現代編⑧
エヴァは人間が入った檻へ近づいて、松明をかざし、中を確認する。
捕らえられている人間は、艷やかな褐色の肌に爬虫類のような瞳を持っていた。女子らしいしなやかな肢体を隠すものは何もなく、彼女は自らを抱きしめるようにして腕を回している。瞳には怯えや警戒、敵意が浮かんでいて、突然現れたエヴァ達を品定めしているようだった。
彼女の風貌からアルゼンタム人ではなく、他国から連れてこられた奴隷だと推測した。
アルゼンタムでは人身売買は禁止されているものの、未だ取引が闇市場で行われている。この人間もその類だろう。だが、彼女を連れて来た研究所の主は一体誰なのか。
少しでも手がかりを見つけたい気持ちで必死に辺りを観察する。すると、檻が積み重なった奥の空間に本棚がある事に気付いた。檻の隙間をぬって本棚へ手を伸ばす。
ほとんどが人体医学、ホムンクルス研究資料だったが、背表紙に何もない本を見つける。不思議に思い、手にとってみると本ではなく書類をまとめたものだった。
書類はかなりの数があったが、ホムンクルス製造技術の特許権申請書と、ホムンクルス製造会社の設立申請書一式だった。しかし、エヴァを青ざめさせたのはこれだけではない。
「私の裁判記録が何でここに……?」
エヴァの裁判記録が欠くことなく保管されていたのだ。悲鳴に近い声を上げたエヴァを、心配そうにフィンが様子を見に来る。後ろから包み込むようにして伸びてきたフィンの腕に、ようやく自分が震えていた事に気付いた。
「私の裁判記録を持っている……ということは、二年前の処刑に関係している人?」
黒幕なのではないか。エヴァを陥れた張本人。国立研究所お抱えの研究員を宗教裁判にかけた事は、あまり皇帝に知られたくないはずだ。後から知った皇帝に裁判資料を出せと言われても廃棄したと言い張るために、ここに隠したのではないか。
嫌な考えが次から次へと浮かんでは消えていく。
「エヴァの裁判を行った当時の枢機卿は、エヴァの処刑後すぐに心臓の病で突然死したんだ」
裁判記録を見ていたフィンが言う。今の枢機卿はエヴァの裁判には関わっていない。
「……だけど、今の枢機卿ってブルーノ教授の援助で枢機卿になったと聞いた事がある」
エヴァは背筋に冷たいものが這うような感覚を覚えて身震いする。
ブルーノならエヴァの研究を見てきたし、彼の研究分野なら魔物や妖精といった人外生物を用意する事も出来る。人脈はあるようなので闇市場で人身売買する事も可能だろう。
もし、ブルーノならばノグレー院は危ない。今すぐにここを去らなければ、彼に葬られるだろう。襲ってきた教会兵の鎧を身に着けたホムンクルス達も彼の差し金かもしれない。
エヴァはちらりと檻に視線をやる。見捨てられない。自分達の立場が危うくても、彼女を見捨てる事は人として出来ない。
それにブルーノが黒幕ならば、エヴァの頭蓋骨を持っている可能性がある。人に近づけるためのホムンクルス研究に使用したと考えれば、遺骨泥棒を行う動機も理解出来た。
「この非人道的な研究を今すぐ止めなきゃならないわ」
一番大事なこと。命を傷付けてまで突き止める研究に未来はない。エヴァはフィンに告げる。この研究所の持ち主を止めたい、と。その時だった。
「どうやって止める気だね?」
聞き覚えのある中老の男性の声。エヴァとフィンは突然背後から聞こえてきた声の方へ体を向ける。
「……ブルーノ教授」
エヴァやフィンを導き、サポートしてくれていた恩師。信頼していた教授だった。
フィンは吠えるようにしてブルーノへ問う。
「貴方が全てを裏で引いていたのか⁉」
すると、ブルーノは涼し気な表情のまま肯定した。
「あぁ、そうだよ。ほんの少し気付くのが遅かったね」
いつもと変わらない笑みを浮かべる。その瞳には、いつも教え子に向ける慈愛ではなく、軽蔑だった。
「エヴァ君の裁判も私が画策したものだよ」
足が地面に釘で打ち付けられたようにびくともしない。一歩も動けなかった。息が上がる。
――目の前に炎が現れた。煙で目はしみて開ける事が出来ない。どうしても吸い込んでしまい、咳き込みながら新鮮な空気と冷たい水を渇望した記憶。火で炙られる痛み。
フィンがそっと優しくエヴァを抱き寄せた事で嫌な記憶から引き戻された。
だが、体が炙られたような感覚がして震えが止まらない。
眼の前の男がエヴァを殺した。何故、という声はかすれて囁くようだったが、ブルーノに届いたようで、にこやかに彼はその問いに答える。
「理由は簡単だよ。君がホムンクルス研究の特許権を放棄しようとしていたからさ。一度、放棄されると誰も取得出来なくなる。そんなの勿体ないじゃないか、せっかく人類の未来に貢献出来る研究をしているのに。特許を専有して己で会社を設立して、市場を掌握すれば莫大な富が入ってくる研究なのに、だ」
ブルーノは芝居ががったように肩をすくめる。
「だったら私が専有して会社を建てようと決めたんだ。本当はエヴァ君が特許を専有したら知り合い価格で使用料を設定して私が会社を作ろうと考えていたんだが……放棄手続きに入っていたから、説得するのも時間がかかるので裁判にかけさせてもらったよ」
上下の歯がぶつかってカチカチと音を鳴らす。小刻みに体が震えている。
これ以上聞きたくない。だが、ブルーノは止めなかった。
「エヴァ君のおかげで私は今や億万長者となった。本当に感謝しているよ、ありがとう」
ブルーノは恭しく頭を垂れた。彼の言葉には、純粋な感謝の気持ちがあった。だからこそ、エヴァは彼をおぞましいと心から感じる。
「教授! 貴方を信じていたエヴァを……よくも!」
エヴァ以上に激昂していたのはフィンだった。顔は真っ赤に染まり、利き手である右手にはしっかりと剣が握られている。
ブルーノはフィンの様子を見ても冷静に手を挙げる。彼の背後からぞろぞろと鎧をまとったホムンクルス達が現れた。丘で襲ってきたものと同じだ。
「うわあぁああ!」
フィンが雄叫びをあげると同時に踏み込む。そして、ホムンクルスの兵達へ剣を振り下ろした。
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