第190話 交通安全教室①


「はーい! 横断歩道を渡るときはどうするのかな~?」


「「「「手をあげる~~~~~!!!」」」」


「はーい! よくできました~!」



 今、オレ達は上中岡小学校にいる。


 そう、小学校の交通安全教室の真っ最中だ。




 子供たちに横断歩道の渡り方を教えているのは、交通巡視員の長谷川さんだ。


 オレ達は地元の駐在所員ということで同行しているというわけだ。



「はーい、じゃあ、今度はくまさんが横断歩道を渡りますね~。みんな、くまさんが安全に道路を渡れるかどうか、見ててあげてね~」


「「「「はーい!」」」」






 くまさん。



 交通安全のマスコット、クマの着ぐるみだ。


 着ぐるみと聞いて、何を想像するだろうか?


 そう、中に人がいることだ。



 で、そのくまさんの中の人はというと、


 オレだ。



 オレはこれから、子供たちの前で悪い見本を見せる。


 さすがに、警察官の制服を着て悪い見本をするのは子供たちに混乱をもたらしてしまう可能性がある。


 そのための『着ぐるみ』だ。



 今のオレは、警察官でもなんでもない。


 ただの、交通ルールをよく知らないくまさんなのだ。


 だから、横断歩道なんて渡らない。


 右も見ないし、左も見ない。


 手なんて上げない。まあ、クマなら手じゃなく前足になるのだろうが、そんな細かいことはどうでもいい。




「ちょっと! むとう……くまさん!」



 ん?  

 


 長谷川巡視員がこっちに駆け寄ってくる。


「せめて横断歩道を渡って下さい! あんまり間違いが多いと子供たちが混乱します!(ひそひそ)」


「ああ、そういうことか。すまない。やりすぎた(ひそひそ)」




「はーい、ちょっと、くまさんみんなの前で緊張しているのかな~? 今度はちゃんと横断歩道を渡るからね~。みんな、しっかり見ててね~!」




 オレは視界のきかない着ぐるみのわずかな隙間から、グラウンドの中に石灰の白線で描かれた横断歩道を探す。


 無事に横断歩道を見つけ、左右もろくに見ないで、手も上げずに渡りだす!



「「「「「あ~! くまさんいけないんだ~!」」」」」



 途端に子供たちが騒ぎ出す。うん、ちゃんと気づいてくれたみたいだな。



「はーい、今のくまさんの渡りかた、正しかったかな~?」


「「「「「まちがってる~!」」」」」


「そうだね! じゃあ、どこが間違っていたか、わかるひと!」


「「「「「はい! はい!」」」」」


 子供たちが我こそはと競って手を上げて発言しようとしている。うん、ほほえましい光景だ。

 

「ん~、じゃあ、そこの黄色い服の女の子! どこが間違っていたかな?」


「はい! くまさんは、手を上げないで、おうだんほどうを、渡ったのがいけないと思います!」


「は~い! よくわかったね~! そうだね~。くまさん、手を上げなかったね~。他には~? わかる人~!」


 そんなときだった。




「くまさんは間違ってないよ!」


 そんな声をあげる子供が1名、現れた。



 その声は、ちょうど一瞬の静寂の中で放たれたため、大勢の声に紛らわせて聞き流してしまう事はできなかった。



 困惑する長谷川交通巡視員。



 このままその声を無視して話を先に進めるのか。


 数秒間そんな葛藤をした長谷川さんだったが、いたいけな子供の声を無視することはできなかったようだ。


「じゃあ、そこのアディオスの服を着た眼鏡の男の子! くまさんが間違っていないのは、なんでかな~?」



 必死の業務用スマイルでひねくれたガキに話を振る。


「だって、ここ道路じゃないじゃん! グラウンドに車なんか来ないんだから、手なんか上げなくてもいいじゃんか!」


 おおう、典型的な理屈っぽいガキだなおい。



 クラスにはこういうやつが一人か二人はいたもんだったよな。

 

 ちょっと頭のいいガキが、周りに妙なマウントを取りたくてこういうことを言うのだろう。 



 だが、これは集団の和を乱す行為でもある。


 全体主義が色濃く残るこの日本、しかも田舎にあっては白い目で見られてしまう事になってしまう。



 正しい事を大声で言う事が、この国では必ずしも正解ではないのだ。


 発言には周りの空気を読むというスキルが必要な世知辛い世の中なのである。


 どうにかしてこの子にそのことをわかってもらいたいなと思い、オレはウサギの着ぐるみを来た緒方巡査の元にさりげなく歩み寄り、一言二言耳打ちして軽トラパトカーに向かう。


 軽トラに向かう途中で、同じく校長先生にも耳打ち。承諾を得られたオレは、着ぐるみのまま軽トラの運転席に乗り込んだ。



「どうしたんですか?」


 助手席には、パンダの着ぐるみを着たルンがおり、突然運転席に戻ってきたオレに訝し気に問いかける。


「なーに、交通社会を舐めているいたいけな少年に体験学習させようかと思ってね」




 そのころ、グラウンドではウサギ着ぐるみの緒方巡査がなにやら長谷川巡視員に耳打ちし、打ち合わせは無事終わったようだ。


「はーい、じゃあ、ほんとうにくまさんがまちがっていなかったのか、そこの男の子にも体験してもらいましょう! はいはい、こっちの横断歩道の前まで来てくれるかな?」



 長谷川さんはそう言って、さっきの生意気発言をしたガキをグラウンドに描かれた横断歩道の前まで引っ張ってくる。


 その光景を見ながら、校長先生はほかの先生にも耳打ちしており、どうやらオレがこれから行う事は先生たち全員に共有されているようだ。



 生意気なガキは注目を浴びるのがうれしいのか、意気揚々と前に出てきていた。


「じゃあ、正しいと思うやり方で、この横断歩道を渡ってもらいましょうか!」



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