第3話 おでんやでスカウト?
おでん ごちそうや。
そう書かれたのれんの前にセシリアは立っていた。そのままその赤い暖簾を右手の甲で軽く持ち上げて屋台の中へと身を滑り込ませる。
「大将、こんばんは」
挨拶をして席に着くと、ほわりとした温もりが体を包み、芳しい出汁の香りがセシリアの鼻腔をくすぐる。ほんのりとしたカラシの匂いがアクセントとなって、もうここは入っただけでご馳走だ。
だからごちそうや。
「どうも、セシリアさん。今日は遅かったですね」
そう優しく声をかけてきたのは呼称でもわかるようにこの屋台の大将。
頭に手ぬぐいを巻いており、その下から栗色の髪の毛がのぞく。淡いブルーの瞳が特徴的で、昼間にすれ違ったらおでん屋台の大将とはとても思わないであろう美丈夫である。
「ちょっと、色々とありまして」
「そうですか。とりあえずいつものでいいですか?」
「はい、お願いします。もうぺこぺこで……」
「いそぎますね。とは言っても盛るだけですがね」
「大将の盛りで二倍は美味しく見えますよ」
「それは嬉しいですね」
喋りながらもテキパキと大将の手は動いている。左手側の棚から皿を取り出し、右手ではおたまを構えて、おでん鍋の中から的確にセシリアのお気に入りをピックアップしていく。
形を保ちながらもトロトロになっている大根。中まで味の染みた玉子。噛むと繊維が解けるタコ串。最後は中にふわふわの餅が入った巾着。合計四種類のおでんだねを鍋から取り出し、最後に出汁専用の区画から出汁をレードル一杯すくって、まるでお布団をかける様にしてそれを皿に注ぎ完成。
「はい、おまちどうさま。カラシはお好みでどうぞ」
「ありがとうございます」
セシリアは大将の顔を見ずにお礼だけする。
すでに視線は差し出されたおでんの皿に釘付けでもう離れることはない。
今日は何から食べようか。熱々のうちにタコ串に歯を入れるべきか。いやいやとろーんと伸びる餅巾着を堪能すべきか。ああ、でもでも、大根大根も。
うーんと迷った挙句、最初のインスピレーションを信じてタコ串を手に取っていた。
それを口に運び、タコの真ん中くらいに歯をたてる。ぐにゃりとした歯触りから少しの歯応えを経由して串まで届くのを確認、そのまま串をひき、顔を背けるとタコの足は自然と串から離れ、口内に取り残される。口の中いっぱいに広がるタコの風味に満足し、もぎゅもぎゅと咀嚼する。噛むごとにタコのうまみが溢れ、出汁と合わさり絶品である。むふうと鼻から漏れる息で最後のタコの風味を味わうと、タコはいつの間にか串から消えていた。
「ああ、もうない」
そうひとりごちながらも、箸は次の餅巾着を持ち上げていた。
上からか、下からか、どちらから食べるかしばし逡巡したのち、今日は上からに決めたらしく、かんぴょうで閉じられた巾着の口を噛み切る。熱々のお出汁が染みた油揚げから大豆の旨味を感じる。
「んー」
足をバタバタとさせて旨味と熱の暴力に耐え、口内に油揚げを残しつつ、次の一口へと取り掛かる。
巾着の口はすでに開かれており、中からは雪のように真っ白な宝物が顔を覗かせている。
はふ。とそのくちびるで宝物を奪おうとするが、宝物はモチモチとその身を伸ばして抵抗を試みる。
「んふふ」
セシリアはその抵抗を許さず、伸びた餅を唇で次々と捉え、自分の宝物庫へと運んでいく。
すっかりと宝物を宝物庫に収めて、ふうと一息ついて、一旦箸を置いた。
「大将、お願いします」
「はいよ」
それだけのやりとりで、あらかじめ準備されていたであろう熱燗がとっくりに注がれた状態で、セシリアの前に提供された。それを親指と人差し指でつまむ。
「あちち」
と言いつつもとっくりから手を離さず、左手で構えたぐい呑みにトトトと音をたてながら注いだ。
とっくりをカウンターに置き、左手のぐい呑みを口につけ、そのままぐいっと傾け、中の甘露を嚥下する。
「ほう」
今日の嫌なこと、辛かったこと、戸惑ったこと、色々な事を胃の腑に流し込み、全部消化して、残滓を息として吐き出す。
これがセシリアのストレス解消法である。
「いやー、相変わらずセシリアちゃんの食いっぷり飲みっぷりは見てて気持ちいいねえ」
「あら、ドクさんこんばんは」
隣から声をかけてきたのは、この屋台の常連、ドクと呼ばれる男。
本名かあだ名かもわからない。不思議な男である。
前に軽く出た眉骨からするりと下がった眼窩に据えられた目がぎょろりとしており、白髪に所々黒髪の混ざったオールバック。見た目だけで言えば六十代前半くらいだろうか。意志の強そうな眉毛がまた特徴的である。
セシリアがこの店に通うようになる前からずっと通っている常連だ。
「でも今日はいつもより吐き出す息が長かったねえ、何かあったのかい? おいらや大将でよければ聞くよ」
「いいんですか?」
「ええ」
「おうよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
セシリアは今日あった事をおでんと酒の力で吐き出した。
ライブで失敗した事。ライブ後の罵倒。その後の暴行。解雇。思い出した前世に関しては一旦保留した。正直誰かに話したいけれど、気が違ったと思われるのが関の山だろうと考えた。
「そうかい、そんなことが」
「おつらかったでしょう。額が赤いなとは思っていましたが……これで拭いてください」
おしぼりを差し出された。セシリアはそれを手に取り、顔を拭いた後に、手の中で色とりどりになっているおしぼりを見て、自分がライブ化粧のままここに来ていた事に気づいて慌てた。
「大将! ごめんなさい、お化粧してるの忘れてゴシゴシしてついちゃった!」
「お気になさらず、クリーニングに出すので大丈夫ですよ」
「しかし、セシリアちゃん。これからどうするんだい?」
慌てるセシリアに横からドクが声をかける。表情は真剣で本気でセシリアを心配している事が見てとれる。
「これから……」
「確かにそうですね。正直セシリアさんにはあの事務所はあってなかったので辞められたのは良い事だったとは思いますが……次、ですよね」
「今の宿だってあの事務所の借り上げだろう?」
売り出し中だったり、売れなかったりするアイドルには大体事務所が住む場所を用意するのが通例となっている。
ここクルーズ・タウンはアイドルウェポンを持つ人間が運命的強制でこの街に来るようになっている関係上、住む場所のない人間が大半であるからというのが大きな理由である。
セシリアも例外ではなく、アイドルウェポンを持って生まれたが故に、親に所属事務所に売られ、そこから今日まで先ほど通ってきた宿を事務所に与えられ生活してきた。
その事務所をクビになったいま。それは近々に失われるだろう。
「あ……」
「気づいてなかったんですね」
「住むとこなくなっちゃうのはまずいんじゃねえか?」
「野宿……」
「いやいやいやいや」
女性らしからぬ発言に、大将、ドク、両方の口から慌てた声でストップが入った。
この街は決して治安は良くない。むしろ悪いまである。女性の野宿なんてもってのほかであり、双方が必死になって止めるのは当然である。
「で、すよねー」
気まずそうな顔でカウンター越しの大将と隣の席のドクの顔を交互に眺める。
両方の顔は、当たり前だろう何言ってんだこの娘は。という感情のみで構成されている。
しかしセシリアには住所不定無職問題を解決する術はなく、ただ困るのみである。実際こうやって身を持ち崩すアイドルが昔は多くいた。今はアイドル事務所側の責任問題が問われる事も多く、今回のような無体な真似はそうそうされなくなっているが、何事にも例外はあり、セシリアはその例外であった。
そんなセシリアの顔を見てドクが嘆息して言う。
「大将、あんたんとこでどうなんだい?」
大将に向けられたその言葉の意味がわからず、セシリアはキョトンとした顔をしている。
しかし大将はその一言で意味がわかるらしく、そう来るよね的な顔でドクを軽く見ながら口を開いた。
「うち、ですか。そうですね……」
開いた口からこぼれた言葉は何だか煮え切らない。
「もう何年も経ってんだ。そろそろ動き出す時じゃないのかね?」
「五年、ですね」
「おいらが言うのもなんだがね。そろそろいい時期だと思うよ。こうやってセシリアちゃんがクビになったのもいいタイミング……」
と言いかけて、流石にそれはセシリアに悪いと思ったのか、小さく手を合わせて詫びる。
セシリアもよくわからないながらも何だか自分と大将にとって大事な話をしていることは理解しているため、話の腰を折る事はなく、手を軽く振り、表情だけで問題ない事を告げる。
それを受けてドクは言葉を継いだ。
「いいタイミングだと思うんだよ。あんたの能力がずば抜けてるのはおいらも知っている。前回だってさ」
「ドクさん、その話は……」
「お、すまん。だがな、行くあてのない娘をこの街で放り出したらどうなるかわかってんだろう?」
「それはーー」
もちろんわかっている。大将だけではない、セシリアだって、言ったドクだってわかっている。
この街は芸能都市。
表に見える世界が煌めきを増せば増すほど、それがひっくり返った時の闇は深い。
女衒に捕まるくらいならまだ幸せな方で、奴隷ブローカーや臓器ブローカーに捕まった場合などは、修羅道どころの騒ぎではない。
「こんな綺麗な娘が堕ちてく様はおいらもあんたも見たくないはずだろ?」
「それはもちろんですよ」
「ならこれはあんたにとっても、セシリアちゃんにとっても、運命だ」
普段の酔っ払ったドクの顔とは違い、真剣な表情で大将を見つめている。
青い瞳と赤い瞳が交錯する。
視線だけで言葉を交わしているように見える。
ついに大将は根負けしたように小さく白い息をこぼした。寒さから白く染まった息ではなく、おでんの湯気のように温かく白い息であった。
「わかりました。俺の方は問題ありません。やりますよ」
「よっしゃ。じゃああとはセシリアちゃんだけだな?」
「へ? これはどういう話ですか?」
急に水を向けられたセシリアは間抜けた顔で双方を眺める。
「大将の事務所に所属するって話さ」
「俺と一緒にトップアイドルになるって話ですよ」
正面と隣の席でニコニコと笑う二人の大人。
事務所をクビになり少なからず傷ついて判断能力が落ちている自分。
あまりにも唐突な話。
あまりにもウマく、都合のいい話。
これらを総合的に判断したセシリアは愛想笑いを浮かべて言った。
「すみません。名刺だけ頂いて、持ち帰りの検討でもいいですか?」
さすが。
セシリアも十五歳から四年間、この街で生きてきた人間であった。
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