第4話 ちょろい疑念
一夜明けた、翌日の午後一時。
セシリアはおでん屋台の裏にあるビルの一室でソファに座っていた。
いまだに状況の飲み込めていないセシリアはとりあえず挨拶からだろうと考える。
「お、おはようございます」
何時だろうとおはようございますの業界である。
「おはようございます、セシリアさん。コーヒーでいいですか?」
「は、はい」
大将はセシリアの戸惑いなどお構いなく自分のペースでサーバーからマグカップにコーヒーを注ぎ、セシリアの前に差し出した。
「ありがとうございます」
戸惑いながらも差し出されたコーヒーに手を伸ばし、カップのフチに口をつける。暖かな湯気に鼻をくすぐらせながら、カップを傾ける。
「あちち」
口内に流れてきたコーヒーは思いのほか熱く、セシリアの舌を刺激しながら喉を滑り落ちていった。
「セシリアさんは猫舌でしたか」
「ええ、でもおでんもコーヒーも熱いのが好きなんです。やっぱり熱いものは熱いままの方が美味しいですから」
「同感ですね。おでんは熱い出汁が染み込んだものが一番だ」
大将はそう言いながらセシリアの向かいのソファに腰かけ、そのまま言葉を継いでいく。
「して、昨夜の件は考えてくれましたか?」
「え、ええ。でも私には状況がよくわからないんです。いただいた名刺の会社、オーディンと読むのでしょうか? それもここに来る前に企業情報を調べてみましたけど住所や起業日以外の目立った情報が特になくて……」
来る前に情報を調べたと言う事は企業情報の収集にクルーズ・データバンクまで行ったという事になる。あそこにはクルーズ・タウンに存在する企業ほぼ全ての情報が揃っているからだ。
目の前に座るおどおどとした、黒髪の少女、と言っても差し支えない様な女性の、案外たくましい性格に大将は笑いをこぼさない様に注意しながら答える。
「まあそうでしょうね。うちの会社は創立は十五年前ですが、五年前から所属のタレントもなく開店休業状態でしたから。通常閲覧可能な五年前までの情報では何もないのが当然です。そしてそれを見て所属を迷うのも無理はありません」
「本当に大将の事を変に思ってるわけでもないですし、いただいたお話もすごく嬉しいんです。……けど」
相手を不快にさせないように一生懸命セシリアは言葉を選ぶ。別に目の前にいるのが自分の雇用主になりうる人間だからというわけではなく、単純にセシリアの性格である。
「怪しい会社だから所属するのは、不安だという事ですよね?」
セシリアの選んだ言葉を受けた大将はそれをどストレートの豪速球で返す。
それを聞いた相手のあやと驚く顔が好きなのである。腹芸の使えないのは芸能事務所の社長としてはどうなのか? という部分は置いておく。
「ええ、正直に言わせていただくと、そうです。私は昨日の夜に事務所に捨てられたアイドルです。今朝には元事務所の担当者が来て宿を引き払って行きました。そんな人間と知ってスカウトする人間は、この街でなくても怪しい人間です」
切り込んできた大将の言葉に腹を括ったのかセシリアも正直な今の心情をぶちまける。大将のストレートな言葉にはこういう効果を狙っている面もあり、実際セシリアはそれに転がされている。
そんなセシリアの後ろには大きな風呂敷が鎮座しており、その隙間からは所々生活用品がはみ出していた。
この風呂敷を背負って、企業情報を調査しに向かい。
この風呂敷を背負って、ここまで歩いてきたのだろう。
その姿を想像して、ついつい大将の頬は緩む。
「あ! 大将! 今笑ったでしょう? やっぱり私を騙す気なんですね!」
「いえ。いや失礼しました。その風呂敷を背負って歩かれているセシリアさんを想像したらつい面白くなってしまいました」
セシリアは大将の言葉に小首を傾げた。光りを放つような黒髪がサラリと音を立てて揺れる。それから戸惑った様に自分の背後にある唐草模様のまん丸風呂敷と、大将の笑いを堪えた顔を交互に見て、ちょっと納得した様にうなずいた。
「ああ、だから道すがらみんなが変な目で見てきたんですね」
「そうですよ。セシリアさんみたいな綺麗な女性が風呂敷包みを背負ってオフィス街を歩いていたら何事かと思うでしょう」
セシリアは長身黒髪でスタイルの良い美女だ。
そんな人間が唐草模様のパンパンに膨らんだ風呂敷を背負いながらクルーズ・タウンの中心街を歩いている姿を想像して大将はまた吹き出してしまった。
「うーん? 私みたいな売れないアイドルが変な格好していてもみんな気にしないと思ったんですけど」
今度は正面きって笑われた事を不服に思い、セシリアは納得いっていない調子である。
「売れる、売れない。これと美醜はそれほど関係ありませんよ。もちろん美しさが武器になるのはもちろんですけど。そしてセシリアさんは美しい。だから元チームメイトは貴女を悪役アイドルにせざるを得なかったのですよ」
「……よくわかりません」
ここ数年間否定され続けてきたセシリアの自己肯定感はとても低くなっている。大将の言葉はセシリアの心には簡単には届かない。そのため誉められたところで表情に喜色が浮かぶことはない。
「そうですね。貴女には普通に売ろうと思ったら普通に売れる程度にはアイドルとしての素養はあります」
「ありがとうございます」
この礼も褒められたらとりあえずお礼を言っておけという条件反射であり、言われた言葉がセシリアの心に届いているわけではなく、表情はいまだ変わらない。
「ですが、貴女の入ったチームの看板との相性がよくなかった」
「ルージュさんですか」
嫌な思い出の総合商社である女の名前にセシリアの瞼がピクリと動いた。
「ええ、彼女のアイドルウェポンは一点突破という能力です」
「え? なんで大将がルージュさんのアイドルウェポンを?」
アイドルにとってアイドルウェポンは生命線であり、それを他人が知っているということは通常あり得ない。
それを知っているという事。
それはつまり、大将とルージュは他人ではないという事の証左に他ならない。
そこへと一瞬で思考が飛んだセシリアの心中は穏やかでない。やはり目の前の男は私を更なる地獄に突き落とすために遣わされた獄卒なのであろうと思っている。
しかしセシリアもそんな考えをそのまま表情に出すほど子供ではない。
何食わぬ顔で大将の話に耳を傾けながら逃げ道を探している。
「アイドルをアイドルたらしめるのはアイドルウェポンという能力を保有している事はご存じですね?」
「ええ、私もそれを授かってしまったが故にこんな人生になっていますから。嫌というほど存じてます」
心なし言葉が他人行儀になっているのはご愛嬌。聞き流しながら背後の扉の鍵の有無をどうにか確認できないかと視線をあちらこちらに走らせる。
黒目がキョロキョロしており、正面にいる大将から見て不審以外なにものでもない。
「ルージュさんのアイドルウェポンを知っているからと言って、俺とルージュさんはなんの繋がりもありませんよ」
「な、なんですか急に? そんな事思ってませんよ」
キョロキョロと目的を持って動いていた視線が大将の言葉に目的なく泳ぎ始める。口はうそぶきまで始める始末。
「だって疑っているでしょう?」
「えー、疑ってなんていませんよお」
もう完全にバレバレな嘘である。
大将はふうと一息吐き出し、真剣な顔でセシリアを見つめた。
変わった空気にセシリアも逃げるために腰を軽く浮かせる。
まるで他人が近づいてきた時の野良猫のようだ。
「実は俺もアイドルウェポンを持っています」
「大将も? 大将、アイドルだったんですか?」
同じアイドルというに親近感から、浮いていた腰が落ちる。
「ええ、十五年も前にセシリアさんのようにグループをクビになっていますが」
「クビ」
クビ仲間を見つけた野良猫は完全にソファに腰を落とした。
ちょろいにも程がある。
セシリアの警戒が解けたのを確認して大将の話は続く。
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