第8話 夢路

「大丈夫。どんな敵だって、おねーちゃんがやっつけるからね」


 小学校の廊下で1人。顔を歪めて瞳から大量の涙を溢す律を見て、彼女はその小さな頭を撫でて言った。


 彼女はそのまま後頭部まで指を滑らせると、柔らかな髪を梳く。

 そして名残惜しそうに手を離し、こちらを安心させるように軽く微笑んでから立ち上がる。


「ところで、ヤコウ魔獣さん。大好きな妹を泣かせた罪は重いよ? 覚悟して」


 武器を構えた彼女の表情は決意に満ちており、頭上では並大抵の生物は瞬殺されてしまうであろう強力な魔法陣が10秒も掛からずに構築されていく。


 未知の魔法に恐れをなしたヤコウ魔獣は、やられる前に決着をつけようと2人目掛けて走ってきた。


 段々近付いてくる巨体。しかし彼女は動揺すること無くギリギリまで引き付け、すぐそこまで脅威が迫っているとは思えない程の明るい声色で「発射」とだけ呟いた。

 同時に魔法陣から繰り出された光は巨大な光線銃のように真っ直ぐ放たれる。


 その衝撃波でミディアムボムの髪はなびき、後ろにいた律でさえも吹き飛ばされそうになって必死に耐える。


 暫くして辺りが静まり返り、風も徐々に収まってきたのを感じて恐る恐る目を開ける。


 すると、そこには頼もしい背中があった。


 彼女は慣れた手つきでステッキをクルクルと回してから振り返り、嬉しそうに近付く。

 律も早く安心を得るべく彼女の元に駆け寄ろうと床に手を付いた瞬間、周りに漂う空気が一瞬で息苦しさに変わった。


 突如、彼女の背後に何本もの巨大な手が現れる。漆黒に染まる手は彼女の自由を奪うように体に絡みつく。

 そして、廊下の奥にある果ての見えない真っ暗闇に引き摺り込もうと移動を始める。


「止めて……連れて行かないで」


 謎のモノから放たれる邪気に押さえ込まれそうになりがらも立ち上がるが、膝はガクガクと震える。それでも頭を横に振って恐怖心を打ち払って1歩踏み出せば、足は止まることなく動いた。


 ただ、どれだけ走って追いかけても彼女との距離は縮まらずに離れていく。


「いやいやいやいやいや……嫌!!!」


 涙を滲ませながら右足に力を入れて地面を蹴れば、体が宙に浮いた。

 しかし真っ直ぐに伸ばされた手は届くことは無く、そのまま体勢を崩してしまい地面に強く叩きつけられた。

 律は受け身を取ることも忘れ、体に鈍い痛みを残したまま、その場でうずくまる。


「お願いだから、行かないで」


 震える声と共にあふれた涙は頬から伝って床に小さな水溜まりを作る。


「──律、目を覚まして」


 遠くから誰かの声が聴こえる。律はこの声を知ってる筈なのに、思い出せない。


 そのまま自身の不甲斐無さを責めるように少女は目を瞑る。


「律!」


 それでも諦めることなく何度も繰り返される名前。そして最後にはっきりと聞こえた声に律はハッとする。


 同時に頭の中に掛かっていた靄が晴れていくような不思議な感覚に身を任せて重い瞼を開ければ、瞳には見知らぬ白い天井が映った。


 徐々に体の感覚も戻ってきて、状況を把握する為に目線を横に動かす。


 そこには、目を閉じたまま窓際で腕組みをして立つ少年と律の手を祈るように握る、もう1人の少年の姿があった。右手で微かに感じた温もりの正体が分かり安心したのか、無意識に指先が動いた。


 その反応に応えるように顔を上げた少年は律の顔を見て、ぽっかりと口を開けたまま椅子から立ち上がる。


「……律ちゃん? 僕のこと分かるっ⁈」


 水を得た魚のように一転、興奮した様子で彼は問い詰める。


天衣あまいさん。それに綾瀬あやせさん、ですよね。どうかしたのですか」


「どうしたって……あ〜、良かった。びっくりしたんだよ。物音がして振り返って見たら、律ちゃん倒れてたんだから」


 すっかり脱力した様子で唯斗は椅子に腰を下ろす。


 彼の説明によると、律は特異点が閉幕クローズした後に意識を失って倒れた。その為、2人がトウキョウ魔法統制局にある医務室まで運んでくれたらしい。

 ちなみに現場の復旧に関しては結局、遅れて司令部からの応援が来たので簡易的な説明をした後、任せたとのことだった。


「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」


 ベッドに手を付いて、まだ重たい上半身を起き上がらせ、深くお辞儀をしながら述べる。


 唯斗はあわあわとした態度で「僕は大丈夫だから、まだ寝てた方が……」と言葉を続ける中、凪はこちらに目線を合わせず至って冷静な様子で口にする。


「別に。迷惑だったとは言ってない。寧ろ、お前のおかげで、あの場面を突破出来た。……ありがとな」


 小さく感謝の言葉を伝えられた瞬間、ふいに凪と律の視線が合い、凪は照れくさそうに頬を染めてプイッと顔を背けた。


「いえ。こちらこそ、ありがとうございます。ここまで運んで来てくださって」


 律はそんな凪の様子に気づかないふりをしたまま素直に感謝を述べると、タイミングを図ったようにガラッと開いた扉から大きな魔女帽子を覗かせた。


「初日から災難だったようだな」


あかし様〜」


 灯の姿を目視した唯斗は迷う暇も無く彼女の胸に飛び込んでいった。


「おうおう。分かったから急に抱きつくな」

 

「総統制官様。あの……」


 律はベッドに座ったまま、一体この状況をどこから説明するべきかと頭を悩ませ始めた時、灯は依然抱き付く唯斗の頭をポンポンと撫でながら口を開ける。


「言わなくて良い。全て司令部から報告を受け、把握している。

 しかし驚いた。我も通常より強い魔力を感じた故、直ぐ司令部に連絡を取り、応援を寄越すように指令を下したのだが、どうやら心配には及ばなかったようだな」


「そんなことないです。灯様のお言葉が無ければ律ちゃんを安全な場所に運べていなかったので。……でも、本当ほんとは最初から来てくれたらもっと嬉しかったけど」


 唯斗は当初の対応を思い出しながら、拗ねた表情で呟いた。


「あぁ。以後、改善に努めよう。それより、今回の件に関連して1つ。君達に話しておかなければならないことがある」


 灯は優しく両手で唯斗を引き剥がす。そして律がいる方に歩みを進め、立ち止まる。


 続けて灯は躊躇いも無く、事実を淡々と告げるように言葉にした。


「律。君に『管理外魔法少女』の任を言い渡す」


 管理外魔法少女。初めて聞いた言葉はまたもや一方的に押し付けられたことより、疑問が勝ってしまう。


「管理外魔法少女、って何ですか」


 そう素直に問いかければ、灯は「よっこらしょ」と言ってベッドに腰掛け、足をぷらぷらとさせる。


「世間から見れば何処にでもいるただの魔法少女。しかし、その蓋を開けてみれば総統制官直々の任務を果たす為だけに存在する謎の組織。まぁ、君達がこのことを知らないのも当然だ。管理外魔法少女の存在は秘匿されている上、我以外は知らない」


 そして灯はゆっくりと首を動かし、そのまま律をじっと見つめる。


「律。君には管理外魔法少女として運命を変える手伝いをして欲しいんだ。

 2度と悲劇を繰り返さない為に」


 そこまで言われてしまえば、灯が言う悲劇の意味合いは簡単に予想がつく。


「あれから45年。努力も虚しく、ヤコウ魔獣はさらに強くなり、数も増えた。まるで無駄な努力だと示すように。

 ──大戦の日まで、もう時間が無い。どうか、頼む」


 灯はベッドから降りて両手を拳のようにして太股にくっ付けると、律に体を向き直して深く頭を下げる。

 律は国のトップが頭を下げる状況に内心戸惑ってしまう。それでも何とか思考を繋ぎながら言葉を紡いだ。


「……考える時間を下さい。というか、そんな極秘情報をここで言って良かったのですか」


 まだ律の周りにいる唯斗と凪もこのことは知らなかった筈。それこそ、バレてしまっては意味が無い。


「確かに言いふらすことでは無いな」


 灯はゆっくり顔を上げると、体の向きを変えて唯斗と凪を交互に見た。


「だが、律が管理外魔法少女になるなら言っておくべきと思ってな。

 そして唯斗、凪。2人にも協力して欲しい。これから同志を増やしていく為にも」


 唯斗と凪は真剣な表情を浮かべ、どうすべきかと思考するように無言で見つめ合う。


 しかし灯は2人からの返事を聞く前に決めてしまおうと律に仕掛ける。


「時に律。考える時間が欲しいと言っていたが、いいのか? お姉さんのことは」


 ニヤッとした笑いを隠そうとせず、灯は姉の話題を壇上にあげる。


「また餌にでもするつもりですか。あの時みたいに」


 律は怒りをぶつけるように厳しい口調で問い詰めるが、彼女は落ち込む所か負けじと言葉を返す。


「まさか疑っているのか? だとしたら、それは誤解だ。事件の結末に関しては全くの偶然だ」


「では、それまでは計算通りだったと」


 2人の間にピリピリした空気が漂い始めた時、今度は凪が突如咳払いをし、ハッとした顔をした唯斗が声を上げた。


「あの! 管理外魔法少女とか日本の危機? とかよく分かりませんけど、僕は手伝います。

 大好きな律ちゃんが困ってるなら」


 真面目に答える唯斗の言葉は、全て彼の本音だろう。しかし友達として手助けする為か、それ以上か。すっかり人を疑うようになってしまった律には判断がつかなかった。


 続けて凪は窓際の壁からようやく背中を離し、ベッドの方に歩み寄る。


「俺はさっきも言った通り、律には助けてもらった礼がまだ済んでない。それに全て、唯斗が言うことに従う」


 こちらを真っ直ぐ見つめる凪は律への恩返しの為とはいえ、唯斗に絶対的信頼を置いているらしく彼の言うことに従う姿勢をみせた。


「らしいが、どうする?」


 律は灯に改めて問いかけられ、思考を整理すべく依然上半身は起こしたままで目を閉じた。


 灯が言っていた通り、既にヤコウ魔獣に影響が出ている以上、世界線が変わったとしても大戦が起きる確率は高いだろう。だからこそ、今を生きる律も彼女が出会ったという律と思われる魔法少女と同じ結末を辿るのは正直に言うと怖かった。

 また先程、灯が述べたように姉のことにもまだ納得が出来ていない。


 しかし、全ての答えを出す為には神倉かみくら りつは管理外魔法少女とやらにならなくてはいけないのだ。


 そんな気持ちとは裏腹に律には1つ、考えがあった。


(話を聞く限り、私の体質については気づいてない? だったら、この体質を活かせるんじゃ)


 それに、この名称と総統制官がバックについているという待遇は律が個人的に行なっていた活動に対してメリットしかなかった。


 そうと決まったら、やるべきことは明確だ。律は吹っ切れたように少し乱暴な口調で言った。


「……分かりました。なります。管理外魔法少女。その方が今後動きやすそうですし」


「あぁ。そうしておけ」


 灯は満足するように口角を上げた。


「それじゃあ、正式にトウキョウ魔法統制局対策治療課に決定ってことで! これから宜しく」


 唯斗は嬉しそうに律に駆け寄り、優しく包み込むように手を握る。


「やっぱりそうなりますよね……。

 改めて、これから宜しくお願いします。天衣さん、綾瀬さん」


「うん。あと、タメ語でいいよ。ね、凪」


「あぁ」


 凪は唯斗に促されるようにコクンと頷き、「そんじゃ、そろそろ書類作成に戻らないとな」と言って扉の方に向かう。


 凪が居なくなる前に急いで律は言葉を紡ぐ。


「──これから宜しく。唯斗、凪」


 思い切って呼び捨てで声を掛けると、唯斗はニコニコと微笑み、扉に手を掛けていた凪は振り返り再び頷いた。


 一方で、とある場所から幼い少女が水面に映る律達の姿を前のめりになりがら羨ましそうに見つめていた。


「──やっと見つけた。イトの可愛い魔法少女ちゃん」

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