第39話 神と人小手調べ

 セシリアが神界もどきにこもっている間の現世。


 対戦相手のサリー・プライドは、セシリアの感覚をすべて奪った後、ムサシ戦と同様に場外に落とし、己が勝利を確定させるためにセシリアに手をかけようとした瞬間に本能の警告を受け、その手を離していた。

 そしてそれは間違いなく正解であった。

 セシリアの体から白い光の糸が無限と思われるほどあふれ出し、それは瞬く間にセシリアの全身を包み込み、楕円形の繭を作り出した。

 手を離していなければおそらくサリー・プライドも取り込まれていたであろう。


 そしてそのまま距離をとって様子を見ていたが、白い繭は動く気配がなく。


 サリー・プライドは審判団に判断をゆだね、試合はいったん停止となった。


 そんな状況となった試合の間を繋ぐのはお馴染みの実況解説コンビである。


「セシリア選手が白い繭に包まれてから五分が経過しようとしておりますう!」


「これは異常事態ですね。セシリア選手のスキルの暴走でしょうか?」


 観客からもそう見えているだろう。

 セシリアが意図せず、女神が独断で発動したこの状況はスキルの暴走といっても間違いではない。


「こういった場合はルール的にどうなりますかあ? 解説おじさんお願いしますう!」


 しかし実況、解説にそこを断言する要素はなく、マイカ・エムシーは今後の流れを確認するべく、解説おじさんに説明を促した。


「そうですね。今回は異例であり、とても難しい判断にはなりますが、選手の戦闘継続が不明な状態になった場合は、その状態に至ってから十分経過後、審判団の判断にて相手選手の勝利となるかと思われます」


 ほぼ丸暗記しているルールブック。

 それでも念のために該当する部分を開きながら、解説おじさんは見解をお茶の間に届ける。


「わたしからも補足させていただきますねえ。このルールは一旦何らかの理由で試合停止状態に陥った場合に相手選手がその時間内に戻らなければならないというルールを実況と解説が解釈したものであり、審判団の判断によっては即戦闘不能と判断される可能性もありますう」


 語尾がおかしく伸びるマイカ・エムシー。しかしその進行能力は圧巻である。きちんと解説おじさんのフォローにまわっている。こういったトラブル時の対応能力を買われ、この場に立ち続ける。

 やはり彼女もプロである。


「そうなんですよね。さすが、マイカさん。大会に精通されています」


「ここで年数を持ち出さなかった解説おじさんにも成長を感じます」


 実況と解説が膠着した試合状況を放送事故にしないためにMCで繋いでいると、審判団の方にも動きがあった。


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 決勝戦の審判は準決勝までとは異なり、主審一人、副審二人という構成からなっている。そして今その三人は会場中央で白い繭を目の前に雁首揃えていた。

 おおむね方針としては解説おじさんとマイカ・エムシーが語った通りではある。


 が、それ以上に彼らには優先すべきことがあった。


「審判長、どうします?」


 副審の一人。

 ちょっとあほ面の青年が審判長の袖を軽く引っ張り、サリー・プライドへと視線を送る。


「どうするってなあ? サリー・プライドがいるんだよ? まともに仕事できる? 無理だろう?」


 そう彼らはサリー・プライドに夢中になり、どうやってこの場に居続ける事ができるかに腐心していた。

 まあ──馬鹿である。


「いや、それはそうですけど。それはまあ、うん。綺麗っすよねえ。どうしたらいいっすかね?」


 あほ面の副審はサリーに首ったけである。


「ほんとにさー。ちょっとでも近くにいたいし、こうなったら判定時間伸ばす? どう? タイムキーパー、ちょっとタイマーとめない?」


 タイムキーパーを兼ねている眼鏡をかけたこの中では比較的真面目そうな男に水をむける。


「順当に行けば試合停止の制限時間経過後にサリー・プライドの勝利で終わりっすからね。あと五分もないっすよー」


 あほ面もそれにのっかる事にしたようでサリーから眼鏡へと視軸をずらした。


「いやー気持ちはわかりますが、さすがにそれはまずくないですか? 後でドンに怒られますよ?」


 くいっと眼鏡のフレーム位置を直す。

 それでも気持ちはわかるらしい。


「ドンに怒られるのは嫌だな。サリー・プライドに怒られるならご褒美だけど……」


 言いながら視線はサリー・プライドへと泳ぐ。鼻の下ものびている。


「あーいいっすね。こないだサリー・プライドに似た嬢が叱ってくれる店に行ったんすけど、出てきたのがサラミ・プライドとか言ってて、お前、サラミどころか、凧糸で縛られたチャーシューじゃねえか! みたいなのが出てきてえらい目にあったんすよねえ」


「おま、バッカじゃね? サリー・プライドに似た嬢なんているわけないだろうが」


「自分は案外、そのサラミが好きかもしれません……」


「マジかよ、おまえすっげえな!」


 そんな具合に試合の判断から話題が逸れ、バカ審判団が三人で笑い合っている横で、全部聞こえているサリー・プライドは我関せずといった様子で、何かを待ちわびるかのように、静かにセシリアが包まれた白い繭を見つめていた。


 そしてその静かな視線を自分たちに向けられた侮蔑と感じとった審判長は快楽と恐怖がまざった感情に身を奮わせて職務を全うするべく身を正した。


「ま、結論としては制限時間の残り時間分、この白い塊が白い塊のままでいてくれるのを待つ。その間、間近でサリー・プライドを堪能するってのが、審判団団長としての結論である!」


「最後だけ締めても締まんないっすよ」


「了解です。制限時間、残り四分です」


「まー制限時間までしっかり頑張ってくれよ。白球くん」


 審判長がセシリアを包む神界もどきの外殻を軽く小突く。


 コンコン。


 硬質な音が返る。


 パカ。


 何かが割れた音も返ってくる。


「え?」「は?」「残り時間、三分半です」


 審判長のノックと馬鹿審判団の間抜けな声を添えて。

 神界もどきの外殻が割れ、光が溢れ出す。


 その光は誰も見た事のない光。アリーナ全体を染めるシロ。

 神を生み出す光である。


 それは暖かく。それは柔らかく。まるで穏やかな春の陽。

 直視しても目が眩む事のない。

 慈愛がそのまま光となったかのようなソレ。


 会場中の誰しもがその光にずっと包まれていたいと感じる。


 いや、会場だけではない。カメラを通した画面の先にいる人間にもそれは伝播していた。クルーズタウンだけではない。世界中が目撃し、その光に包まれているのだった。


 それはすべてを許されているような時間。しかしそれはずっとは続かない。

 いつしかその光は一点に収束する。


 神を形作るようにヒトガタへと変わる。


 セシリアの形へ。


 新しい神の形へ。


 全世界が目撃する神の誕生である。


 誕生したセシリアは立っているだけだった。ヴィーナスのように貝殻の中にいるワケでもなく、天孫のように雲に乗ってくるわけでもない。


 光から生まれ。

 立っている。

 ただそれだけ。


 でも神だとわかる。


 見ただけで何がわかると見た事のない人間は言う。


 でも見ればわかる。と見た人間は言う。


 それだけの説得力が、それだけの存在力がある。


 いつからだろう。誰も気づかないうちに。誰もが意識せずに。

 大声をあげていた。

 足を踏み鳴らしていた。

 手を叩いていた。

 興奮に沸いていた。


 それは人類に共通に宿るプリミティブな信仰のカタチ。


 後世の伝えでは、この時、星が揺れた。とある。それは言い過ぎかとは思うが、それほどの歓声と感動の嵐である。少なくともクルーズ・アリーナは揺れていた。滂沱の涙を流す観客もいれば、手を組み合わせ祈りだす観客もいる。会場にいる全ての人間が思い思いの方法で祈りを捧げていた。


 ただ一人。


 例外を除いて。


 サリー・プライド。


 彼女はすべてを承知していると言った顔で神を指さす。


 サリー・プライドは神を待っていたのだった。

 女神の帰還。


 それを指し示すヒト。


 さながら神話である。


 この美しい光景はモチーフとなり、後世には絵画になって美術館に飾られる事になるだろう。


「後輩、随分と派手なご帰還ね」


「先輩、ただいま帰りました。お待たせしましたか?」


 お互い微笑みあっている。


「いいえ。待ってないわ。それにしてもとんでもない隠し球を持ってたのね」


 繭の事。女神の力の事。色々であろう。


「女神がくれたんですよ」


「やっぱり後輩も女神と繋がりがあったのね?」


 自分も女神と繋がりがある事を示唆する。


「そうですね。私のファン、第二号です。いや、正確にはゼロ号なのかな?」


「なによ、それ。女神をファンに抱えてたの?」


 流石のサリー・プライドでもそれは驚く。

 しかしもちろん表情は変わらない。サリーの表情を変えるのはジョージ・Pだけなのだ。


「ええ」


「そして、今や後輩が女神になった、と?」


「……女神の加護を持ってる先輩に勝つにはこうなるしかないかなって」


「発想が飛びすぎね。勝負に勝ちたいから、そうだ女神になろうって。なれるもんじゃないわよ?」


「いや、その辺りは色々と事情がありまして」


 ——本当に色々あったんです。

 と少々ゲンナリとしたセシリアが継いで言葉をこぼす。


「まあ、いいわ。そんな事情はサリー・プライドが蹴散らすもの」


 サリーはそんなセシリアの事情になど興味がないとばかりにフンッと鼻を鳴らす。


「そう来るだろうと女神も言ってました。ちなみに先輩の事象創造は私にはもう効きませんよ」


「そうでしょうね? でもサリー・プライドがスキルだけでここまでの価値を創造してきたと思って?」


「いいえ。女神は私が神になっても互角くらいだろうって言ってました」


「女神もわかってるじゃないの。それを素直に受け入れる物分かりがいい後輩が好きよ。さあ、これで条件は五分」


「はい」


「さぁ、仕合ましょう」


 微笑みが交差した直後。


 カミとヒトの拳が中央で激突した。


 ヒカリがはじける。それはまるで超新星爆発を目の前で見ているかのようなヒカリ。


 慈愛のヒカリ。

 象徴のヒカリ。


 観客はいまその二つがぶつかりから生まれるヒカリを目撃している。慈愛も象徴もどちらも神には必要な要素である。はじけたヒカリと同期して二人の肉体も中央から吹き飛ぶ。五メートルほどの距離をとって二人は軽やかに着地した。


「楽しいですね。先輩」


「ええ、そうね後輩。私たちは光り輝いているわね。でもこんなものじゃないでしょう?」


「はい! これで私の成長を見てください!」


 そう言ってセシリアが左拳からモリー・バレットを撃つ。拳を包むファン・ファンネルからメスの獅子が放たれ宙を駆ける。


 神になる前のセシリアが放つのは獅子の顔だけであったが今は違う。獅子そのものが放たれる。獅子の表情はとても穏やかでまるで相手にじゃれつこうとしている猫のように見えるが、それはとんでもない勘違いで、実態は神のエネルギーの塊であり、一般の人間が受ければチリも残らない高圧縮エネルギーである。


 それをセシリアは連発する。ジャブ一発ごとに数を増す雌獅子の群れが次々とサリーに襲いかかる。


 それを見てさすがのサリー・プライドも少し眉を寄せるが、すぐに神から授かった事象創造で自分の身体の価値を神と同等の価値へと作り上げ、向かいくる雌獅子の群れを一体ずつかき消していく。

 だが全てをかき消すことはできず、ここに来て初めてダメージを負うコトになった。


 かすり傷ではあるが、サリー・プライドが自らをサリー・プライドと定め、自らをサリー・プライドと自称するようになってから傷を負うのは初めての事であった。


「確かに成長ね、後輩。サリー・プライドに傷をつける事ができるようになるなんて」


「ふふ。先輩、傷だけじゃありません。私は敗北を与えられえる位に成長しているんですよ」


「それは流石に生意気よッ! ほら、足元がおろそかになっているわ!」


 サリーが指差した先。


 セシリアの足元が泥沼のように変化した。セシリアはそれに足をとられて体勢を崩す。


 女神と化したセシリア本人に対しては事象創造は無効だが、それを取り巻く世界自体には有効である。そこを上手くサリー・プライドは利用したのであった。


「そこ!」


 崩れた体勢によって顔がサリーの打撃ポイント丁度の位置まで下がった事を見てとったサリーは、一気に距離を詰めると、神聖を創造した拳を下からアッパー気味にしてセシリアに殴りかかる。


 超高速の拳がセシリアに襲い掛かる。


「かっ!」


 無防備になった正面部分のファン・ファンネルの層は薄く、神聖を帯びた拳はそれを容易く破り砕いて、拳は眼前に迫る。それをなんとか左腕でガードして直撃を避ける。

 左腕のファン・ファンネルは攻撃用に厚く展開されているため砕かれる事はなかったが、しかしその威力は強く、ガードした左腕ごと後ろに体を薙ぎ倒す勢いで振り抜かれる。

 受けた瞬間にそれを感じたセシリアは上体をねじり、拳をうまく逸らす事で後ろ倒しにされる事はなんとか避けたが、それでも地面スレスレまで体勢を崩された状態である。


 そしてのけ反った腹部に容赦なくサリーの横蹴りがキマる。すでに膝近くまで泥沼に埋まっている状態であり、腹部への衝撃エネルギーは慣性に吸収されず、ダイレクトに腹部へと吸い込まれる。


 反った上体が苦痛でくの字に折れた。


 そこをチャンスと見定めたサリーが追撃を打ち込むために横蹴りに使った左足で地面を踏みしめる。


 しかし踏みしめた先にはどっぷりとした沼。


 勢いよく降ろされた足は地面にふかぁく沈み込む。


 そこに投げかけられる声。


「先輩、足元がおろそかになってますよ」


 ハッとしてセシリアに視線を向けると、腹部の無傷をアピールしながら悪戯っぽく微笑む女神セシリアがいる。よく見れば腹部にはファン・ファンネル。横蹴りはそれでしっかりガードしており、それを利用してサリーの油断を誘ったのであった。

 人をハメて喜ぶなど今までのセシリアには考えられない。女神の性格が影響を及ぼしているのであろう。


「サリー・プライドの真似をするのは後輩の性なのかしらねッ!?」


 沈み込んだ片足を勢いよく引き抜くと地面となっている部分でドンっと足を踏み鳴らした。


「いえいえ、先輩の偉大な道を踏んで越えていくのが後輩ですよ。豊穣の地!」


 女神になって生まれた新たなスキル群から一つ選び使用した。


 一瞬で。


 サリー・プライドの展開した泥沼が美しく緑の生い茂る地面へと変化した。大地母神たる女神の得意とする能力である。

 先ほどまで膝近くまで沈んでいた足もいつの間にか地面の上に戻っているのであった。


 これでお互いに地面の上に立っている状態である。


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