なんです。これ以外の話をする気ないんですよね」


「後輩。女神になってからワガママになっていないかしら? ンッでも、まあ……ジョージの恋バナがどうしたのよ? サリー・プライドは後輩とジョージの惚気話なんて聞きたくないわよ」


「先輩は何言ってるんですか? 私はアイドルですよ。恋なんてするわけないじゃないですか」


「じゃあ、何の話をするのよ」


「イヤですね。先輩とジョージ・Pの恋バナに決まってるじゃないですか」


「は!?」


 サリーの脳に電撃が疾る。


 今度はセシリアのローキックをかわせず、サリーの太ももが悲鳴を上げた。


 インパクトの瞬間、あまりの痛みに倒れ込みそうになるが、瞬時に受けたダメージを事象創造でなかった事に変えて、姿勢を戻す。あやうくサリー・プライドの負けで試合が終了しそうになった。そんな状況であるが、打撃の痛みよりもセシリアの言葉の方がサリーにとっては衝撃的である。


「先輩とジョージ・Pの恋バナですよ。聞こえました?」


「き、聞こえたけど? でもサリー・プライドは恋なんてしないわね。勘違いよ」


「でも、ジョージ・Pってサリー先輩の事が好きですよね?」


 サリーの全身は震えた。


 セシリアの掌底が動きの止まった肩を打つ。


 肩が吹き飛んだかと思うほどの衝撃を事象創造で打ち消す。


「後輩は! 馬鹿なことを言うのね! ジョージはサリー・プライドを裏切って捨てたのよ! そんな事あるわけないでしょう!」


「でも私、女神ですし。自分のファン第一号の事は全部わかってますよ? ジョージ・Pの心はサリー先輩にあるって。推しは私ですが、愛しているのは先輩ですよ? 多分ずっと前からそうです」


 サリーは混乱した。


 セシリアのレバーブローが的確に肝臓を貫く。


 肝臓が破裂しかけた事象をなかった事にする。なかった事にしたとはいえ痛みは記憶に残る。痛みと共に残る言葉。


「……ジョージがサリーを好き」


「はい。サリー先輩の移籍時に一緒に行くのを断った理由ってなんて聞いてます?」


「アイドルの救済をしたいって……」


「嘘です」


「嘘」


「ええ、本当の所は、担当したアイドルを愛してしまったからって理由ですよ」


 愛しているの言葉に胸をつらぬかれる。


 奇遇にもセシリアの貫手がガードした左腕を貫く。


 貫かれた事象をなかった事にする。今は腕の痛みどころではない。それよりも攻撃されていない胸が痛い。


「なんで……後輩にそんな事がわかる、のよ」


「女神になったら自分のファンの事が何でもわかるようになりました!」


 セシリアのしなるローキックがさっきと同じ箇所を打ちつける。


「う、そ……よ」


 サリー・プライドが膝をついた。

 セシリアの言葉に驚き、事象創造を使う事すら忘れている。


「嘘じゃありませんよ。信じられないのなら自分で確かめてみたらどうでしょう?」


 セシリアの正拳突きがサリーの胸を打つ。


「どうやってよ!」


 膝をついたサリーは後ろにもんどり打つ。


「告白すればいいんですよ」


 仰向けに倒れたサリーにマウントポジションをとるセシリア。


「できないわ。サリー・プライドは告白なんてしない。それは映像の中のお芝居だけの絵空事」


 完全に動けなくなるサリー。


「サリー・プライドは知りませんが、サリー先輩はできると思いますよ」


 そこにデコピン。


「それは商品の価値を損ねるわ」


 おでこが赤くなる。


「大丈夫ですよ。サリー・プライドはそんな事で価値が下がるようなブランドじゃありません」


 デコピン。


「後輩は知らないのよ。アイドル業界よりもさらに闇の深い世界がある事を」


 おでこにたんこぶができる。


「んー、先輩はサリー先輩の話となると途端に弱腰ですね」


 デコピン。


「仕方ないわ。サリー・プライドでない私に価値はないのだから」


 目尻から涙がこぼれる。


「少なくともジョージ・Pが愛しているのはサリー・プライドではなく、そのままのサリー先輩ですよ。だからそこに価値はあります」


 こぼれた涙を拭う。


「ジョージが私を……でも……」


 拭いきれない涙。


「ああ、私少しめんどくさくなってきました。こうしましょう。私が勝利した時に言う事聞いてもらう券で要求します! サリー先輩はジョージ・Pに告白してください!」


 拭うことは諦める。


「は? サリー・プライドが負けるわけないでしょう? 無傷なのよ?」


 口角から泡がとぶ。


 すでに肉体言語ではなく口が動いている。


「先輩、さっきから動揺して、私の攻撃受けまくった挙句、ダメージ回復追いつかず、地面に倒れてるのに気づいてないんですか?」


 それに合わせてセシリアも口を開く。


「何言ってるの? そんなことが……あら? ……本当、手足が動かないわ」


 やっと現実に目が向いたサリー。


 同時に自分が完全にマウントを取られている事にやっと気づく。


「さっきまでの会話もずっと私のデコピンで成り立ってましたし」


「つまり、これはどういう状況かしら?」


「シンプルに私の勝利ですね」


「そう」


「はい」




「負けたのね」




 一言。


 つぶやいたサリーが見たのは微笑む女神越しにどこまでも抜けていく空だった。




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