第12話 ルージュは悪くない

「どうして! ルージュが! 謹慎なのよ!」


 ルージュ・エメリーがひとしきり暴れた事務所は荒れ果てていた。

 キャビネットのガラスは割れ、中にあった高級酒のボトルも無惨に砕け、中の甘露が毛足の長いラグにこぼれ、それをたらふく飲んだラグはご機嫌にクネクネと身を捩らせていた。


「流石にあんな事をしてしまったら事務所としても庇いきれない。仕方ないだろう」


 セシリアをクビにした時と変わらず社長席に座っている男は小さくため息をついた。


「あんな事って何よ! ルージュの完璧なライブを汚すバカをステージから蹴落としただけじゃない!」


「……それが大事なんだよ。ミディーは左腕と左脚を骨折して全治四ヶ月の診断だ」


 脳震盪を起こし説明を聞く事のできないミディーの代わりに医者の診断を聞いた男は疲れきっていた。

 中止になったライブのチケット代の払い戻し処理や、関係各所へのお詫び行脚、怪我をしたミディーへの見舞金、直後に引退と退所を願い出たヒラリーへの対応。

 それらを全て終えてからルージュのヒステリーにつきあい、今こうやって椅子に座っている。


「あれくらいの高さから落ちたくらいで情けないわね。あの役立たずは同じ高さから落としても、へこへこしながら無傷で這い上がってきたわよ」


「役立たずとはセシリアのことかい?」


 男はルージュにクビにされたアイドルの事を思い出していた。

 もちろん最終判断を下したのは自分だが、あの時の判断を男はずっとどこかで後悔していた。

 結果こうなっている現状でその後悔はやはり正しいものだと確信に至った。


「そうよ、あの無能で大丈夫なんだから誰でも大丈夫なはずよ。ミディー乳だけ女のやつ! もしかして仮病つかってんじゃないの? そうよ医者とグルになってサボる気なんだわ! 社長! ちょっとあいつ連れてきなさいよ」


「無理だよ。脳震盪も起こしていたからね。精密検査も必要だし、しばらく入院生活だ」


 目の前のアイドルが現状がわかっていない事にうんざりしている男の返答はどんどんと感情を失い淡白なものになっていく。

 しかしルージュはそれに気づかない。

 常に自分は正しく扱われるべきだし、相手にうんざりする権利など存在しないと考えているからだ。

 何より怒りに全てを支配されている。

 そしてその怒りは会社の体勢に向かいはじめた。


「は? 入院? 甘えてんじゃないわよ! じゃあライブはどうするってのよ。ヒラリーと二人でやれっての? ルージュのアイドルウェポンはわかってんでしょ? あいつ一人でルージュがどう引き立つってのよ?」


「ヒラリーは引退したよ」


「引退? 引退って言った? 勝手に引退なんてできるわけないじゃない! あいつらは全員ルージュの奴隷なの。死ぬまでルージュを引き立ててればいいのよ。社長! あんたなんで勝手に引退なんてさせてるのよ! 連れ戻してきなさいよ」


 元々、ミディーとヒラリーはそこまでアイドル活動に重きを置いていなかった。アイドルウェポンに流されてクルーズタウンに流れ着き、その流れのままに活動していただけだ。

 そこに執着などない。


 今日のミディーがヒラリーだった可能性もあるのだ。


 引退を言い出すのも自然な流れだ。


「無理だよ」


「それが無理ならさっさと代わりを連れてきなさい! 事務所内にいるでしょ? 他に使えない新人が! 誰でもいいから連れてきなさい!」


「それはできない」


 せっかくスカウトした有望な新人をルージュと組ませたりしたらあっという間に潰されてしまう。

 セシリアをクビにして以来、男はルージュの扱いの難しさを嫌というほど思い知っていた。

 今までは全ての矛先がセシリアに向いており、その全てを吸収していたセシリアがいなくなって、はじめてその矛の強さに周りの人間は気付いたのだった。

 最強の盾を失ってはじめて最凶の矛の恐ろしさを知ったのである。


「できるできないじゃないのよ! ルージュがやれって言ってるの!」


「無理だ」


「は?」


 今日の男は覚悟していた。


「君がセシリアをクビにしろと言った。あの女がいたら自分の輝きが減ると言って。あの女がいなくなれば自分の輝きはさらに増してライブの動員は増えて、物販の売り上げも増えると言った」


「そうよ。これからはそうなるわ」


「実際データとしてもセシリアの売上は皆無だったし、セシリア目当ての動員もなかった。だから君の茶番にも付き合った」


 あれは本当にひどい茶番だった。

 幼い頃から曲がりなりにも面倒を見てきたアイドルにあそこまで所業をしなければならなかったのだろうか。と今でも自問自答する事がある。

 実際データとしてはセシリアは解雇に値する状態ではあった。

 ビジネスとしては正しい判断だったとは思っている。


「そうでしょう? あれはスッキリしたわ。社長も見たでしょ? あの女のクビになるって知った時の顔。笑いを堪えるのに必死だったわ」


 ステージ上と同じ笑顔だが男から見たそれは随分と昏い感情が透けていた。


「だが結果はこれだ」


「何言ってんの? 今回はミディーとヒラリーがクソだっただけよ。ルージュには関係ない話よ。新人入れてルージュがちゃんと仕込めば、次回からは売上が倍増するわ。新生トワイライトを見せてやればいいのよ」


 売上で、数字で、金で。

 この言い分はまかり通ってきた。

 通してきたのは他でもないこの男だ。

 行き過ぎた許容あまやかしはあの夜の茶番を産んだ。

 男はふうと息を吐く。


「君はあの夜、セシリアに言った言葉を覚えているか?」


「は? 覚えてないわよ。そんなの」


 そうだろう。

 だが男は覚えていた。


「……次があると、思ってるのか?」


「あ?」


「こう言ったんだよ」


「あんた誰に向かって言ってんの?」


 真っ直ぐに自分に向かってきた尖った言葉。

 幼く可愛らしい顔が、怒りで割れんばかりに歪む。

 男はもうそれに動じる事はない。

 覚悟も準備も終わっている。


「君にだよ。ルージュ・エメリー」


「よくそんな言葉が言えたわね! このクソ事務所の唯一の稼ぎ頭! ルージュ・エメリーに向かって! 次はないって言ったの!?」


「そうだ。今回の問題の責任は君にある。そしてその責任をとって君はこの事務所を退所する」


 男の疲労は今回の事件だけが原因ではなかった。

 セシリアをクビにした時に感じた違和感。それを信じて次世代への移行準備を急ピッチで進めてきた。

 経営者としては実に有能である。


「言ったわね?」


「ああ。言った」


「ルージュが何より嫌いな言葉を言ったわね」


「ああ。言った」


 今までなら絶対に言えなかった言葉。

 それをしなかったのは自分の怠慢だったと男は思っていた。

 目の前のアイドルの矛を受けるのは自分がやるべきであったと後悔をしている。


 嵐が起こる。


「ルージュは悪くない! 何も! 悪いのは全部お前だ! 無能社長! 責任者が責任を取らずにアイドルをクビにして終わりにするつもりか!」


 叫びながら。

 手当たり次第に物を投げる。

 柔らかなアイドルらしい足でローテーブルを蹴り、そのままそれに上り、地団駄を踏む。

 下手なタップダンスだった。


 男はもうどんな嵐にも動じない。


「なんとでも言うといい。もうすでに準備は終わってる。この問題を起こそうと起こすまいと、すでにこちらとしては準備を進めていたんだよ」


「知らない知らない知らない! ルージュはアイドルのトップになるんだ! ルージュが一番可愛いんだ! 歌もダンスも笑顔も! 全部全部全部! 悪いのは他人! ルージュは悪くない!」


 会話中も男に物が投げつけられる。

 あえて男は避けずにそれにあたる。

 それが責任であるかのように。


「どんなに暴れても構わない。壊した分の賠償は君への餞別から引いておくし、足りない分は損害賠償請求させてもらう。ちなみにこの会話は全て録画している」


「あああああああああああああ!」


 ルージュ・エメリーの咆哮が深夜のクルーズタウンに響き渡った。

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