現代編⑨
ホムンクルスの兵達は、ブルーノを守るようにフィンに立ち塞がる。単純な動作は、丘の上で襲ってきた個体と変わらなかったが、何より数が多すぎる。前回の倍以上もの兵がこの場にいた。
フィンは剣を薙ぎ払い、次々に襲いかかるホムンクルス兵を倒していく。地下研究所の床は飛び散った水銀の血溜まりが出来ている。
エヴァはフィンが兵を相手している間に、檻に手をかけていた。檻には錠前がついていたが、鍵は持っていない。だが、今の身体なら何ら問題ない。ホムンクルスは人間よりも力が強いのだ。そのホムンクルスを相手に一歩も引かないフィンが相当凄いのだが。
次から次へと錠前を引きちぎり、檻の中に囚われていた生物達を解放していく。人外生物は、一目散に檻から逃げ出すと暗闇に消えていった。
彼女は最後に人間の女性が入った檻を開ける。裸体の女性は、檻が空いても外を警戒しているようですぐには出てこない。大丈夫だよ、と笑みを見せた。
女性はエヴァの微笑みに少し安心したのか、出口へと近づく。しかし、エヴァの背後を見た爬虫類のような瞳が警戒を浮かべる。
まずい、と思った時は手遅れだった。首に何か押し当てられていると気付いた時には、ブルーノに拘束されている。ホムンクルスは感覚が鈍いので、首に押し当てられたのが短刀である事にしばらく気がつかなかった。
ブルーノはエヴァの首元に刃物を当て、ホムンクルス兵を薙ぎ倒しているフィンに声をかける。
「そこまでだ、フィン君。優勢だったが残念だね」
ブルーノの腕の中にいるエヴァを見たフィンは、すぐに剣を鞘におさめた。「駄目、私は頑丈だから! 言う事聞いちゃ駄目!」とエヴァは叫んだが、ブルーノに口を覆い隠される。
「武器を捨てろ。手を上げ、ゆっくり壁に向かうんだ。言うことを聞かなければ、君の愛おしい人はまた死んでしまうぞ?」
挑発するようなブルーノの言葉に、フィンは苦悶の表情を浮かべながらゆっくりと手をあげる。壁の方へ向きながら顔をこちらに向けた。
「最後に聞かせてくれ。エヴァの遺骨はどこにある?」
「遺骨? 何の話だ」
ブルーノは本気で困惑していた。遺骨の話は知らないのだろう。フィンは悔しそうに唇を噛むと、抵抗せず静かにホムンクルス兵に拘束される。
状況は絶望的。地下研究所には、エヴァとフィンしか来ていない。エイベルにも連絡はつけられないし、援軍は期待出来ないだろう。フィンは拘束され、ホムンクルス兵に剣を取り上げられている。
エヴァは頑丈で怪力を持つが、首に短刀を押し当てられている以上、怪力でブルーノを倒す前に首に刺さる方が早い。二人とも何とか動ける機会を虎視眈々と狙ってるが、訪れる気配はなかった。
どうにも出来ないのか――そう思った時。
「ぐあぁあ!」
エヴァの背後で突然ブルーノが断末魔をあげる。彼女を拘束する腕が緩んだ隙に抜け出し、背後を振り返った。エヴァの目に入ってきたのは、首を彼が持っていた短刀で横一文字に掻っ切られたブルーノだった。
鮮血が噴水のように飛び散り、辺りにびしゃりとつく。鼻につくような鉄の臭い。ぐしゃりと音を立ててブルーノは倒れ込む。彼の首の傷跡からは、未だなお血が溢れているが、ぴくりとも動かなかった。
エヴァは我に返り、慌ててフィンを見やる。彼はブルーノの突然の出来事に怯むことなく、一瞬の隙をついて武器を奪い返し、残りのホムンクルス兵を倒していた。
赤い血と銀の血が混じり合い、異臭を放つ。
ブルーノの遺体近くには、感情の読めない瞳で静かに見下ろす褐色の肌をした女性だった。手には血が滴る短刀を持っている。
ギャアアア、と人間の声ではない異様な鳴き声がしたと思った瞬間、暗闇に潜んでいた人外生物達が現れ、我先にとブルーノの遺体を喰い始めた。
皮膚が歯で切り裂かれ、中の肉を引きちぎる音。骨を噛み砕き、飲み込む音。
エヴァの鼓膜に刻むようにして響いていた。
フィンはエヴァを連れ、大聖堂へと戻る。
凄惨な現場を見てしまったエヴァは、まだ呆然としていたが、フィンの「結局、遺骨はどこにあるか分からなかったな」という言葉で正気に戻った。
「……これからどうしよう」
震える声でフィンに聞くと、彼はエヴァの背中を優しくさすりながら答えた。
「本部に報告するよ。ブルーノ教授のやっていたことを全て」
✢
後日、フィンは言葉通り本部に報告した。ブルーノは死亡したが改めて細部まで調査が行われた。ブルーノと関わっていた枢機卿は、地位剥奪され流刑。ブルーノはノグレー院教授を退任させられ、爵位も剥奪された。
エヴァ、フィン、エイベルは、現在調査のため一時封鎖されているノグレー院を丘から見下ろしている。
「ねぇ、エイベル。あの子はどうなったの?」
風がエヴァの頬を撫で、銀の髪をすくいあげる。
エイベルはメガネを指で押し上げ、口角を少しだけ上げて答える。
「彼女は貧血と衰弱が目立ちますが、しばらく安静にしていれば大丈夫ですよ。なんたってテラスピカの民ですからね」
あの後、エイベルを地下研究所へ連れて行き、褐色の彼女を診てもらったのだ。
エイベルいわく、彼女はアルゼンタム皇国の西側に位置するテラスピカという国の民で、アルゼンタム人よりも丈夫な体をしているらしい。度重なる採血にも耐える事が出来たのは、そのおかげでもある。
名をシェプストと言い、テラスピカ語が出来るエイベルが面倒を見ることになった。
「ところで二人はこれからどうするんですか?」
エイベルの問いにエヴァとフィンは顔を見合わせる。
「どうしよう? 遺骨は結局見つからないままだし……」
「何でも出来る状況ではあるわね。遺骨を探しながら、前世で行けなかったリゾート地に行ってみたいし……」
今後のことを二人で話していると、エイベルが咳払いをした。
「ん、んん。質問の仕方が悪かったですね。先輩方はいつ結婚するんですか?」
「え? け、結婚……」
どストレートな質問にフィンはたじたじになる。エヴァは彼の顔を見て、頬を赤く染めながら照れくさそうに言った。
「フィンが良かったら私はいつでも大丈夫……かな」
ボッ、と音が出たんじゃないかと思うくらいにフィンは顔を真っ赤にする。赤すぎて熱が出ているんじゃないかと思うほどだ。
「あ、あ〜、私はちょっと頭を冷やして来る」
そう言ってフィンは丘を降りて行った。
エヴァとエイベル、残された二人。真面目な顔に戻り、エヴァはエイベルを見た。
「私の骨を持っていったのは貴方よね?」
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