第36話 光と闇の結末は

 会場中が静まりかえっていた。


 セシリアがはなった拳を防御もなく受け、天に仰いて倒れているルージュ・エメリーにレフェリーが駆け寄る。

 そのまま丁寧に意識を確認しようと顔を覗き込むが、そこに見えたのはまるで安らかに睡るような顔。それを見てすぐにルージュの戦闘不能を告げた。同時にそれはセシリアの勝利宣言であった。


「いまッ! レフェリーがセシリア選手の勝利を告げましたあ!」


 実況席では今までの無音を無理やり破るようにマイカ・エムシーが大声ではりあげる。


「緊迫した試合でしたが、アイドルバトルの歴史に残るベストバウトでありました!」


 解説おじさんが静かにしかし興奮を隠しきれない様子で同意する。声が僅かに震え掠れている。解説のプロである解説おじさんにしてはとても珍しい。


「そうですねえ。何度か命の危険を感じましたが、セシリア選手のおかげで事なきを得ましたあ」


「あのファン・ファンネルはすごかったですね。ルージュ選手の一点死突を千本も受け続け、それを押しとどめてしまう防御力たるや筆舌に尽くしがたいスキルです」


「ほんとですねえ。その力だけでなく美しさもまた素晴らしく感じましたあ」


「それは心底同意です。命の危険がある状態だというのに見とれてしまいましたから。解説の本分をあの瞬間は完全に忘れていました」


 会場中だけではなく画面の先の視聴者までもが見とれるほどの美しさ。

 あの場面では解説も実況もむしろ不要であっただろう。


「試合中、無言になってしまったのはわたしもはじめてです。ご覧の皆様、大変失礼いたしました」


「失礼いたしました」


 とはいえ、数分無音状態に近かった訳であるから放送事故は放送事故である。

 マイカとおじさんは素直に頭を下げて謝罪した。


「いやあ、ですがこれで決勝戦のカードが決まりましたねえ」


 下げた頭が戻ると同時にマイカ・エムシーの表情がパッと切り替わる。


「マイカさん。声がワクワクしていますね」


 表情だけでなく、声もわかりやすい。


「それはそうですよう。片や、先ほどの試合の立役者、新星セシリア・ローズ選手。片や、圧倒的な美と力でトップをひた走るサリー・プライド選手。このカードに興奮しなかったら嘘ですよう」


 悪のアイドルから会場中を守ったヒロイン。

 クルーズタウンのアイコン。

 その二人のバトルである。

 しかも二人とも圧倒的にバトルが強い。

 マイカ・エムシーの言う事はもっともである。


「同感です。今大会、はじまるまではただサリー・プライド選手の美しさを愛でる大会になるだろうと予想していた自分ですが、今はセシリア選手推しに変わっております」


 ちょっと照れくさそうにおじさんはチラリとマイカをのぞき見る。


「普段なら節操のないおじさんだなとなじる局面ですが、こればかりはわたしも同感です。元々、アイドル内では評判の良かったセシリア選手ですが、ここにきて大きく魅力が増しています。この期待感は五年前のサリー・プライド選手を彷彿とさせますねえ」


 ーー普段なら毛の数本もむしってやる所ですが。と締めくくるマイカ。


「なじられないのはそれはそれで寂しいおじさんですが」


「キッモ」


 新たな扉を開いたおじさんに対して心底からの嫌悪感を表明する。


「定型分におさまりました所で、CMです」


 それを受けたおじさんは嬉しそうに番組の進行をマイカから奪い取る。


「マワシを取らないでください! それではCMです」


 画面は決勝戦の対戦カードを告知する番組内CMへと移り変わった。


────────────────────────────────


 観客席では命拾いした事を喜ぶ姿がそこここで散見される。


 その中の一組。

 セットにされると嫌がる二名がいるので、正確には三銃士とママとサクラ。


「キッツ! キッツイでござるよ!」


 喉を大仰に掻くフリをしながらござる氏が口角の泡を飛ばしている。


「息が止まるかと思いましたコポア!」


 実際止まっていた証拠のような青い顔で脂汗を浮かべているこぽ氏。


「ヤヴァース!」


 いつも通りに意識が宇宙に飛んでいるてん氏。

 観客席で応援中の三銃士である。


「アンタらは! うるさいね! 静かに見れないのかい!」


 それを怒るは我らのママである。

 少しふくよかながら可愛らしさの残るクリクリした目を剥いてどら猫声で三銃士を叱りつける。実際、周りの観客が三銃士に険のある目を向けている。


「ちょ! ママ殿、試合中は我々一言も喋ってないのでござる!」


「そう言われれば確かにずっと黙ってたねえ」


 会場中が息をのむような緊迫した状況で黙っていたからなんだって話ではあるが。


「でござろう? セシリア氏に見惚れるやら、ルージュ氏に恐れ慄くやら、忙しくて口を開くどころではなかったでござる!」


「本当ですこぽお」


 ござる、こぽ氏両名からの抗議にしぶしぶとママは納得する。


「いやーほんっとに死ぬかと思ったよね」


 そんな様子に呆れ顔だったサクラは命の危険が去った事に心底安堵していた。


「アイドルバトルって毎年こんなんなのかい?」


「そんなわけないこぽお!」


 こぽ氏が興奮して否定する。頬の肉や腹の肉がぷるんぷるんと揺れた。


「もっとお色気あり、笑いありののんびりほのぼのアイドルバトルでござるよう」


「異例なのは五年前のサリー・プライド優勝大会くらいでしょうかね? あの時も異様な試合はサリー・プライド戦のみでござったし、今年とは比べ物にならないくらい平和でしたが……」


「……今年はヤヴァース」


 やはり今年は異例中の異例らしい。


「アタシの記憶でもこんな殺伐とはしてなかったけど、ドルオタのアンタらがいうんだからやっぱりそうなんだねえ」


 全員で命が助かった喜びを噛み締めている。


「ですが! ついに決勝なのですよ! お姉様! ああお姉様! お姉様!」


 ママとござる氏の間に首がにょっきりと生えてきて大声でわめく。


「うわぁ! びっくりした!」


「おバカ! びっくりさせるんじゃないよ!」


 あまりの驚きににょっきりはえたポニーテールの生首を思い切り叩くママ。


「失礼したのです!」


 ご存じ、レディー・ムサシである。

 試合を終えたムサシがママとサクラを見かけて顔を出してきたのであった。


「ふぁ! レディー・ムサシ選手!」


 いきなりのムサシ登場に、初対面の三銃士は小さく固まりコソコソとしはじめる。


「アンタもう動けるのかい?」


「試合が終わった後は自由に動けたのですが、事務所が医者坊を連れてきて検査だなんだと言われて、気付けばお姉様の試合を最後くらいしか見れなかったのです! ムキー!」


「あームサシぃ、あれを全部見れなかったのはセシリアマニア失格じゃなぁい?」


 意地悪くサクラがムサシをつつく。


「しっ! かく!」


 膝から崩れ落ちるムサシ。


「これサクラ、おやめ! サリー・プライドに負けた時よりもショック受けてるじゃないか、この娘も大概バカだねえ」


「実際、負けた時よりショックなのです……」


 ポロポロと涙をこぼす。

 泣きまねではなく、ガチで泣いている。


「あんた! こんなとこで泣くんじゃないよ! どうせそこの三馬鹿が動画を撮ってるだろうからそれを見ればいいんだよ。撮ってるだろう!?」


「こここ、こぽお! トトトト、撮ってるますこぱあ」


 突如水を向けられて焦りながらも答えるこぽ氏。

 撮ってます。その返答が口から漏れた刹那。

 ムサシの生首はママとござる氏の間から消えていた。


「本当なのですか!?」


 次の瞬間にはこぽ氏の前に現れてその油っぽい手を握っていた。

 瞬間移動もかくや。戦闘時よりもはやい動作だろう。


「ほほほほほっほん、ほんほんう」


 セシリアの魅力に脳が焼かれているとは言えトップアイドルムサシ。

 そんな人間に手を握られて平常でいられるようならドルオタやっていない。すでにこぽ氏の言語中枢は焼き切れている。さらに言えば後ろからござる氏とてん氏の嫉妬のグーパンを食らっており、その脂肪豊かな背中が波打っていた。


「ぜひ! ぜひ拙者に動画を見せてほしいのですよ!」


 ほぼ意識のないこぽ氏の頭を後ろから操り首肯させているござる氏、てん氏、両名にママとサクラは呆れてドリンクを買うために席を外すのだった。


────────────────────────────────


 昏い控室。


 負けた臭い。不穏な臭い。闇の匂い。


 試合前も暗い控室だったが。


 今は昏い。


「いやー負けましたね。まさかまさか、決勝にも行けずルージュ・エメリーが負けるとは予想外ですな」


 組織の男が一見普段と変わらない様子で口を開いた。

 態度も陽気。表情も陽気。声音も陽気。なのに実際にそれを目の当たりにすると寒気がする。その声を聞くと鳥肌が立つ。それほどに全てが昏い。普段とは少し違う。


「なんとでも言いなさい。今ならいくら責めても詰っても構わないわ」


 反してルージュ・エメリーはすっきりとした声である。

 自分に迫る悲劇に気づいていないのだろうか。闇組織との契約違反を犯したのだ。裏に堕ちる。そしてそのまま姿を消す。と本人が過去言っていた事が眼前に迫っている。


「いえいえ、そんなそんな健闘を讃えたいくらいです」


 敗北後も慇懃な態度を変えない男。ルージュが言うように恫喝したり、詰ってきたりした方がよほど自然である。当初言っていた表舞台に組織が躍り出る計画が頓挫したのだ。


「だから、いつも言ってるけどね、いらないのよそんな無駄口は」


「たしかにたしかに、いつもご指摘を受けながら治すことのできないこの身がお恥ずかしい」


 いつものやりとり。

 だが、二人の関係はいつものままではない。

 もうルージュは組織のアイドルではなくただの商品だ。


「うざいけどね。でも組織に大損させたルージュにはもう何も言えないわ」


「大損?」


 男は不思議そうに首をかしげた。

 まるでルージュの敗北などなかったかのように。

 ルージュはその態度にイラつきを覚えるが、全てを吐き出したいま、それを表出させるような気力はない。


 仕方なくため息をついた。


「ええ、審判を買収するほどのコストを今回のプロジェクトにかけてきたでしょう? ルージュの知らない所でもっとかけているはずよ。そしてそのプロジェクトはルージュの敗北で頓挫したわ。当然大損でしょう?」


「ーーああ、たしかにそういう意味では今回はコストをかけてますね」


 ポンっと手を打つ。

 そのわざとらしさがまた苛立つ態度で他人を煽ってきているとしか思えない。


「でしょう?」


 今のルージュはそんな挑発に乗る気はない。

 男はその態度を見てつまらなさそうに言葉を続けた。


「ですが、決して損はしませんよ。うちは損するようなプロジェクトはそもそもやらないんですよ」


「あっそ、ならいいけど」


 薄々そんな気はしていた。

 目の前の男は保険という言葉が好きだった。

 今回もその範疇なのだろう。


「ええ。勝つか負けるかの勝負で勝つ方だけに賭けるような馬鹿な賭けをするのは破滅志願者だけですよ」


「ふーん。組織ってのはしたたかなのね。んで、今回はどうやって取り返すの?」


 組織というより目の前の男が、なのだろうが。


「嫌ですねえ。そんなわかりきった事を聞くなんてどうしたんですか?」


「いいから答えなさいよ」


 そろそろ未来を言語化しようと考える。

 ルージュは全てわかっていた。失敗した時に自分が辿るであろう道を受け入れていた。

 言うなれば男が言う「勝つか負けるかの勝負で勝つ方にしか賭けなかった破滅志願者」である。


「もちろんーールージュ・エメリーで取り返すに決まってるじゃないですか」


「ま、そうなるわよね」


 どこかに売られる。

 命がある状態で売られるか。もしくはパーツとして売られるか。使い潰した後でパーツとして売られるか。どれかだろう。


「ええ」


 普段饒舌な男がただ頷くのみだ。


「私はどうなるの?」


 問うてはいるが、その声から興味のかけらも感じられない。


「当初の目的では、好事家を顧客として今回のプロジェクトにかけたコストの倍で売る手筈でしたね。いわゆる先物取引にかけたんですが、いやー良い値がつきましたよ。おかげで今回は工作資金が潤沢でしてねえ、思わず審判の買収までやってしまいましたよ」


「無駄だったけどね」


 自分の戦闘訓練にかけたコスト。審判を買収したコスト。暗殺した他者の後始末コスト。もっと色々とかかっていただろうそれらは全て無駄になった。

 トワイライト時代に稼いだ金なんて足元に及ばない額なのはわかっている。


「いえいえ、無駄なんて。そんなそんな。予算は使い切らないと減らされますので使ったもの勝ちなんですよ」


 男はそれをさも端金だと言わんばかりに言ってのける。


「じゃあ私はそこに売られればいいのね?」


「それがですね、今回の戦闘能力を見て、横からさらに高値をつける方が続出しまして」


 先物で売れていたはずの商品に横槍を入れられるという事実はイコール金だけではなく、それを超える権力を持った人間である事の証左である。


「あっそ」


「興味なさそうですね」


 男が少し意外な顔をした。

 それも当然である。男の知っているルージュ・エメリーは金が好きです。でも権力はもーっと好きです。というタイプの人間だ。権力者に取り入れば今回の失敗だって取り戻してその上を狙える可能性もある。


「そうね」


「条件の良い買い手もいますよ?」


 試すような言葉。


「そういうのいらないわ」


「それはまた……」


 意地を張ったり、嘘をついている言葉ではない。

 腹の底から出てきている言葉。


「……条件か。ねえ、ちょっと待って。逆に私が買い手に条件をつけられたりする?」


「そうですねえ。現時点で相場が組織がかけたコストの十倍くらいになっていますのでそれ以上の顧客の中で選ぶのであれば、可能でしょうかね? やはりルージュ・エメリーとはいえ条件のいい飼い主がよろしいですか?」


 男は言葉だけなら普段通りのわがままなルージュに普段の饒舌を取り戻す。


「ふーん。じゃあさ」


「はい」


 しかしそれに対してのルージュの返答はあっさりしていてやはり男は拍子抜けする。


「私を死ぬほど酷い目にあわせてくれる買い手にしてちょうだい」


「は? なんと?」


 予想外の言葉。


「だから、人間失格みたいな飼い主にして頂戴って言ってるのよ。耳死んでんの?」


「……贖罪ですか?」


 ルージュ・エメリーの柄ではないが、男にはそれ位の理由しか思い浮かばなかった。


「何言ってんの? 私が贖罪? なんでそんな事しなきゃなんないのよ」


「ではなぜわざわざ条件のーー」


 悪い飼い主を? と心配の言葉を言いかけたガラにもない男の言葉を遮る。


「はぁ。あんたにいう義理はないけど教えてあげるわ。私の力の源は怒りよ。今回でそれが完全に消えてんのよ。これから私が復活するのにはそれを溜めなきゃいけないじゃない。だから、よ」


 めんどくさそうに語るルージュの顔を男は理解できないと言った表情で見つめる。

 自分の知っているルージュ・エメリーは痛みを与える相手や自己否定をする相手を徹底的に嫌う女だった。しかし今選ぼうとしている飼い主は徹底的にそれを行い、ルージュ・エメリーを屈服させ、心も体も折ろうとしてくるだろう。


「はあ、理解できませんが、言っている理屈は理解しました。……でも順当にいったら死にますよ?」


 えてしてそういう人間はおもちゃは壊すまでがおもちゃだと思っている人間だ。


「それはそれまでだったってことよ。ま、そんな状況になるまでには力が溜まってるでしょうし、そん時は飼い主ぶっ殺して逃げるわ」


 肩をすくめて悪い顔で笑う。

 その表情、その言葉はいかにもルージュ・エメリーらしかった。

 男もそこに自分の知っているルージュ・エメリーを見つける。


 ならば。


 男も男に戻ろう。

 商品の心配などせず、ただ損得のみで考えよう。


「……そう、ですか。ならとっておきの飼い主をご準備しますよ」


 男はニヤリと嗤い。


 女もまたニヤリと嗤った。

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