現代編
現代編①
エヴァとフィンは宿に戻った。寝台を使うのはエヴァということに落ち着いたのだ。ホムンクルスなので休息は要らないと何度も言ったが、フィンは折れない。仕方なくエヴァが折れたのだった。
薄い布団が敷かれた寝台に腰掛け、小さなソファで寝転がるフィンにエヴァは問いかける。
「今、みんなどうしてるの?」
フィンはエヴァを見上げて答える。
「エイベルは医者になったよ。宮廷医師として働きながらノグレー院では医学を研究している。立派なもんだよ」
「昔から優秀だったものね」
「ブルーノ教授は今もノグレー院で教鞭を取っているよ」
「お変わりなさそうで良かった」
昔なじみについて話していると、フィンが突然起き上がってエヴァに問いかける。
「君はお兄さんに会うよね?」
ユーダットまで行くことは考えていたが、直接会うかどうかまでは考えていなかった。
エヴァは言葉に詰まり、首をかしげる。
「兄上は私のこと許してないだろうから……ちょっと会いにくいな」
それにこの姿だし、と言うとフィンは「会ってみればお兄さんも気付くさ」と言う。
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって……見た目は違うけど、中身は変わらないだろう?」
「でも、『エヴァ』の人格を模したとしたら? それはエヴァって言えるの?」
不安に思っていたことを吐き出す。すると、フィンは柔らかく笑った。
「君は紛れもなくエヴァ本人だ。何年一緒に居たと思う?」
彼の優しいまなざし、笑みにエヴァはどきりとした。心臓ではなく「心」でどきりとしたのがはっきりと分かる。
彼の言葉を正しいと客観的に判断は出来ない。研究者らしからぬ考えだが、エヴァは「正しい」と思う。いや、思いたいのだろう。正しいと思うこの気持ちには、願いも含まれているのかもしれない。
エヴァはフィンに「ありがとう」と囁くように礼を言うと、彼に背を向けて横になる。まぶたを閉じて、心の中に広がっていく温かい気持ちは一体何だろうと考えた。
✢
翌朝。宿屋のおかみに一泊の代金を渡す。センシイブリズには馬車が通っていない。領民は徒歩か一部の者は馬を持っているからだ。とりあえず、近くの町に行くことにした。そこでなら馬車があると聞いたからである。
他愛のない話をしながら徒歩で数時間、目的の町に到着する。フィンが馬車を手配し、ユーダットまで乗り継ぎしながら三日かけて向かう。
エヴァはずっと馬車に乗っていても疲れることはなかったが、フィンは「お尻が痛い……」と泣くので時折休憩を挟むことにした。そのため、ユーダットに到着したのは予定よりも遅く夕方になった頃だった。
「兄上の住んでいるところはどうして知っているの?」
馬車を降りてから目的地までは徒歩で向かう。隣を歩くフィンを見上げ、エヴァは問う。彼女の生前、フィンとウィルは接点は無かったはずだ。
「私のお得意様なんだよ。武器のオーダーメイドを受け付けているんだけど、君のお兄さんから依頼を受けたことがあったのさ」
フィンは武器製造方法の研究を行いながら、自身でも鋳造を受けていると言う。
ウィルから依頼を受けてから交流が続いている。今回、フィンが侯爵家当主に会いたいと願い出ることが出来たのもそうした繋がりがあったからこそ。もし、フィンが侯爵とやり取りが出来る立場になければ、会うことなど今のエヴァでは到底無理だっただろう。
「ここが彼の現在の住まいだ」
フィンがそう言って眼の前の古い屋敷を指差す。顔を上げなければ全体が見えないほど立派な屋敷は、古めかしくも丁寧な手入れがされており、威厳を感じられた。同時に懐かさしさもムクムクと膨れ上がる。ここは、エヴァが幼い頃、夏の間に避暑地として利用していたヴェーデンスヴィル家の別邸なのだ。
今やウィルは、本邸ではなく別邸に移り住むことにしたのだと思うと胸がちくりと痛む。きっと本邸に住むのが辛くなったのだろう。兄を置き去りにして先に逝ってしまったことが悔やまれる。
今はホムンクルスとして現世に戻ってきたが、約束を果たせなかったことはエヴァにとって、大きな負い目になっていた。兄と会いづらいと感じるのもそのせいだ。
だがここまで来たのだ、今更引き返すわけにはいかない。覚悟を決めてエヴァはフィンに頷くと、一歩を踏み出した。
ユーダットの別邸はセンシイブリズの本邸よりも小さいが、それでも十分大きい。しかし、門番はおらず、他の使用人の気配もなかった。フィンが正面扉をノックすると、年老いた執事が開けてくれたが、屋敷の中は彼以外の使用人はいなさそうだった。
「当主様は客間にいらっしゃいますのでご案内いたします」
長らくヴェーデンスヴィル家に仕えてくれている執事の声。彼はエヴァには気付かないが、会えて嬉しいと思った。執事の後ろをついて歩くと、すぐに豪奢な意匠が施された扉の前にやってくる。
執事は扉を開け、フィンとエヴァに椅子を薦めるとお茶の用意をする。
彼の淹れるお茶は大好きだった。香りがよくて味もちょうどいい。子どもの頃、興奮して眠れなかった時、はちみつ入りの紅茶を作ってもらった事を思い出した。
またじんわりと胸に温かいものが広がっていく。過去に思いを馳せていると、聞き覚えのある声が響いた。
「フィン、と……見慣れぬ女人か。よく来たな」
声の主に顔を向けると、エヴァはあっと声を出しそうになった。
客間に入ってきたのは、輝くような金の髪を自然に流し、理知的な緑色の瞳をエヴァに向ける青年だった。エヴァの兄、ウィルだ。記憶の中のウィルよりも大人びて――少しやつれて――見える。
(でも、元気そうで良かった。兄上が生きてる……)
兄が生きている。生きて眼の前にいる、その事実だけでエヴァは嬉しくなった。
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