現代編⑤
ブルーノが出て行った後、フィンはエヴァに告げた。
「ここに来たのは健康診断も目的だったんだけど、私の部屋に剣を置いてきたから取りに来たんだ。少しここで待っててくれないか」
フィンは武器製造だけではなく、騎士の家系の出身というのもあり剣の腕もかなりのものだ。護身用に持っていた方が確実である。エヴァは頷き、フィンを見送った。
部屋ではエイベルと二人きりになる。なんと声をかけたらいいのか悩んでいると、彼の方から話しかけてきた。
「エヴァ先輩ですよね?」
時が止まったように感じる。汗が出るような感覚だ。鼓動を打たないはずの胸が打つような気持ちになる。振り返ってエヴァは、彼を見据えた。相変わらず無表情を浮かべて、眼鏡の奥の瞳は冷静そのものだ。
「どうしてそう思うの?」
「まぁ、さっきの発言といい、僕や教授を見る目が懐かしそうだったからですかね。そもそも、通常のホムンクルスって己の持ち主以外には興味を示さないから、あれっと思って」
墓穴は掘っていたが、エイベルの知識と観察力が気付かせたのだろう。エヴァはやはり優秀な研究者だと素直に思う。
「でも、誰かに自然な振る舞いが出来るように改良された個体かも」
「それも考えましたけど、フィン先輩がやけに過保護だからきっとエヴァ先輩なんだろうなって。ホムンクルスは頑丈だからよほどの事がない限り、機能停止にはならない。それなのに、わざわざ僕に身体検査をさせるなんて、よっぽど大事にしたい個体なんだなって。フィン先輩がそうするってことは、体はホムンクルスだけど、意識はちゃんとエヴァ先輩ってことですよ」
なぜフィンがそうすることでエヴァであるという認識になるのかは分からなかったが、エヴァは頷いて彼の考察を肯定する。
「昔から優秀な後輩だったわ」
「ありがとうございます」
「……現世に戻ってからフィンがより優しいの」
ずっと感じていたことをぽつりとこぼす。エイベルは少しだけ目を見開くと答えた。
「昔からフィン先輩はエヴァ先輩一筋でしたよ。先輩が宗教裁判にかけられそうになっていた頃なんて、宗教法典に詳しい弁護人を昼夜問わず血眼になって探してましたし。まぁ、何故か見つかっても弁護人を立てることは認められなかったですけど」
エイベルはメガネを指で押し上げ続ける。
「先輩が処刑された後の憔悴っぷりは見てられなかったですよ。後追い自殺するんじゃないかって心配していたら案の定、自殺しようとしていて。しかも、先輩と同じ苦痛を味わうために焼身自殺を選ぼうとしていたんです。僕が見張っていたから未遂で終わりましたけど、右腕に重い火傷が残ってしまったんです」
エヴァは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
フィンの右腕の傷。ヘビが這うような火傷の痕。思い出し、火傷の理由を頭で理解すると背筋が凍るような思いをする。
「あの痕ってそういうことだったんだ……」
「まぁ、今はかなり落ち着いていますよ。そのくらいフィン先輩はエヴァ先輩の事が好きってことです」
エイベルの言葉が反芻する。「フィン先輩はエヴァ先輩の事が好き」。
彼が私を? 私のことが好き?
その可能性を入れて今までの行動を考えると、合点がいく。フィンは私が好き。私も……。そこまで考えてエヴァは意識を現実に戻す。抑えきれない気持ちが今にも溢れ出しそうだ。後ろで「ホムンクルスも恥ずかしいと顔が赤くなるんだな、なるほど」というエイベルの言葉とメモをする音が聞こえた気がした。
「戻ったよ」
一番顔を合わせたくないタイミングでフィンが戻ってきた。エヴァは自分の顔が火照るのを感じながら慌てて彼から視線を外す。
「わ、私ちょっと外の空気を吸いに行ってくる」
フィンの顔を見ずに言う。彼は何か言いたそうにしているので、エヴァは追求される前に研究室を出た。背後からエイベルの「お幸せに〜」という間延びした声が聞こえた気がする。
エヴァは研究室からそのままノグレー院を出る。女子寮の裏口から丘へ続く道があった。彼女が一人になりたい時によく居た丘。悲しい時、いつも丘からの景色を眺めては自分の心を慰めていた。緩やかな丘は普段運動しない研究員でも登る事が出来る。ホムンクルスになった今はより簡単に登る事が出来た。
丘の一番見晴らしのいい場所に座る。昔、眠れなかった時にフィンがハーブティーを水筒に入れて持ってきてくれた事を思い出す。あの頃から自分はずっとフィンに守られていたのだ。彼の優しさに心が満たされる。
彼と一緒なら穏やかな時間を過ごせるような気がした。頭蓋骨が見つからなくても、自分を作った人が見つからなくても。旅が終わりを迎えても。その先、フィンと過ごす事が出来たらどれだけ幸せだろう。前世では出来なかったことを。
風がエヴァの頬を撫で、銀色の髪をなびかせる。ホムンクルスの優れた嗅覚が風の中に、草花の香りといつも隣にいた彼の香りを運んでくる。背後から地面を踏む音がした。
「エヴァ、やっぱりここに居たんだね」
「フィン……」
フィンはエヴァの隣に立つと、彼女と同じようにノグレー院を見下ろす。
「貴方の火傷のこと、聞いたわ」
エヴァが心配そうにフィンの顔を覗き込みながら言う。彼はさほど気にしていない様子で、袖口をまくり、右腕にある火傷の痕を見せた。
「あぁ、これ。恥ずかしい過去だけど」
「あと、貴方が私を弁護しようとしてくれた事も聞いたわ。今も昔も……ありがとう」
エヴァの青い瞳が真っ直ぐフィンを捉える。彼は答える代わりにそっと微笑みを見せた。
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