第38話 世界は反転し、人も反転する

 他人の四肢を封じたとは思えない程に純真な表情で女が迫ってくる。

 それはバトルの最中でなければ見惚れてしまいそうな完璧な女性。


 サリー・プライド。


 美の体現であろう。

 しかし今はセシリアを狩る死神である。

 その美しさに比例して恐怖が倍増する。無意識に動かなくなっているはずの四肢が震えるのがわかる。


 怖い。

 対策を怠らなければよかった。

 なぜやらなかった。


 後悔が心に押し寄せる。


 つまりは強制的に反省させられたのである。


 そしてサリー・プライドはそのセシリアの反省を敏感に嗅ぎ取った。


「あら、後輩はちゃんと反省したみたいね」


 コロコロと笑う。


「いえ、後輩はまだもう少しサリー先輩の講義が聞きたいです」


 反省はしたが、そうと言えばトドメを刺されてしまう。

 なんとかせねばと考えた結果がこの言葉であった。セシリアは我ながらしょうもない時間稼ぎだと思う。


「いいえ。講義はここまで。サリー・プライドの時間は安くないのよ。サービスの時間はもうおしまい。今日の反省を次に活かしなさい。そうしたら後輩は素敵なアイドルになれるわ」


 サリーはセシリアの稚拙な時間稼ぎに気づいている。

 この言葉だっていわば講義であろう。


「いやー、ここで終わってしまったら早すぎません? サリー先輩のファンが楽しめませんよ。ほら、これを一回解いてみると言うのはどうでしょう?」


 なりふり構わなくなってきた。

 セシリア自身、自分がこんなにも見苦しく抗えるとは思っていなかった。


「ダメよ。ここで後輩の全てを止める。大丈夫。死にはしないわ。死んでしまったらサリー・プライドが負けてしまうから。しばらくの間、意志がある状態で全ての感覚を奪ってあげる。それでサリー・プライドの勝利になるわ。それで観客は満足よ。ねえ? そうでしょう?」


 そう言って、サディスティックに微笑うサリー・プライド。


 普段は見せない嗜虐的な部分が前面に押し出されている。ファンとしてこんなサリー・プライドはありなのだろうか? とセシリアが思うが。サリー・プライドからの問いかけに会場は大興奮でサリーコールが巻き起こっている。


 どうやら大満足らしい。


「いや……」


 言葉にならない。


 セシリアの中で感情だけが溢れる。いろいろな感情が混ざる。心を掻き乱す。

 心臓だけがバクバクと自己主張をしている。


 でも。


 それは言葉にならない。


 けど。


 いまじゃない。


 負けるのは。いまじゃない。反省はした。でも後悔はしたくない。


 負けたくない。


 負けたくない。


 負けたくない。


 そう魂が叫ぶ。


 目の前にはサリーが迫る。

 ぷっくりとした口が花開く。


「さ、真っ暗な世界をしばし堪能なさい」


 それは死刑宣告だった。

 セシリアの魂の叫びなどお構いなしに死神サリーはセシリアの命を奪う鎌を大ぶりに構えてそれを振り下ろす。


 いやだ! 負けたくない!

 絶対に! 負けたくない!


 最後までこの目を閉じるものかと見開いた視界。


 それがじわじわと端から黒に侵食されていく。


 恐怖。


 それと戦いながら負けるもんかと。

 今度こそは目を逸らすものかと。

 目を閉じる事だけは拒否する。


 それでもじわじわと視界は奪われ続ける。


 最後に顔の前に構えた左手越しにチラリと見えたのは女神にも引けを取らない美しさで悪魔のような表情を浮かべる死神サリーであった。


 それを最後にセシリアの世界は完全に暗転した。


「ああ」


 と半ば諦めの嘆息が漏れた瞬間。


 世界が反転する。


 真っ暗だった世界は、一気に白に染まる。


 真っ白な世界。


 どこか見覚えのある。


 というか。見知った世界。


「神界?」


 サリー・プライドの能力で全てを奪われ真っ暗になるはずが、目を見開いていたらそこは神界でした。


「正解!」


 おなじみの声がする。

 しかし声しかしない。


「女神?」


「正解!」


 そうらしい。

 なぜかやっぱり姿は見えない。


「どこにいるの?」


「どこにでもいるわ」


 たまに神ぶってこういう事を言い出すモードの時がある女神。

 違う。今じゃない。とセシリアは思う。


「あ、今は忙しいからそういうのいらないのよ?」


 思うだけでなく、口にもだす。


「えー、まあそうか。なんて言うかね。わかりやすく言うと、この神界もどきがワタシ自身ね。セシリアを守る為にワタシ自身で包んでいるのよ。神界にいるから奪われた感覚も戻ってるって感じ」


「もしかして、緊急避難的な? もしかして私まだ負けてない!?」


 首の皮一枚つながった事に喜ぶセシリア。


「んー。今は負けてないわね。でもこれを解いたら負けるわ。 神界じゃなくなったらまた動けなくなるから」


「結局負けかー」


 所詮首の皮は首の皮。そこまで切れてりゃ致命傷である。


「んーどうかしらね。とりあえず今は真っ白な繭に包まれたセシリアに会場中が騒然としてるわね。あんまりあからさまなのはやりたくなかったんだけど。でもあの一瞬で神界に転移させられないからね。セシリアの中に置いてあった半身で包んでるってワケなのよ」


 珍しく細かい女神の説明に自分が置かれている状況を把握したセシリア。


 同時に「半身」という言葉に、正体不明だった自分のスキルを思い出す。


「あー! あの女神の半身っていうスキル!?」


「そう、それよ」


「あれかー。訳わかんなかったけどもらっといて良かった? のかな? でも結局首の皮一枚の致命傷だからなー」


「ほんっと。圧倒的にボコられたわねえ」


「うん」


 素直に頷くセシリア。何もできなかったのは本人が一番よくわかっていた。


「まあ予想通りよねー」


「本当にー? もっとやれると思ってたんだけど……」


 なぜかやれると思ってた。

 自信のないセシリアにしてはとても珍しい根拠のない自信。


「やれるわけないじゃない。サリー・プライドは女神ワタシの加護持ちよ」


「は?」


 は? という感情の代表のような顔である。


「むかしあの娘にワタシの権能の一部をあげたのよ。元々は天地創造ってスキルでこのクルーズタウンを何もない荒野に作りだす時に使ったヤツだったんだけど、街をつくった今はいらないからその一部をほんの少し貸してあげたの。そしたらサリーの「アイドルウェポン:ブランディング」ってのが0から1の価値を創りだす能力でさ。すっごく相性が良かったらしく、事象創造っていうスキルに変化しちゃってさ! びっくりよね? 自分には攻撃が届かないって事象を創造したり、相手の手が動かなくなるって事象を創造したり、もうやりたい放題スキルになってるわー」


 そのやりたい放題。

 全部。

 ぜーんぶ、セシリアがやられた事である。


「ってことは?」


 そう。

 大体いつも。


「ワタシのせいってことねー」


「もう! 女神! もう!」


 何もない空間だというのに女神に憤り、空をぽかぽかと叩く。


「でもわけわかんない意地はってそれらを聞かなかったのはセシリアの問題よ? ワタシは何度も聞かなくていいか確認したわよ?」


 ここでも正論の刃が飛んでくる。


「ぐう」


 くっころ。


「なに? ムサシの真似って流行ってんの?」


「流行ってないけど。何だか自分の未熟さを痛感させられっぱなしで……」


 流行りに疎いセシリアは知らないが、実は流行っている。

 今日のムサシの活躍でより一層流行るだろう。

 とは言え、未熟さを痛感しているセシリアには関係のない話ではある。


「そりゃそうよう」


「自分を肯定できるようになって、それに酔ってたのかな?」


 あの根拠のない自信は、今まで自信のなかった自分に芽生えたソレに酔ってしまっていたとセシリアは分析した。実際そうなのであろう。自信とは自分に酔う事でもある。自分を酔わせる事でもある。


「まーそこは仕方ないわよね。セシリアの場合は何ていうか差が激しすぎたからね」


 言うなれば酒を飲んだ事のない人間が、直腸にスピリタスを注ぎ込まれた状況である。

 それは酔う。

 むしろこれ位の失敗で済むのが奇跡だろう。

 普通なら多分死んでる。


「負けかー。あーーー悔しいいい!」


 言葉とは違って、少しすっきりしたように背伸びするセシリア。


「いやセシリア。さっきも言ったけど、負けてないわよ? この神界もどきで包んでるからまだ負けてないのよ?」


 それはそうではあろうが。

 でも。

 とセシリアの頬は膨らむ。


「感覚から何から何まで全部を奪われてるんじゃどうしようもないじゃない。事象創造とやらで私の全部が動かない事にされてるんでしょ? 女神の与えた加護によってー、私の感覚は全部奪われているのよー」


 女神にだけはぶすくれて嫌味をいう事もあるセシリアである。

 甘えん坊セシリアがみれるのは女神だけ!

 そんな女神は声だけでわかるほどモジモジと言いにくそうにしている。


「……そこなんだけどさ」


「うん?」


「女神の加護、いる? 加護があればサリーの能力無効化できるけど」


「……」


 女神の衝撃の言葉を受けたセシリア。無言、無表情、となった。

 敗北を受け入れた直後の逆転の目。

 無になった状態から感情を察っする事はできない。


「……っと……いらない?」


 反応のないセシリアに不安になり言葉を継ぐ女神。

 いらない。の言葉にセシリアはハッと意識を取り戻す。


「……正直に言っていい?」


 冷静に。


「どんぞ」


 沈着に。


「ほしい! むしろなんで今までくれなかったの!? もー! 女神ぃ私のファンなんでしょう!?」


 荒ぶった。

 ずっと無言だったのは今まで加護をくれなかった女神への怒りで意識が飛んでいたからであった。

 もう! もう! と牛みたいに飛び跳ねながら女神そのものといわれた言葉を信じて何もない空間にパンチをしている。その手にはファン・ファンネルで牛の顔ができていた。

 人形芝居である。


「ちょと待って待って! 事情あるから! 事情が!」


 神界には必死でセシリアを宥める女神の声が響いた。

 モーモーパンチの矛をおさめ、ファン・ファンネルを解除したセシリアは未だ興奮冷めやらぬ状態でふうふうと肩で息をしているが、女神の話を聞こうと思うくらいには落ち着いたらしく、やっと口を開いた。


「……で? 事情って?」


 まだ怒っているからか、問いかける言葉は若干冷たい。


「前にセシリアの魂をこの世界に連れて来たのはワタシだってのは言ったわよね?」


「うん」


 魂の叫びに思わず異世界転生させた話である。女神は魂の叫びが好きなのである。

 きっとサリーに加護を授けた時にも魂が叫んでいたのであろう。

 その辺は一貫している女神である。


「それってすっごい難しい事でさ」


「そんな事言ってた気がする。どれくらい難しかったの?」


 ちょっと落ち着いてきたのか、普段のセシリアに戻っている。


「依代としてワタシの半身を使って何とか実現するくらいの難易度ね」


「は?」


 いま何て?

 セシリアの耳には自分の半身を使用したと聞こえた。

 そんなアホな事をする女神がいるわけない。と思ったが目の前の女神はやりそうである。


「ま、そんな感じで、女神の半身に地球から引っ張ってきた魂を入れる事でセシリア・ローズをこの世界に転生させたのよ」


「う、うん」


 聞き間違いではなかった事に若干引き気味のセシリア。

 そんな事はお構いなしに女神の話は続く。


「そこで弊害があって」


「それはそうね。身を半分削って無事とはいかないでしょう」


「そうなのよ。ワタシすっごい疲れちゃって、すっかりセシリアの事忘れちゃってたの」


「おん?」


 聞き捨てならない言葉。

 もしかして親に売られて、元事務所に入って、おかしなアイドルにされて、虐待みたいなイジメを受けて、冬の寒空に捨てられたのは、女神が全部忘れていたせい。ではなかろうか?

 セシリアの脳裏にツラかった記憶がフラッシュバックする。


「あの日、あの部屋。ワタシそっくりなアナタを見た。刹那に記憶蘇る。って感じ?」


「ほう?」


 そんな何処かから引っ張ってきて貼り合わせた歌詞みたいに言われても何も感動しない。

 むしろセシリアのイラっとを助長するのみだ。


「そこからはもうセシリアの虜よねーまいったまいった」


「まいったまいった。で済むとでも?」


 冷え冷えとしたセシリアの言葉。


「スミマセン」


 誤魔化せないと悟った女神は即座に謝る。

 実体があれば土下座して、セシリアの顔を伺うふりしてパンツを覗いているであろう。

 自分の半身のパンツを覗いて何が楽しいだろうかと思うが、セシリアのファンになっているのは事実であり、抗えない感情に女神も押し流されている被害者である。


「もう! ここに女神の実体があったらほっぺたむにむにしてるわよ!」


「それはご褒美?」


 ご褒美であろう。

 謝られた段階でセシリアは女神を許しているのである。

 セシリアの慈愛はどちらが女神かわからないほどに深い。


「って事は何? 女神と私が同じ姿な理由って。女神が私に化けてるわけじゃなくて、私と女神は元から同じ姿をしてるからって事!?」


「そうそう。ワタシの半身だから同じ姿なのよ。ちなみにセシリアに嘘がつけないのもファンだからっていうより自分自身だからよ。自分に嘘わつけないワってね?」


「おん?」


「ごめなさいちょうしのりま」


 すぐ調子に乗る女神にセシリアが釘を刺す。


「ふー。まあここまではいいわ。なんだかんだでこの世界にこれた事は感謝しているし。忘れられていた間の苦労もきっと私の糧になってる。それで? 今まで私に加護をくれなかった理由を教えてくれる?」


 やっと本題に戻り、女神の声が真剣な表情を取り戻す。


「ああ、ああ。それね。セシリアの場合、女神の加護を与えるっていうのができないのよね。なにせ私とセシリアは同じだから。女神の権能の塊が今のワタシ。受肉した肉体はセシリア。って感じで別れているの。ここまではOK?」


「うん。話の腰を折って悪いんだけど、自分に自信がついた今でも私の中で半分足りない感があるのは私と女神が半分こになっているからなの?」


「多分、そうね」


「そう……」


 セシリアは自分の手を静かに見つめた。


 ずっと自分は何かが欠けている気がしていた。どれだけ他人に褒められても、どれだけ自分に自信がついても、それでもどうしても自分は他人と比べて何かが欠けているという意識が消えなかった。

 その理由がいまはっきりとわかった。実際セシリアは半分の存在だったのだ。


「で、こっからが理由になるんだけど、権能を含めた加護をセシリアに授けるって事は、イコール。ワタシとセシリアが再び一体になる事なのよ」


「一体、って事は私は消えるの?」


 そうなったら寂しいが仕方ないか。

 借り物の体を返すだけと言ってしまえば味気ないが。そういう事であろう。

 しかし女神の言葉はその逆であった。


「違うわね。むしろワタシが消えるカタチになるのかな?」


「それはいやよ」


 断固とした声。

 それは自分が消える事よりも拒否感が強い言葉。表情。全てが拒否している。


「え」


「私は女神が好きなの! 今この話を聞いて何で私が女神にだけこんなに甘えられるのか、何でこんなに安らげるのか、納得がいったわ。私は女神を失いたくない!」


「セシリア」


 女神の声が感動で震える。


「だから消えるのはダメ! それ以外に何とかして!」


「セシリアはほんとワタシにだけはわがままね。でも大丈夫よ、安心しなさい。消えるっていっても完全にいなくなるわけじゃないから」


「ほんとう?」


 うるるとした瞳、それを羽ばたかせんばかりに長く豊穣なまつ毛。

 少し尖って自己主張する柔らかく艶めく唇。

 肌はきめ細かく顔全体から光を放たんばかりだ。


「う、かわいいわね。本当よ、ワタシは精神体になってセシリアの体に同居させてもらうわ。だからむしろずっと一緒になるわね。ぐふふ」


 その表情に女神はメロメロとなり、口の端から涎をこぼす。

 同じ顔なのに精神体の違いでここまで魅力に差が出るのはもはや神秘的とも言える。


「……え。それはちょっといや」


「ちょっと! なんでよう! さっきの感動を返しなさいよ!」


「冗談よ。女神と一緒にいられるのは嬉しいわ」


「! ……ドゥフ」


「きっも」


「だから辛辣なのよう! もういいわ! さっさと一つになりましょう! 覚悟はいい?」


 いつもの掛け合い。

 これもきっと女神が融合への緊張や不安を取り除こうとあえてやってくれているのであろうと。セシリアは好意的に考えている。実際は気遣い一割、素で気持ち悪いのが九割であるのは言わぬが花であろう。


「うん」


 勘違いしたままのセシリアは感謝と女神への愛情で小さく頷く。


「この世界がセシリアの中に吸い込まれたら、貴女は女神になるわ。そうしたらもうサリーの能力はセシリアには効かなくなる。それでも互角な位にサリー・プライドは強いわ! 頑張りなさい!」


「うん。ありがとう女神。またね」


「またね」


 仮初めの別れの言葉。


 それを契機に。


 白い世界が端から光の粒子へと変化する。


 それらがすうとセシリアの胸の辺りに吸い込まれていく。


 まるで母の元へ返る子のように。


 それをセシリアは抱き締めるように受け止める。


 その姿は聖母であり。


 吸い込まれる光が増えるごとにその神性が増していく。


 それはまさに人から女神へと変生していくかのようだった。


 セシリアはいま女神に至る。

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