第14話 再開の約束を果たしに
コーンカフェの店休日。
午前中の予定がない状態のセシリアはクルーズタウンの大通りを一人で歩いていた。
最近はファンも増え、道を歩いていると声を掛けられる事がふえてきた。
と言ってもセシリアにとってファンはみな知り合い感覚なので、変装もせずなんの衒いもなく道を歩いている。
ここはクルーズタウンの一等地。クルーズロード。歩行者天国になっているこの街の目抜き通りである。
ロードサイドには煉瓦造りの瀟洒な高級店が軒を連ね、他の通りとは一線を画すようにネオン管などの下品な看板や大型ディスプレイなどは存在せず、すっきりとした街並みとなっている。
その道幅は広く、高い建物は前方に聳える教会のみ。
初夏だが雲はなく、天はどこまでも抜けていきそうなほどに高い。
そこを颯爽と闊歩するだけで絵になるまでにセシリアは成長していた。
そんなセシリアに女性が声を掛けてきた。
「おや、セシリアじゃないか」
チラチラと一流品が並ぶ店舗のウィンドウを眺めていたセシリアが振り向くとそこには見慣れた女性が立っていた。
「ママ! それにサクラさんも! 親子でお出かけですか?」
コーンカフェのママであった。隣には娘のサクラもいる。
見知った顔に思わず顔が綻ぶ。
「店が好調だからママに何かおねだりしようと思って」
ママの腕をとって楽しそうにサクラが答えると、隣のママは驚いて隣の娘の顔を覗き込んだ。
「は? 珍しく買い物に付き合うって言うから何かと思えば、あんたそんな魂胆だったのかい!?」
「しまった! バレたか!」
「はあ……全くしょうがない娘だね……」
言葉とは裏腹にママの表情は優しく、呆れながらも娘の魂胆ははじめからわかってきているようだった。
ママもサクラも店にいる時はピシッと仕事モードで一見怖い感じ、特に三銃士に向けてはより一層怖い感じだが、今は穏やかで朗らかで、とても幸せそうな親子像だった。
そんな二人を見てセシリアは幸せのお裾分けをもらったような気持ちになる。
「ふふふ。今日はお天気もいいし、買い物にはいいですよね」
胸の前で手を合わせてニコニコとしている。
「あんたも買い物かい?」
娘とのコミュニケーションについつい頬が綻びそうになるのを我慢するように、ママはセシリアの話に話題を合わせてくる。その問いにセシリアは頭を横に振って答えた。
「いいえ、私は欲しいものとか特にないので何か買うってわけではないですね。ただこの通り沿いの店に飾られてる綺麗なモノを見てると気持ちが楽しくなってくるんで時間の空いた時には何となく歩くんですよ」
「わかるー」
「歩くだけで幸せな気持ちになりますよねぇ」
実際この通り沿いには一流の品が並んでいるし、道に並ぶ芸術作品や、緑の葉を旺盛に茂らせた並木なども美しく、セシリアの言う通り、見ているだけで幸せな気持ちにさせてくれる。
前世から今世も通してそういう幸せに縁のなかったセシリアはジョージ・Pに拾われてから自分の時間があくとこの通りを歩いて英気を養っていた。
はしゃぐサクラとセシリアを見てママは軽くため息をついた。
「あたしの若い頃は売れなかったからね。そんな余裕はなかったねえ」
「私もジョージ・Pに拾われるまで生きていくのに必死でママと同じ考えでした。でもジョージ・Pがアイドルにはインプットも大事だからと言って、この道を歩く事を勧めてくれたんです。そうしたらはまっちゃって」
「あー、ジョージなら言いそうだねえ。あたしも若い頃にそういう事してたら何か変わってたのかね?」
そう言ってママが高い天を仰いでいると、横からサクラがちょっと引き気味の声でいう。
「ママ、ババっぽい……」
「ババっぽいってなんだい! 全く口が悪いね! 誰に似たんだい!」
怒りながらそっぽを向いたママをサクラとセシリアが指差して二人で笑う。ひとしきりそれを楽しんだ後、サクラがふと真面目な声で言う。
「でも確かにコーンカフェが不調な間ってさ正直クルーズロードなんて歩いても目の毒で気分が悪くなるから歩いてなかったんだよね。でも今は歩いてるだけでこんなに楽しい。これも全部セシリアと女神様のおかげだね」
「そ! そんな! コーンカフェが好調なのは皆さんの頑張りの結果です。私なんて特に何も……」
「セシリア! そんな事ない! あなたが来てくれなかったらあの店は潰れてたし、わたしらも路頭に迷ってた。だからわたしはあなたと、あなたをコーンカフェに導いてくれた女神様に深く感謝してるのよ。女手一つでわたしをここまで育ててくれたママの次にね!」
唐突な母への感謝の言葉にママは驚き一瞬で目が潤む。こぼれそうになる雫。それを誤魔化すように大袈裟に咳払いをした。
「ンヴウン。何だい! いきなり! 柄にもない事言うからびっくりしちまっただろう」
「ふふふ、ママ。今までありがとう。だから今日のお買い物お願いします」
サクラも照れ臭さを誤魔化すように買い物のおねだりに心底の感謝をまぎらせ、顔の前で両手を合わせておねだりのポーズで誤魔化した。
「はいはい、わかったよ。あまりに高いもんはダメだからね!」
「はーい」
サクラは嬉しそうにママに抱きついた。娘の重みに少しママはよろけながらもしっかりとその愛を受け止めている。
絵になる親子像。
その二人が真っ直ぐにセシリアを見つめる。
「だからね。セシリア。こうやってあたしらが幸せな親子をやってられるのも全部あんたのおかげさ」
ママもサクラも穏やかに微笑んでいる。
己にむけられた感謝の言葉。
セシリアはそれを静かに受け入れた。
「あと、女神様もね!」
差し込まれたサクラの言葉にママが静かに首肯いた。
「ああ、そうだね。若い頃は散々文句を言ったけどね、今は女神様にも感謝だね。実際あたしらアイドルは女神様の加護があって成り立っているもんだからね。今日の買い物も神殿へのお参りついでだ」
「私は買い物とおねだりも主目的だけどね」
「神殿!!!」
その言葉にセシリアは女神との約束を思い出した。
そしてすぐに思わず大きな声が出てしまった事を恥じて、口を抑えながら、自分の大声に驚いてチラチラとみてくる通行人にペコペコと頭を下げた。
「なんだい急に大声をだして!」
「びっくりしたよ。どしたの? 大丈夫?」
ママ親子が驚き心配そうにセシリアを覗き込む。セシリアは申し訳なさそうに両者にそれぞれ頭を下げてから理由を話す。
「すみません。神殿に用事があった事を思い出して」
鏡の中の女神との邂逅。
『あ! 時間切れだ! セシリア! 神殿に……ブッ』
女神の最後の言葉を思い出していた。
神殿への誘いであっただろう言葉。
それ以前にも自分を神殿に誘っていた女神。
宗教嫌いなセシリアが初めて親しみを覚えた神。
良い機会かもしれないとセシリアは考えた。
「そうなの? あ! じゃあさ! セシリアも予定がないなら一緒に神殿へ礼拝しに行かない?」
それはセシリアにとってタイミングの良いお誘いだった。
「いいんですか!? ぜひお願いします!」
否もなく。
一人で行くには少し不安があったセシリアには渡りに船だった。
「もちろん! さ、行こう!」
サクラがママの脇に通した手とは反対の手をセシリアの脇に通して二人を引っ張るようにしてクルーズロードの中央を正面に聳える神殿へ向かって歩き出した。
神殿に着いたセシリアは圧倒されていた。
そこは。
ただただ大きく。ただただ美しく。ただただ神聖で。ただただ神の座であった。
天井は天井知らずに天まで手を伸ばして果てはなく、窓はステンドグラスになっていて差し込む光は美しく、礼拝用の長椅子は数えきれずどこまでも人を受け入れている。
「すっごいですね」
入口入ってすぐにセシリアは足を止めた。
つま先立ちになり、天の果てを掴もうと背筋を伸ばすがとても届くものではない。
後ろから入場者は絶えず、人の流れを遮る形になっているセシリアの背中を軽く押して進ように促しながらサクラがセシリアの意見に同意する。
「ねー。ここは何度来ても感動するよ」
「セシリアはここにくるのは初めてかい?」
「はい」
サクラの誘導に大人しく従うセシリアに逆サイドからママが問いかける。まだ呆気にとられキョロキョロと辺りを見回しながらセシリアは素直にそれに答える。
「へー珍しい。この街に住んでて女神の神殿に来ない人いたんだね」
「神とかそういった類のが苦手だったんですよね」
「……まあそういう人間もいるね」
何かを察したようにママはこの話題をここで止めるようにした。
ママは実際、神を嫌う人間を何人か知っている。大概はセシリアと同様に痛い目にあった人間が多かった。
「貧乏だった頃はわたしも嫌いだったな」
「あたしも礼拝に来ては文句ばかり言ってたね」
「ふふふ。礼拝に来て文句言ってもいいんですね。私もくればよかった」
いい事を聞いた。今日はたっぷり文句を言ってやろうとセシリアは考えた。
「さ、空いてる席に適当に座ろうじゃないか」
「あ、ママ。ここ三人並びで空いてるよ」
混雑する神殿の中で空いた席を見つけて三人は腰を下ろした。
「何かお作法とかあります?」
「特に細かいことはないね。手は合わせてもいいし、組んでもいいし。目は閉じてもいいし、開いててもいいし。決まりはないから自分が好きなように女神へのお礼や愚痴や恨みや辛みを述べてやらいいんだよ」
四分の一しか良い事がないのは今までの人生の積み重ねだろうか?
「そーそー。わたしなんて背もたれに寄りかかりながら目を閉じて半分寝てるしね」
「いつも思うけどあんたのそれは流石に態度悪く見えるよ」
本人の言うとおり、背もたれに体を預けて座面に腕をだらんと投げ出して目を閉じている姿は完全にリラックスした姿で神に祈っている姿にはとても見えるものではなかった。
「別にいいじゃないのーママは変なとこで細かいんだからー」
目を閉じたままにサクラは口だけ尖らせて文句をたれる。
「本当に自由なんですね。じゃあ私はオーソドックスに五体投地でいきましょうか?」
「は? やめとくれよ! こんなとこで寝転ぶ気かい? どこの常識でオーソドックスなんだよ!」
「ふふふ。冗談ですよ。流石に神殿のベンチで寝そべってたら礼拝ではなく野宿になってしまいますから」
「ほー。セシリアの冗談なんてめずらし」
「確かにいっつもニコニコしてるけどふざけたのははじめて見るかもね」
ママとサクラが口を開けて驚き、冗談を言ったセシリアの顔を記念に瞼に焼き付けようとするかのようにマジマジと見つめる。最初は照れ笑いのような愛想笑いのような表情を浮かべていたセシリアも流石に恥ずかしくなったのか顔を両手で覆い隠してしまった。
覆ったその両手の隙間から切ない声が漏れる。
「私でも冗談くらい言いますよぉ。流石にはずかしいのでマジマジと感心するのはやめてほしいです……」
「そりゃそうだね」
「確かに! でも冗談を言って照れるセシリアも可愛かったよ」
「ぐう」
「さ、ふざけるのはいい加減にして、女神様にしっかりお祈りするよ」
「はーい」
「はい」
セシリアはママへの返事と同時に体をリラックスさせて目を閉じた。
すると。
無音。
途端に無音が鼓膜に押しつけられた。
それにびっくりして開いた網膜に飛び込んできたのは。
白。
そこはまごう事なく別天地であった。
何もない。
どこまでも高く伸びた天も。
美しいステンドグラスも。
信者を包み込む長椅子も。
ママもサクラも何もかも消えていた。
あるのは白。
どこまでも続く白。
無音。
耳が痛くなるほどの無音。
恐る恐る足元を確かめるように一歩踏み出してみる。
地面の感触はある。
感触はあるが。
自分の足音すらしない。それどころか衣擦れの音もない。
「死んだ?」
セシリアはひとりごちた。
そう言いたくなるほどの異質に思わず自分の手足を確認する。
「足はあるから死んでないわよね? 多分?」
本当に死人に足がないのかなんて誰も知らないしセシリアも知らない。
「神のみぞしるよね」
「呼んだ?」
セシリアのひとり言に反応する声。
この声で大体察しが着いたセシリアは小さくため息をついた。
「呼んでないわ」
「呼んだでしょう? いまワタシの事呼んだでしょう?」
無音の中、唯一の声はとてもワクワクとして楽しげな響きでセシリアの耳を刺激する。
「呼んでないって言ってるじゃない。それより早くみんなの所へ帰してほしいんだけど? できるでしょ女神?」
「ほら呼んだじゃない」
白一面だった世界。その中セシリアの真正面に白いモコモコが現れ、それは段々と人間の姿を形づくり、すぐにあの日鏡の中で見た姿になっていた。
それは完全に出来きると、両手をにぎにぎとしたり、片足を上げてフルフルと動かしてみたりと、動作をひとしきり確認した後、正面のセシリアをニンマリと見つめて口を開いた。
「女神降臨!」
真っ白な世界。
そこにはセシリアが二人立っていた。
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