過去編③
エヴァが十八歳になった頃、ようやく自分の研究を進める事ができた。
同時に四歳年下の後輩エイベル・レーゲンスブルクが、エヴァの研究補佐員として加入した。
ようやく夢のスタートラインに立ったエヴァは、日夜研究に没頭していた。自分の研究で忙しいはずのフィンが心配して何度も様子を見に来るほどだ。あまりにエヴァが研究に熱中するあまり、寝食も忘れ研究室は書類まみれになるので、エイベルが世話役のような存在になっていたという。フィンはエイベルに提案をした。
「エイベル、エヴァの世話なら私でも出来るから交代しないか?」
エイベルはメガネを持ち上げ答える。
「僕はエヴァ先輩のチームなので問題ありません。フィン先輩だって自分の研究で忙しいでしょう。エヴァ先輩にかまっている暇あるんですか?」
ぐうの音も出ない正論を突きつけられたフィンは、ぐぅと変な声しか出ない。
「毎日のようにエヴァ先輩の様子を見に来てますけど、進捗は大丈夫なんですか?」
エイベルはなおもフィンを正論で殴る。彼の言う通り、研究の進捗は大丈夫ではない。研究予算は国費で賄われているため、定期的に皇帝や貴族院の構成員向けに研究内容の発表を行わなければならない。進捗が乏しかったり、研究内容が当初の予定よりズレて国益にならないと判断された場合、予算の支給は打ち切られる。だからノグレー院で研究している者は、みな日々血眼になって勤しんでいるのだ。
「ダイジョブ」
「絶対大丈夫じゃないやつですよ、それ……」
呆れるようにため息をつくエイベル。メガネの奥の瞳が冷たく感じられる。
こうしている間にもエヴァは二人の存在に気づくことなく、書類と睨み合っていた。エイベルがフィンに諦めるよう言おうとして口を開いた時、扉がノックされる。
「どうぞ」
エヴァの代わりにエイベルが答える。扉が開くと、白髪交じりの男性が部屋に入ってきた。
「やぁ、エイベル、フィン。エヴァは相変わらず勤しんでいるね」
人好きしそうな笑みを浮かべて、二人に手を振る彼はエヴァとフィンの担当教授である。研究費を予算申請する責任者でもあり、ノグレー院で新たな研究者の卵を育てる教育担当でもある――ブルーノ・ツォフィンゲンだ。
彼は「魔物・人外生物研究」の第一人者で詳しい生態知識を使って、各地で報告されていた魔物の被害に対し、打ち出した策が絶大な効果を発揮し、被害を大幅に抑えることが出来たという功績を持つ。
もともとは平民だが、偉大な功績から皇帝より伯爵位を授けられた人物でもある。
「エヴァ」
ブルーノは書類を睨んでいるエヴァの肩を叩きながら呼びかける。没頭した彼女の意識を向けるには、こうしないと気付かない。
「教授、こんにちは」
やっと気付いたエヴァは、エイベル達より随分遅れて挨拶をする。ブルーノは彼女に優しい笑みを向けながら進捗について問う。
「研究は進んでいるかい?」
「想定しなかった事象に当たってしまってなかなか……」
「研究は真っ直ぐ進まないものだからね。君ならいずれホムンクルス製造技術を確立出来るよ。安定的に供給出来るようになったら事業化して、特許権を申請してもいいだろう。もちろん、特許は専有するのだろう?」
ブルーノの言うように、ホムンクルスが製造出来るようになったら事業化することになるだろうが、特許をエヴァが専有していた場合、他企業や他の研究員が同分野を研究または事業化する際には、エヴァに特許使用料を支払う必要がある。需要のある分野であれば、使用料だけで一生暮らしていけるほどだ。そして、ホムンクルス研究を国費で行っているのはエヴァだけ。成功すればかなりの儲けになる。
しかし、エヴァは特許を専有するつもりはなかった。
「いいえ。私は特許を放棄します」
「本当かい?」
特許を放棄する手続きを踏めば、誰もが専有することが出来なくなる。その分野の第一人者であってもだ。
ブルーノは驚き目を見開いてエヴァを見やる。
「研究が成功したら特許は放棄して誰でも研究、事業化出来るようにしたいんです。そうすれば、より研究が活発になって高度な技術が生み出される可能性がぐんと大きくなるでしょう? 私はそういう未来を望んでいるんです」
「放棄手続きをすれば二度と専有出来ないうえに君には一銭も入ってこないぞ」
「富より未来を取ります」
ブルーノは少しの間、驚愕で固まっていたが、すぐにいつもの笑みを浮かべると「高尚な考え方だ。素晴らしい」とエヴァを褒めた。
「そんな君に朗報だ。フィンと共に今度の国会発表のメンバーに選ばれた」
エヴァとフィンは嬉々として顔を見合わせた。
国会発表はノグレー院の存在価値を皇帝、貴族院、有力貴族達に向けて選出された数名の研究者が院を代表して研究発表を行う。予算を決める発表ではないので直接関わってはこないが、影響を及ぼす大事な機会であることは間違いない。
そして、国会発表を行う研究員になるということはノグレー院に所属している者にとって、最高の栄誉だった。
エヴァとフィンは、国会発表に向けて研究に集中した。いずれ来る大舞台を成功させるために。しかし、エヴァにはその機会が訪れることはなかった。
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