過去編④

 国会発表をひと月後に迎えたある日。血相を変えて研究室に入ってきたフィンとエイベルに、エヴァは驚愕の事実を突きつけられる。


「エヴァが指名手配されているぞ!」


 鋭く叫ぶように告げたフィンの言葉を理解するのに、どれほどの時間が経ったのだろう。呆然と立ち尽くすエヴァに、今度はエイベルが説明した。


「なぜかエヴァ先輩の研究内容が宗教裁判にかけられそうになっているようです。詳しい理由は分かりませんが、教会兵が先輩を拘束しに来るのも時間の問題です」


 どうして、何もしていないのに、と叫んだような気がした。悲鳴のような声は自分のものだとしばらくは分からなかった。


「ノグレー院は危険だ、すぐに去った方が良い」


 フィンはそう言い、エイベルに目配せする。几帳面な後輩は旅行鞄をエヴァに手渡す。


「これに必要なものは全て入れています。出来るだけ帝都から離れた場所、それも土地勘のあるところで分かりにくい場所に隠れた方が良いと思います」

「でも、隠れたら余計に罪が重くなるんじゃ……」


 心配そうなエヴァにエイベルは首を横に振る。


「ブルーノ教授から聞いた話では先輩の裁判には枢機卿が出てくるそうです。教会の最高位が表に出てくるのですから、死刑を言い渡される可能性は十分に高いです。この際、研究内容がどうこうは関係ないんですよ。相手は先輩が何らかの理由で邪魔だから消しに来ている。真面目に逃亡で罪が重くなるとか考えている余裕はありません」


 詳しい話は道中で話しましょう、というエイベルの言葉にフィンはエヴァの手を取り、研究室を出て行く。彼らは駅まで来てくれるという。心細かったが、最後まで一緒に行けば足がつく可能性が高まってしまうのだとエイベルの主張に納得せざるを得なかった。


「だけど、教会のこんな横暴を皇帝陛下が許したのかしら? こんなことが許されたらノグレー院での研究は衰退してしまうわ」


 エヴァの指摘にフィンの横顔にかげりが見えた。彼女の疑問に答えたのは、今度もエイベルである。


「今回の罪状は、女神アルゼンターナのご意思に背くような非人道的行為が行われたかどうかという宗教裁判の範囲です。宗教裁判は教会の担当ですから、陛下のもとには知らされていないのでしょう」


 エイベルは苦い顔で言い加える。汽車の到着が間近に迫っていることを知らせる鐘が、駅内に響き渡った。彼は淡々と言う。「エヴァ先輩は厄介なことに巻き込まれているんですよ」と。


「先輩、黒幕を探すのは僕達に任せてください。先輩はただ生き延びることだけに集中してくださいよ」


 エヴァと旅行鞄を汽車の中に詰め込むフィンを見ながら、エイベルは言った。

 もうこの二人ともお別れなのか、いつ会えるだろうか、会える日が来るだろうか、と考えると涙が止まらない。エヴァは嗚咽を交えながら言う。発車を知らせる笛に負けないように。


「絶対、絶対生き延びるから!」


 エヴァを乗せた汽車は北の街に向かう。生まれ故郷センシイブリズを目指して。


 ✢


 エヴァを見送ったフィンとエイベルは早々に駅を跡にする。教会兵に見られていたらまずいからだ。行き先をバラしてしまうことになる。二人は口を開かなかった。ようやく話しだしたのは、ノグレー院に着いてからだった。

 先に口を開いたのはフィンだった。


「本当に枢機卿の判断だと思うか?」


 フィンの疑問に聡明なエイベルは少し考えてから答える。


「おそらく黒幕がいるのだと思います。相手はエヴァ先輩を早々に消してしまいたい。研究を辞めさせるには、皇帝陛下の承認が必要になる。そうなれば、かなり大掛かりな手続きを踏まなければならないし、陛下を納得させる証拠もいる。宗教裁判は女神の教えや人として倫理に反しているかを捌くものなので、枢機卿を買収すれば陛下の承認をもらうよりよっぽど早いでしょう」

「だが、国の予算を支給して研究させてる研究者を教会が宗教裁判にかけたら皇帝が怒りそうだが……」

「この国の民衆の殆どは女神アルゼンターナを崇めています。もちろん、宮廷にもいるでしょう。アルゼンターナ教徒は、先輩の研究内容を良く思わないだろうし、教会の行動を支持すると思います。陛下とて彼らを無視することは出来ないんじゃないでしょうか。何しろ九割がアルゼンターナ教徒の国ですから。むしろ、教徒でない今の皇帝陛下が珍しいくらいですよ」


 エイベルの推論にフィンは唇を噛む。かなり厄介なことになってしまった。黒幕がいるならかなり嫌なところを突いてきている。エヴァは無事だろうか、生き延びられるだろうか。フィンはただ祈ることしか出来なかった。


「エヴァ……無事でいてくれ」


 フィンは女神崇拝をしないが、この時ばかりはアルゼンターナ神に祈る。どうかエヴァを救ってください、と。

 しかし、フィンの願いは女神に届くことはなかった。


 ✢


 教会兵の熱心な捜索により、センシイブリズに滞在していたエヴァが捕縛されたとの知らせを受けたのは、駅で別れてから三ヶ月後のことであった。

 教会は捕まったエヴァを早々に裁判にかける。


 枢機卿は「ホムンクルスを作り、人が自然の摂理に反した方法で人を作るという女神アルゼンターナ様のご意思に反した行動は、女神の子孫であられる皇帝陛下への謀反の意思がある」として、火あぶりの刑を言い渡した。


 エヴァは教会兵に連れられ、処刑台へと足を踏み入れる。背中には支柱があり、両手をくくりつけられ、逃げられないようにされた。処刑人から最後に言い残すことはないか、と問われたエヴァは答える。


「研究者を弾圧するなら良き未来は訪れません。教会は人々が貧しいままでも良いのでしょうか? みなさんも己の頭で考えてみてください」


 押し寄せた野次馬に問いかけるようにして最期の言葉を残したエヴァは、微笑んだ。

 群衆をかきわけ、エヴァの元へ来ようとするフィンとエイベル、そしてウィルの姿を見つけたからだ。エヴァは彼らに向かって微笑みを向ける。


「フィン、エイベル、せっかく協力してくれたのにごめんなさい。兄上、約束を守れなくてごめんなさい」


 小さく呟いた言葉は誰にも届くことがなかった。処刑人は機械めいた動作でたいまつに灯った火を足元の薪に移す。火はみるみるうちに燃え上がり、煙を上げる。

 煙で目がしみて呼吸がうまく出来なくなっても、エヴァはずっと「ごめんなさい」と言い続けていた。

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